ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

こぶとりじいさん、イクラ丼を食べる。

2010年09月22日 20時53分31秒 | 日記

最近、食事中の食べ歩き甚だしいぷうちゃん。
遊び食べというより、食べずに遊ぶ。

もうあきらめて、遊ぶぷうちゃんを野放しにして、手招きして、食べさせる。

昨日もこの手で完食。

今日はぷうちゃんの好きなイクラ丼と、むむちゃんの好きなむむちゃんお手製の切り干し大根。
はじめのうち、わぁぉと言って食べるけど、やっぱり今日も途中から遊び始める。ほっぺに容器をくっつけてこぶとりじいさん。

こぶとりじいさんをしながらでしたが、今日も完食。

お弁当は、先週に引き続き、完食。

なんだかんだ、ちゃんと食べてるから、食べ方には両目をつぶって。

これも、むむちゃんの経験からくる振り幅の広さ。

運動会のダンスの練習

2010年09月22日 20時37分22秒 | 日記

運動会のダンスのDVDを借りてきました。
保育士さんが踊ってる映像に合わせて、先日作った鈴じゃらじゃらを手首につけて、練習に励む子どもたち。はじめの三回参加して、ギブアップ。

飽きない子どもたちは、何度でも。

本番まで10日くらいだけど、むむちゃんはばっちり覚えたようなので、良かった良かった。

小学生になっても楽しめる保育園の運動会。良かったね~♪

夕暮れ時のやさしい時間。

2010年09月22日 19時11分05秒 | 日記

学生の中世文学のゼミで、『方丈記』の中の夕暮れの悲しさ、漆黒の闇が迫ってくる恐ろしさについて、フォーカスした討論をしたことがある。

私にとっての夕暮れは、家族が帰ってきて家の中に全員が戻ってくる安心の時間であり、犬の散歩からの帰り道は、あちこちに灯るお家の明かりが郷愁を誘う懐かしいような優しい時間だった。

ゼミでそう言った時に、先生に
「あなたはのどかなところで、幸せに育ったんですね。」
と言われた。

その後10年足らず、その先生を指導教官として、教えを仰ぐことになる。


つい先頃までは、夕暮れは戦闘開始の時間。夕飯のメニューを考えながら子どもたちを迎えに走り、家にたどり着いたら、急いで夕食の支度、食べさせて、お風呂に入れて、洗濯をして、翌日の用意をして、寝かせるまで駆け抜けるように分刻みで過ぐす時間だった。

いま、夕暮れは、むむちゃんとぷうちゃんを迎えに行き、ぷうちゃんは私の用意も待たず、帰ろうとひとりで外に向かって行く。


ぷうちゃんが自転車にも乗らずに、好きな道を選びながら走って家に向かって行く姿を眺めながら、夕暮れ時が、かつての、家族が集う時間に、再びやさしい安らぐ時間を、手に入れられたことを、しみじみとうれしく思う。

家族写真を巡るあれこれ

2010年09月22日 15時59分46秒 | 日記
保育園の入り口を入る度に、気になる貼り紙。
「家族写真を出してください」
毎年、出してと言われて、去年までは、家族の写真なんか出すもんか、と思っていた。


でも、今年は、離婚しているわが家が出さないと、他の人は出しにくかろう、と思ったりして、昨日なんとか得意の切り貼りで作った。元夫の写真も含めて。どうせやるなら、思いっきり派手に。


でも、いざ出そうとして出せなかった。


保育園にいる、もう一組の離婚親子は父はいっさい顔を出さなくなり、一ヶ月に一度の面会のみという家族だから。


そこの親子が出さないのに、元夫が行事への参加も子どもたちの行き来も多いわが家が、たとえ黙々と好きな工作作業の1つと、気持ちを無機質にしながら作ったものであっても、出して貼ってあったら彼女は切なくなるだろうなぁ。


去年までの私はそうだったから。
仲の良し悪しは、にっちもさっちもいかない関係性の中にあり、家族仲良しであることを装うのは、吐き気がするほどイヤだった。

仲良しを矯正されるような家族写真なるものが、本当にイヤだった。


離婚して、せっかくスッキリしたのに、そのあり方で関係性を再構築しているのに、なぜ他の家族に、離婚家族や、仲良し家族に、こんな気の使い方をしているのだろう。


今朝、仲良しママさんに相談したら、家族写真には哲学がない、いままでも出さなかったけど、たぶん今年も出さないよ、と。


言われてなんだかホッとした。

作った家族写真をどうするか、決めてないけど、スッキリした。