もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

水の道

2023年01月15日 23時57分33秒 | タイ歌謡
 水の道って、水道のことだね。水道も初段で黒帯だっけ。そんなものは聞いたことがないけれども。でも水道施設管理技士ってのならあって、最高位は1級だ。段や師範代はないみたいだ。
 今どきの日本では水道が通ってるのはあたりまえになった。おれが子供の頃は手動式のポンプで、がっこんがっこんと汲み上げてた。北海道の田舎だからね。平均的な日本の歴史から10年は遅れていた。道を挟んで向こうは水道管が来ていて、水道が「来た」のは10歳の時だった。水道は来る物だった時代があったのだ。その頃、水道は鉄管ビールとかヒネルトジャーとか呼ばれていたが、最近はレバー式になったので捻らない。固定電話やドアノブのカバーみたいに絶滅危惧種だ。ドアノブのカバーといえば、あれが衰退するのと時を同じく、インド人の娘が頭のお団子ヘアにドアノブカバーの流用としか思えない物を装着する流行も姿を消したのだった。教科書に載らない興亡史だ。あれはぜったいに同じ物だったと睨んでいる。
←これは中国娘の髪用ドアノブカバー
 いやいや。水の話をしよう。
 水を飲むのが好きだ。
 若い頃は水なんか飲まなかった。あんなものを飲むのは蛙とアメリカ人だけだというのが世界の常識だ。あと甘いものを飲むのも、ばかのすることだという間違った考えを持っていたので、もっぱらコーヒーか紅茶。たまに日本茶というラインアップだった。
 水を飲むようになったのは、ここでもなん度か書いたが尿路結石を患って、医師から水を飲むよう忠告されて以来だ。最初は「えー。水って。あんなものはGパン穿いた北米大陸西部の農民が飲むものなのにぃ」と恨みがましく思っていたが、しかし。もうイヤだった。あの出産よりも痛いと言われる「ああああああ。痛い痛い痛い痛い痛い。おれもう死んじゃうんだ間違いない痛い痛い痛いいたたたたた」と句読点の気遣いなく悶絶した、あの痛みを再度経験するのはゴメンだったので、もうヤケクソみたいに医師の言うとおり毎日、水を2リットルは飲むようになった。
 が、これが数ヶ月は続けたとしても、多忙だとか何かの拍子で病気以前みたいに水の摂取量が少ない日が訪れることもある。とうぜん身体の調子は問題ない。次の日、思い出したみたいにまた水を飲むんだが、そんなことを繰り返すうちに、「まあ1リットルは飲んでるよな。食事でも水分摂ってるし、四捨五入で2リットルかな」という生活になり、それを続けていても問題ない。いや実際には密かに腎臓辺りで結石が発生していて、それが成長しているんだろうが、そんなもんじゃ痛くも何ともない。そして、「まえに病院行ってから、もう5年だ。治っちゃったかな」などと気楽に考えていたら、あっ、と呻いて片手を天に向けて激痛と闘うことになる。ばかだから、これを4度繰り返した。5年周期ってわけでもなく、結石はできては流れ、できては流れの繰り返しで、運と摂生が悪いと2年で再発した。
 結石に関しては、半ば諦めている。というのも、おれのはシスティン結石って種類で、これが遺伝する病気なのだ。うちの親父もそうだったし、祖父もそうだったという。男性に遺伝すると言うから息子もそうなってしまう可能性が高い。全結石患者の1~2%を占めるという稀な結石で、これが判明した途端、「あのね。尿瓶(しびん)タダであげる。タダであげるから、結石出てきたら持ってきて。僕にください。日本人だから箸の遣い方は上手でしょ。それでつまみ上げて、このフィルム容器に」とタイ人担当医にねだられたことがある。そんなに珍しいのか。ていうか、そんなの蒐集してどうする。システィン結晶の純粋なのが、ペリドットという宝石なんだよな、と長い間思っていたが、今ググってみたら成分が全く違う。色も違う。どこで勘違いしたのか。おれの知識は、こんなのばっかりだ。
 昔は尿路結石の良い薬がなかったという。うちの爺様は元医者で、晩年はニセ医者だったから、さいわい医学知識はあったようで、自身も息子(おれの親父ってことね)にも玉蜀黍の髭を煎じたものを処方していたという。少なくとも3代続いた結石で、どうかすると4代かもしれない。息子よ、すまぬ。オスマントルコの行進曲「ジェッディン・デデン(祖父も父も)」かよ。かつての欧州では、この行進曲が聞こえてくると、その地の民は震え上がって死を覚悟したと言われるが、代々受け継がれる結石の血の系譜というのも恐怖ではある。
【和訳付】ジェッディン・デデン/Ceddin Deden【トルコ軍歌】〈Remake〉
 だいたい尿路結石なんてのは猫の病気であって、人間が罹るのは間違ってる。代々男方に受け継がれてきた疾病だというが、おれの祖先は砂漠の民に呪いでもかけられたか何かだったのだろうか。おれが食い物の砂の混入を嫌うのは、そういう訳だったのか。食器を砂で洗うと汚れ、とくに油汚れの取れ方が半端じゃなくて驚くばかりだが、最後に布で拭き取っても、どうしても細かい砂が残る。だから砂漠の民は食事に含まれる細かい砂で歯が磨り減るのだが、食い物に砂が混じるということは、途方もなく悲しい。味が悲しい食い物なんて、そうそうないぞ。仲の良いひとが死ぬのと別の種類の悲しさが日々、静かに蓄積していく。砂漠はひとの住む所ではないと切実に思う。地震は一気にメンタルを削られるが、砂はほんの少しずつでも確実にメンタルと歯を削っていく。

 ところで、日に水2リットルという生活が習慣になり、もう10年も結石の痛みとは無縁の生活なんだが、この毎日2リットルの水が原因で心不全になり死にかけたのも、もう書いたことだった。尿路結石担当の医師は毎日3~4リットルの水を推奨したが、この言うことを聞いていたら、心不全はさらに加速していたに違いない。水の摂りすぎが心不全まっしぐらだったのだから。

 そんなわけで、今は毎日1リットルの水と利尿剤で凌いでいる。水を1リットルも飲むのは大変でしょう、と入院時に同室の患者に同情されたが、違うのだ。それまで2リットルが習慣になっていたから、当初は足りなかった。もっと水を飲ませろの力石状態(ジジイしかわかんねぇか)だったが、さすがに1年経って慣れた。
 水を飲むのが習慣づくと、ある日とつぜん水が旨くなる。お茶やコーヒーもいいが、水が旨い。外で喉が渇いて自動販売機かコンビニで何かを買って飲むときに選ぶのは、だいたい水だ。だってペットボトルや缶入りのコーヒーやお茶って、マズいんだもん。マズいうえに、コーヒーや茶にはシュウ酸が必ず含有されていて、これが結石に覿面に悪い。といって甘いものも飲まないし。昔は甘いものを飲むのは、ばかだと思っていたと前述したが、うちの奥さんがオレンジジュースなんかが好きで、それを見て考えを改めた。まあ、おれはオレンジジュースを勧められたとき以外は飲まないけど。
 だから、水を飲む。でなきゃ炭酸水。コンビニなんかだと、なんとかの天然水みたいなのばっかりだから、仕方なくそれを飲んでるが、たまに、なんとかの水道水ってのをボトル詰めで売ってることがあって、そういうのがあれば、それを買う。
 水道水を買うなんて、ばかだと思う人が多いだろう。コストの印象的には、そうなんだろう。でも。安全ってことを考えたら水道水だ。
 なーに言ってんすか。水道水ってアレでしょ。トリハロメタンとか塩素とか、むっちゃ身体に悪いんでしょ、と言う人もあろう。
 たしかにN潟の方なんかでは、そういう水道水もあった。今は知らない。でも概ねは市販のペットボトル入りのミネラルウォーターのほうが、JWWAの定める水質の規格より許容水準が甘く、正直コンビニや量販店のミネラルウォーターよりも一般的な水道水のほうが安全なんじゃないかと思ってる(個人の見解だ)。もちろん水道水も自宅では、そのまま飲むのではなく、浄水器を通している。アルカリイオン水の浄水器なんてのもあって、インチキ臭い感じだが、個人的には良いと思う。アルカリイオンというとインチキ商品が多い印象だが、まともなメーカーの浄水器なら信用していいのではないか。要は普通の水を水酸化イオン(OH-)水と、水素イオン(H+)水に電気分解したもののうちOH-水を飲むのだから、身体に悪いわけはない。H+水は掃除にでも使えばいい。ただ身体には良いけれど、いち度飲む習慣がついたら飲み続けなくてはいけないような気がしている。説明は長くなりそうだし、つまらないし面倒なので自分でググってね。
 あと市販の水は信用できないと書いたが、大きなボトルで宅配するやつで、ウォーター・サーバーを使うやつ。あれのRO水にミネラルを無理矢理添加した水を販売する会社が数社あるが、あれは良い。とても良い水だ。ただ、ウォーター・サーバーのメンテナンスが悪いと雑菌がウヨウヨ繁殖しちゃうから、そこはメンテナンスのしっかりした代理店を選ぶか、じぶんで電解水(H+水か塩水でもいい)を作ってエタノールと別々に併用でサーバー内部を定期的に滅菌するしかない。手間と金額を考えたら、水道水に浄水器を噛ませたほうがラクかもしれない。
 あ。ただね、水道水でも決定的にマズいのは、いち度給水塔の貯水槽に貯めた水や、よっぽど古い水道管を使っているのか予期せぬ物が溶け込んでいるような水などで、そういう環境に住んでしまったら、ウォーター・サーバーを契約した方がいいかもしれない。

 北海道は水の良いところだと思う。水道水に関しては。道内の地下水は鉄分が多い地方が多いようだ。身体には良いかもしれんが、鉄分の多い水はマズい。遠くから血の味がする。でも水道水なら水源の多くは川の水で、北海道の水は硬度が低い。軟水ってことだ。硬度10を下回ることも多く、とくに雪融け水が多い時期などは、さらに低くなる。
 軟水のどこが良いんだと思うかもしれないが、これが料理に関係してくる。関東のうどんの汁が真っ黒で、関西は薄い色ということがよく言われるが、昔の水の硬度で説明がつく。関東の水は硬度が80くらいで、一方の関西は30くらいだったという。デトックスに効果があるとか言われるコントレックスって水が硬度1,400以上だ。日本のシャンプーでは泡が立たないかもしれないくらい硬い。それに比べりゃ関東の水も充分に軟水なんだが、この硬度の違いは、昆布出汁の抽出度に大きく影響する。硬水に近くなるほど昆布出汁が出ないのね。水が軟らかければ軟らかい程、昆布出汁がよく出る。従って関東では昆布出汁の抽出量が希薄だから、濃い口醤油のアミノ酸のうまみに頼らざるを得ず、だから真っ黒だっていうことで、だったら関西でも濃い口醤油を使ったら、もっと旨くなりそうな気もするが、そうはならなかった。関西には濃い口が少ないとか、関西の出汁に濃い口は合わないとか、そんな理由だったのかどうかは知らない。今は水道水で、水の硬度も変わった筈だが、東が高く、西が低い傾向は変わらない。関東に流れる川は遠くから緩やかに来るから、その間にたっぷりミネラルが溶け込むってことか。てことは硬水ほどPhが高くなりそうなものだ。調べたことないけど。
 ということで、北海道の水だと、昆布出汁はめっちゃ出る。んで、鰹節出汁もたっぷり使って濃い口醤油だ。各種アミノ酸が豊富という訳で、じゃあ北海道は味のパラダイスじゃん、と思いたくもなるが、実際はやっすい濃い口醤油にはアミノ酸液がぶっ込んであったり、水が硬くてもケミカルな昆布出汁エキスを投入すれば良いことだったり、もう何でもアリだから、今の時代の関東の食い物が不味いってことにはならない。
 もう添加物は一切使いませんなんて生活を心掛けても、やっすい日本酒にはグルタミン酸ソーダ(つまり味の素的なもの)がふんだんに添加されてるし、醤油だって味噌だって、やっすいのには何が入ってるかわからない。オーガニックってのに徹するのが良いことなのかどうかもわからないが、とことん徹すると調味料だけでなく肉・野菜・魚・水・油など、どれも高価な食材になっちゃうんだろうね。
 どのへんで手を打つべきなのか。これは自分で決めなきゃ、誰も決めてくれない。
 間違いなく言えるのは外食だけだと、食を他人に委ねることになるんだが、そんなの収入や手間を考えたら無理、って人も多いよね。おれみたいに健康上の理由で食事制限でも強いられてるなら別だけど。ていうか心臓病でも塩がんがん摂ってる人とか、止められてんのに酒を止めない人なんてザラで、まあ自分の命だし、いいじゃん、ってことか。みんな自分で決めてるんだよね。

 上水だけでなく、下水のことも書こうかと思ったが面倒になった。かつてバンコクのシーパヤ地区辺りにJICAも協力して建設した下水処理施設があったのだが、滅多に起動することはなかったと聞いた。必要がなかったからだ。下水道を通って流れ込む下水は、熱帯の気温に暖められ、有機的な懸濁は下水管のバクテリアによって分解済みだったからという話や、バンコクの上水道は塩素を抑えてあって、浄水場から出てくる水は、とてもとても良質なんだが、それが各家庭に届く頃には飲み水に適さなくなってる理由は知っていても書きたくない。身元がバレたら入国させてもらえなくなるからだ。ヘタすりゃ命も危ない。あ。もちろん知らないよ。うん。知らない。

รอพี่ที่เขื่อนน้ำงึม ລໍພີ້ທີ່ເຂື່ອນນ້ຳງື່ມ - จินตหรา พูนลาภ ft. แพด เพดดาวอน「Official MV」
 今回の歌は、コッテコテのモーラムだ。タイトルは「รอพี่ที่เขื่อนน้ำงึม(グム川のダムで待ってる)」という曲で、グム川ってのはメコン川の北部にある川で、首都ウィエンティアンでメコンと合流する。グム川と表記するのが一般的みたいだけど、もっと正確に片仮名で再現すると「ングム川」が近い。ダムが嫌いなラオス人なんて聞いたことがなくて、ラオスで見所はどこかと訊くと、自信満々に「ダム!」と答える。もちろん治水の目的もあるけれど、水力発電が大きな目的で、その電力をタイに売っている。黙って息をしているだけで発電されるものを、タイ人に売ってやってるんだ、ってのは気持ちいいような、ちょっと悔しいような、そしてタイ人もそうだが、無条件に水が矢鱈に湛えてあると深く感じ入って気持ちが無闇に昂ぶるようだ。これは日本人のダムマニアもそうか。おれは、あの膨大という形容では足りないほどの馬鹿馬鹿しい量の水が湛えてあると、なんだか笑えてしまうんだが、純粋なダムマニアやタイ・ラオス人は深く感動するようだ。水の量なら海だろう、と思うが、そうじゃなくてダムは自然と人工(アート)の拮抗が良いのだろうか。まあ、わからないでもない。
 去年リリースの曲で、歌っているのはイサーンの歌姫にしてタイ・モーラムの女王チンタラーッさんと、ラオスの歌姫ペッド・ペダウォンの夢の共演だ。
 チンタラーッさんについては、このブログでなん度も紹介してるので説明は割愛する。
 ラオスの歌姫、ペッド・ペダウォンさんなんだが、やっぱりウィキペディアの項目なんてない。国民歌手にして大御所だっていうんだけどね。チャンパサック県パクセー出身。極貧の家庭で育ち、小学校は3年生までしか勉強せず、兄弟姉妹が多く家計を助けるためにパクセーのレストランで皿洗いをした。わずか9歳の女児が、皿洗いかぁ。長じて歌う機会ができ、レストランで歌うようになったというから、アマチュア時代なしの、いきなりプロフェッショナルだ。パクセーからウィエンティャンまで700kmくらいなんだが、その距離は田舎娘には想像を絶する遠さだっただろう。最初のアルバムは2016年。ちょうどラオス音楽産業の衰退期だったので成功とは言い難かったけれども、この曲でタイでも一気に人気に火が点いた。購買層の極端な拡大だ。よかったね。
 曲は正調モーラムとも言うべき構成で、昔のモーラムにはよく使われたโหวดแผง(フワッドペーン)というパンパイプ状の楽器の音に似せたオルガンか電子キーボードのイントロにพิณ(ピン)というペンタトニックスケールに特化したフレットが打ってあるイサーンとラオス特有の3弦の撥弦楽器が追いかけて、テンポルバートの導入部が始まる。導入部を歌い上げたらリズム楽器がフィルインしてコーラス部、そしてラップ部という構成で、これが正調モーラムだと思う。ダウンビートのリズムに乗ってからはお馴染みの縦乗りの2拍子に打楽器がファンキーに裏に回る。イサーン独特のリズムのもたつきが気持ちいいね。けっして上品ではないが、アジアの血が騒ぐ。滾る。沸騰する。
 歌詞だ。ラオ語に寄せたイサーン語になっている。てかほとんどラオ語なんだが画面下部のタイ語字幕がありがたい。とはいえラオ語をタイ文字で表記してるだけなので、こんなのが嬉しいのはおれ以外にいるんだろうか。需要がよくわからない。ラオ語で歌ってみたいタイ標準語遣いのタイ人向けってことなんだろうが、そんな人は、どう考えても少ない。

風を避けて 立って彼を待つ 朝から遅くまで ダムのほとりに立って彼を待つ
水の震えは まるで私の涙のよう
涙が頬を伝う 道が見えない 彼は私を悼んでくれるだろうか
さあ 手を差し伸べて 恋人の涙を拭いてほしいの

グム川のダム 私の涙が喉まで滴り落ちる 
愛して ここに来るように約束したのに 愛の影は見えない
浮いた心が引き裂かれる 水しぶきが光り 美しく目立つのに 私の心は熱い
私をだましたのかしら 彼を忘れなくちゃいけないの
一緒に歩いて行こうと言ったのに 別の新しい女の子の許に行ってしまった
失恋 失恋 涙がこぼれる
彼はグム川のダムの女の子のことは気に掛けていない
彼はグム川のダムの女の子のことは気に掛けていない

がっかりする噂を聞いたの
今度のソンクラーンの予定は決まっていたのに その解消を聞くと悲しくなる
私はダムに一人でいた 私の目は遠くにいる男に向けられている

壊れて壊れて 壊れて壊れた 憂鬱ね
北部の奴隷 タイの奴隷 私は良い思いをしたことがない
ひとときの抱擁 次の機会を座して待てと言うのね
朝から昼まで何もない 良い事なんて何もない 良い事なんて何もない

そう 噂を聞いたの ああ とても悲しい
抱擁なんて すっかり過去のもの 私は呼び続け でも誰も守ってくれない
いつもの道 毎晩、毎朝 あなた来るように呼びかける
あなたの心は疲れているのね
あなたの心は疲れているのね
私の涙は泥水と流れる グム川で

グム川に居るわ……

 これ、歌詞で女性の入水を仄めかしているのに、画像は妙に明るい。
 MV出演の女役だけが泣いていて、垢抜けないラオ人なのがヘンにリアルで泣かされる。チンタラーッさんのバックのバスにMitsubishiと表記されてるけど、信用できない。ちょっとまえまでバンコクの都バスにはベンツと同じエンブレムが付いていて、おれが「なんでベンツ?」と訊くと、うちの奥さんは「えー。あれはバスの印でしょ」と言ってて膝から崩れ落ちそうになった(さすがに今では見かけない。タイにも遠慮というものが浸透したのだ)んだが、まあ本物なら三菱エンブレムの下にアルファベットでFUSOと書いてある筈だ。そういうのを指摘すると、タイ人には「もう。堅いことばっかり言って」って言われちゃうけど、いいのか、それで。ベンツに怒られるのはイヤだが、三菱なら同じアジア人として見逃してもらえるとでも思っているのか。それとも「ミツビシって日本語でバスのことだよね」って思ってるとか。
 ところで、このダムだが、上流の水源近くだから水が透き通ってるね。水が透き通ってるのが当たりまえだと思うのは日本人だからで、タイ人(とくに中央部のタイ人)は川の水が透き通っていると感動する。そんな川や湖は見たことがないからだ。
 川の水がどこまでも濁っているのは、泥のミネラル成分がアニオン(マイナスイオン)を帯びて、それが反発し合ってブラウン運動が止まることなく、いつまでも粒子が沈まないからだ。だから何か酸性のカチオン(プラスイオン)を混ぜて中和させてやればよく、それで昔からそういう懸濁水にはミョウバンが使われる。江戸時代の日本でも使っていた。今は「硫酸バンド」という強そうな名の薬品を使っていて、中身はミョウバンとアクリルアマイドの混合粉体だ。
 まえにチャオプラヤ川の洪水で、水道水が河川で繁殖した藻でアオサくさくなったとき、バンコクの役場は嬰児の握り拳大のミョウバンの結晶を半kgほど各家庭に配って対処させたんだが、藻の汚染はミョウバンではまるで効き目がない。誰か偉い人が「水の汚染? じゃミョウバンだな!」と自動的に決めたのだろう。しかし各家庭ではミョウバンが水処理に有効という知識もなく、ミョウバンを貰っても「これをどうしろと?」と首をかしげ、ほとんどの家庭では使われずに廃棄された。多少ものを識っている家では、ミョウバンの結晶の塊を、脇に擦りつけてワキガの匂い消しに使った程度だ。とはいえ、あんなに大量のミョウバンをすぐに揃えるバンコクの役所は凄いと思った。ていうか、あんなものの備蓄があるってのに驚きだ。
 たぶん日本でも似たようなものだろう。ミョウバンなんて茄子の漬け物や、安いウニの瓶詰めに使われてるくらいの知識しかないのが普通だ。あと意外と知られてないがベーキングパウダー(ふくらし粉)の成分にミョウバンが使われていることが多い。商品の成分欄にはミョウバンではなく「硫酸アルミニウム」と書いてあるかもしれないが、同じ物だ。
 そういえば、もう30年もまえの馬鹿映画でウェインズ・ワールドってのがあって、劇中での言葉を聞き返すシーンで「Exsqueeze me, Baking powder?」ってセリフがあんまりくだらなくて笑って笑って未だに忘れられない。日本で公開したとき、どんな字幕がついていたのだろう。この駄洒落を訳すなんて無理だ。駄洒落をいちおう解説すると、エクススクイーズ・ミー。ベーキングパウダー? ってセリフは、直訳すると「私を絞り出してくれ。ふくらし粉?」って意味で、これは「Excuse me, Beg your pardon?(申し訳ない。もういち度言っていただけませんか)」の洒落だ。くだらないね。
Exsqueeze Me, Baking Powder
この記事についてブログを書く
« 夢で会いましょう | トップ | 魚を食ってすぐに水を飲むと... »

タイ歌謡」カテゴリの最新記事