もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

めし

2024年02月03日 11時43分35秒 | タイ歌謡
 ラーメン一杯の体積を汁・麺・具合わせて600ml分の液体と同じとすると、東京ドーム(容積124万㎥)に換算してラーメンが20億6千6百万6千6百6十6杯分ということになる。計算したんである。わざわざだ。こんなのは努力というほどの物でもないし、威張れる事でもないが、とにかく漠然と20億と言われても想像がつかない。しかし、これを中華人民共和国の人民全員に配ったとしたら、一人当たり1杯半くらいにしかならない。つまり大盛りで一杯ずつか。たいしたことないね。いや。それともやっぱり大したことなのか。
 まあ、ラーメンの話はどうでもいい。うちの奥さんが好きだから、よく作るが、それほど手を掛ける気になれない。鶏ガラなんかを大鍋で煮込んでスープを作るのは、最初は物珍しくて楽しいが正直面倒で、エバラが業務用に出してる缶入りのスープを湯で割った方が簡単なうえに旨い。それすらも面倒なら、かえしも入った湯で割るだけのスープの素だってある。あとは麺を茹でて具を載せるだけだ。
 おれが料理好きだと知ってる人には「ラーメンなんかも作るの? そんじゃ、プロみたいにザッ! ザッ! って派手に湯切りなんかしちゃってるんですね」と訊かれたことが数回あるんだが、そんなことはしてない。「え? 湯切りしてないんですか?」
 するけど、あんなふうに勢い良くは、しないよ。あれは店の茹で釜の湯が、麺をたくさん茹でたから溶け出した鹹水のアルカリと打ち粉のせいで、ドロッドロのヌメヌメになってんのね。いちいち新しいお湯に替えたりすると時間もかかるけど何よりガス代が嵩んでしょうがないからたまにしか替えない。そんな湯で茹でたあとに湯切りがテキトーだと麺がアルカリのヌメヌメで美味しくないから、そのドロドロのコーティングを落とすために勢い良く飛ばしてるだけなの。
 
 家庭で茹でてる麺なら、そんなに湯がドロドロになんないから、水気が切れれば問題ないの。だいたい、うちのラーメンなんて料理がメンド臭いときの手抜きメニューで、でもうちの奥さんも息子も喜んで食うから、それでいいか、っていうテキトーな料理だよね。うちでは。
 叉焼も正式な中華叉焼作ると「これじゃ中国人の料理です」って、評判が悪くて、日本風の味付け茹で豚をチャーシューだっつって喜んでるくらいで、ほんとにラクなんだ。

 うちの奥さんが好きな料理はたくさんあって、そういえばトンカツは好物なんだが、タイのトンカツは専門店でもイマイチで、「うちで揚げたほうがぜったいに美味しい」って言う。まあ、揚げるのはおれなんだけどね。とくにコツなんてものはない。普通に揚げてるだけなんだが、タイ料理は揚げ物が多いのに揚げるのがテキトーな人が多い。油の温度管理にあんまり気を遣ってないし、いっぺんにたくさん作りたいんだろう、鍋に具材をドバドバ放り込む。そんなに入れちゃ油の温度が下がって旨く揚がらないだろうと思うんだけど、ぜーんぜん気にしてない。
 いち度、「わたしも作り方を憶えたい」と言って揚げ方を横で見ていた。そうして憶えた料理は多く、味噌汁なんかはけっこう上手に作る。
「まず火加減。こんな感じ」
 はい。
「パン粉をポツンと落として、こんな感じに浮き上がってきたらオーケー」
 おおー。
「こうして、すっと滑らせて鍋に入れるんだ」
 うん、うん。
「ほら。最初は揚がる音がブツブツ、って低い音だったけど、水分が飛んできてだんだん高い音になるでしょ。ピチピチ、って」
 あー。なってる。
「ね。このくらいだな。だいたいE(ミ)かE♭。そうだな、1,300ヘルツくらいかな。まあ鍋の大きさや油の分量でも音程は変わるけれども。今日のところは、この音になったら引き揚げて大丈夫」
 えー……。なに言ってんのォ。
 それ以来、揚げ物はおれの担当になってしまった。音程まで言うんじゃなかった。あと、普通の揚げ油みたいなんじゃなくて、ラード使ったら飛躍的に美味しいんだけど、メンド臭い事になりそうなんで、それは秘密にしている。概ねタイの揚げ油は、日本の揚げ物用の白絞油なんかと違って精製度の低い安物の大豆油が使われることが多くて、当然サラダ油なんかも使わない。屋台や安食堂なんかだと台所用洗剤よりも洗濯用洗剤を使う店が多いくらいだからね。理由はわかり易い。安いからだ。
 しかも安い店が業務で使ってる揚げ油は色が茶色くなってても平気で使ってる。油を替えるなんて発想はないのだと思う。少なくなった分を注ぎ足し注ぎ足しだろうから酸化する暇はないが、そういう店の揚げ物は、ひとくち食べると(うっわー。油が悪いなー)というのが延髄経由で伝わってくる。昔の台湾の安食堂も油が悪かった。今はどうなんだろう。

 知り合いで料理をする男は多いんだが、これには理由があって、日本ではない余所の国に暮らすと、こうなる者は多い。性別に関係なく、だ。
 なんで? 日本料理の店は多いんでしょ。そう思うだろうが、その和食が旨い店は値段がバカ高い。それなりの店は出汁や調味料のランクが低いので、そんなに旨くない。それになんと言っても「あー。水に晒したカラシ菜の刻んだのとシラスを手早く炒めて醤油を鍋肌にくるり、と回して火を止めて、ゴマ油をあしらってガラガラかき混ぜたのを、こう、あったかい飯の上に載っけて食いてぇー!」と思っても、外食でそんなメニューはないのである。カラシ菜もシラスもタイのスーパーではタダみたいに安く売ってるのに。
「ホウレンソウを炒めて卵でとじたの、食いてぇ」と思ったら自分で作るしかないのだ。
 中華を食べに行っても「こんなに油でキットギトなのヤだなー」と思って、これも自分で作れば油量は自由自在だ。タイ料理だけは外食の方が安いし、作り方がいまいちわからないからしばらく店で食べていたが、少しずつ自分で作れるレパートリーが増えると、あんな味付けにしようなどと思えるようになり、自炊の方が高く付いても自分で作ったりする。おれが作るタイ料理は辛さのパンチが決定的に足りないので、うちの奥さんは唐辛子を振って食べているが、息子は「タイ料理って、おいしいな」と言い、奥さんは「これはね、美味しいけどดั้งเดิม(正当派)ではなく、รสชาติเดียวกับอาหารไทย(タイ料理風味)なのよ」と念を押していた。まあそうだ。でも過剰に濃いのを受け付けないときもある。
 新婚の頃、ひどい風邪で倒れたときに食欲がなく、「何なら食べられる?」と訊かれ、そうだな、中華粥なら、と答えたら「任せて」と買ってきてくれて、器にあけて唐辛子と胡椒を盛大に振りかけて「召し上がれ」と言われたときは脱力した。
 ありがとう。でも唐辛子と胡椒は抜きで頼む。日本人は病気の時に辛いものは食べないんだ、と告げると「ラ?」と驚いていた。冷静に考えると体調の悪さと食物の辛みに関係はないようなものだが、だからといって積極的に辛いものを食べたいと思う病気の日本人は希だと思う。
 タイにも茶碗蒸しそっくりの料理があるが、日本のと違うのはニンニクが利いていてゴマ油を使ってたりもすることも多くて、胡椒を振って食べる。うちの奥さんは気が利いてるから日本風の茶碗蒸しが出てきた時、おれの分にも胡椒をふってくれた。思わず「あ」と声が漏れた。「アーオ」奥さんの手が止まった。「ひょっとして、日本人はこの料理に胡椒を使わない?」うん。まあね。食べてみてわかったが、日本風の茶碗蒸しに胡椒をかけると、胡椒風味の茶碗蒸しになる。旨いかどうかは好き好きだろう。
 とにかく「何てことない料理が食べたい」場合、日本人の料理人がいる店なら我が儘を言って作ってくれるように手懐けるか、否応なく自炊するしかない。ゴボウを食べるのは日本人だけ、と言われるがタイのスーパーで売ってることがあって、それできんぴらゴボウを作ったときはヘンな顔をされたが、ニンジンとゴボウのかき揚げはタイ人にも好評だった。日本食の店で出てくるのを見たことがない。ゴボウの安定供給が難しいからだろうか。しかしタイのスーパーで普通に売ってるのは謎で、日本以外でゴボウを食うのは朝鮮半島と台湾くらいだと思っていたが、さいきんはタイ人も食べるのか。
 タイではラーメンが食いたいと思ったら、そっくりの麺(バミー用の麺)が呆れるほど安く、タダではないけどタダみたいな値段で売ってるから苦労はない。しかもタピオカ粉を練り込んでいるものが多いから歯ごたえも良く、ゆっくり食べていても伸びにくい。個人的には日本の麺より好きだ。しかし華人が少ない国などではラーメンの麺の代用品がないから、バーセルミなんかの麺を茹でるときに鹹水(かんすい)の替わりに重曹なんかでアルカリにして茹でて中華麺に近づけるという涙ぐましいことをしている。それだけでラーメン寄りに、ぐっと近づく。
 めしなんて食えりゃ良いんだけれど、さらに言うならマズいのはイヤだから美味しくなきゃ困る。というのが基本姿勢で、美味しいという基準さえクリアしていれば、何でもいい。高校卒業後に上京して独りで暮らすようになって外食の味の濃さに辟易して自炊するようになったんだが、いち番ながくて3ヶ月、米飯を食わない期間があった。そういうチャレンジではなく、パンと麺類ばかりという生活が新鮮だったからだ。実家だと、そうはならない。
 まえにも書いたことがあったが、米飯は嫌いではないけれど、それほど好きということがなかった。理由は簡単で、昔の北海道で育った者は、旨い米を食った経験がないから。今は品種改良で北海道米が旨くなってるが、昔は「あー……。米かぁ……」って感じだった。今は米も好きだよ。週に5度くらいは食べる。どうかすると一日に二度食べたりもする。
 まあ、そんなだったから、タイ米にも偏見がなく(あ。旨いじゃん、これ)と思った。かつてタイ在住の頃、母親からの電話で「お米なんてあるの? ヘンなお米しかないんでしょう?」と言われ、いやいや。タイの米は旨いよ、と答えたら「……かわいそうに……」と言われてしまったことがあったが、それなりのタイ米は、ちゃんと炊いたら旨い。ウソじゃない。好き好きはあるけど。

 好き嫌いということで思い出した。今のおれは昆虫食がイヤとか、とりわけ蜘蛛を食うのは勘弁してほしい的なことを除けば、好き嫌いがほぼない、と思っていた。イヤだけど昆虫も蜘蛛も食ったことがある。マズいから嫌いということではなく、キモチワルイからイヤ、ということで、それは好き嫌いの埒外だと思っていたが、冷静に考えたら、それはやはり嫌いってことだ。
 いや。そんな極端な例は除いていいんじゃないですか、と甘えて除外してもいいが、鰻の蒲焼きみたいな甘辛の味付けも好きではないから滅多に食べない。海老・蟹も食えるけど、そんなに好きじゃない。だからヨメと息子に回す。それって好き嫌いじゃないの? 
 げんみつに言えば好き嫌いだよね。お呼ばれで出てきた食事だったら残さず食べるけど、自発的な外食だったら頼まないな、って水準。エビチリや酢豚、カボチャの煮付けなんてのもヨメが好きだから作るけど、おれは食べない。味見すらヨメに任せてる。
 食えるかどうかってことなら、食える。
 でも、若い頃は好き嫌いがあった。あったどころか多かったような気がする。あれヤだ、これヤだってのが多かった。とくにミカンなどの柑橘類がイヤで、今になって思えば「えー、ミカン旨いじゃん。なんで」って思う。二十歳を迎えてそんなに経ってない頃、(あ。今ミカン食ったら、すんげぇ旨かったりして)と思いつき、恐る恐る食ってみたら、これが旨い。匂いが嫌いだったのに、(あ! 良い香り)とすら思った。それをきっかけに嫌い! これだけは食べられない! という食い物がなくなった。
 甘いものを食う奴はばか、という偏見もなくなった。
 カネモチは健康に気ィ遣って葉っぱ食って体力落としてろ。おれ達ゃ内臓肉食って、ぶっ倒す! みたいな暗い気持ちも薄れていった。あの頃は内臓肉もタダみたいに安かったな。
 まあミカンが好きになったのは良かった。うちの奥さんがミカン好きだからね。一緒に「おいしいね」なんて言ってると楽しい。

↑ミカンって、いいよね
LUSS - ไข่พะโล้ (Kaipalo) -【Official Music Video】
 なんだか熱でうなされてるときの夢みたいなMVなんだが、LUSSというふたり組のユニットだ。通称パンという名の中国系娘นลพรรณ อัมพุช(ノラパン・アンプー)と、ベンという渾名のศิรสิทธิ์ ตั้งบุญดวงจิตต์(シラシット タン・ブーン・ドゥアンジット)で、4年まえにアルバムを出して、そこそこヒットさせたふたりだったが、それ以来沈黙を続け、忘れ去られようとしていたところでのアルバム発表。このMVの曲は、その1曲目のナンバー。打ち込みでヒップホップなんだな、と思ったら、アルバム自体はオースドックスなタイR&Bだ。
 この曲だけ異質で、テイストが違う。と思ったら、この曲は自作の曲ではなく、アレンジメントだけ自分たちだ。
 今回は歌詞が日本語訳の字幕で出てくるから、訳す必要がなくてラクで良いね。勝手に日本語が出てこない場合は字幕のアイコンをクリックして、それが日本語でなかったときは歯車のアイコンで日本語を選んでちょうだい。たいした歌詞ではないから、字幕ので充分だと思うが、いきなり「カイパローを食べたいな ポン」と書いてあるが、スクロールするとタイ語で歌詞が表記されていてโป๊ะ(ポ)になってるし、そうとしか聞こえない。
 ポン、ってどこから来たのか。字幕の「ポン」は全て「ポ」に脳内変換していただきたい。

 ともかく、この曲のタイトル「カイパロー」って何かというと、豚の角煮のことだ。ไข่(カイ)が鶏卵。พะโล้(パロー)が肉の中華煮込みのことだ。日本の豚角煮と似ている。茹で卵と三枚肉の塊が基本で、厚揚げが入ることもあるのも同じ。が、味付けが似てはいても決定的に違うのは、タイのカイパローは砂糖の使用量が倍くらい甘くて、日本のが醤油なのに対してタイのは、真っ黒なタマリ醤油でおまけに八角や五香粉で漢方薬臭くて、トドメにパクチーどーん。おれが作る角煮を食べた、うちの奥さんは「日本のカイパローの方が断然おいしい!」と感動していた。八角や五香粉が嫌いなようで、それは意外だった。日本の普通のレシピよりも砂糖料が更に半分だったんだが、それは良いみたいだ。ただ、タイでバラ肉(三枚肉)を買うと皮膚がついた状態で毛が残っていることがあって、毛抜きで毛を抜かなくちゃなんない。皮膚がついていた方が旨くてヨメが喜ぶから、気持ち悪いのを堪えて毛を抜いてガシガシ洗って調理する。さいきんは豚肉の下ごしらえは圧力鍋を使うことが多い。じゃないと煮込んでる間、ずっとケモノ臭いんだもん。

 ところで最近の若いモンは句点(。)が威圧的な感じでキライ(マルハラって言うんだと)とか、「マジで」なんて言い方も加齢臭がしてイヤだということらしくて、「マジで」は還暦過ぎてんのによく遣う。さすがにMJDとは書かないけど本気と書いてマジとルビを振るのは、おれたちの世代からだ。もう50年以上経ってる。若いモンが嫌がるのもしょうがない。あと、読んでおわかりの通り句点はきちんと打つ。ただ「とうとう出たね。。。」みたいな句点は気持ち悪いし、句。点。が。好。き。だ。って程ではないが、ふつうに句読点は打ちたい。
 まあね。べつに若者に好かれたいとは思ってないんで、「マジで」も言うし句点も打ち続けるけどな。あと「……」は三点リーダーを二つ重ねないと気持ち悪い。「・・・」みたいにナカグロを遣う人にはなりたくない。このへんがメンド臭いってのも理解してる。でも他人が遣うぶんには責めない。そう書きたいんなら、そうすればいいんだもんね。
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