goo blog サービス終了のお知らせ 

ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

むむちゃんの誕生日「ハムおじさんっっ!ハムくださいっっ!」ハムおじさんの奇跡

2011年11月18日 14時22分43秒 | 日記

昨日11月17日はむむちゃんのお誕生日だった。
今週は、むむちゃんの誕生日ウィーク。

16日、よりみちのいえの助成ヒアリングがあり、
会議を早退して、ヒアリング対応に駆けつけた。
むむちゃんが、よりみちの時間をどんな風に過ごしているのかも、
あわせて一緒に見学したりしながら。

夕方も仕事帰りよりは早い、ぷうちゃんのお迎え。
きもちゆっくりの夕方に、むむちゃんとハンバーグをつくる。
ハート型のハンバーグ。
むむちゃんも、ぷうちゃんも、お腹がデベソになるくらいに食べて、
さらに、粉雪をつもらせたケーキで、お誕生日イブのお祝い。
うっかりろうそくを7本でお祝いする。
間違えた~!!
でも、イブだからあってるのかな。
ゲラゲラ笑い続ける夜でした。


17日、むむちゃんのお誕生日当日は、
勤務先の行事のため、1時間の残業。
いつもは保育園でぷうちゃんと待つむむちゃん。
今日はひとりでおうちで待つことにする、という電話。
あぁ、お誕生日なのに。

ごめんね、ひとりぼっちにして、ごめんね、むむちゃん。
地下鉄の中を走りぬけたい気持ちで、早く早くと念じながら帰る。
ぷうちゃんのお迎えに保育園に飛び込んだら
ハムおじさん!
「ハムおじさんっ!!!なんで、いるのっっ!!」
だって、むむちゃん、お誕生日にハムおじさんのハムを食べたいって。
でも、いつおとずれるかわからないハムおじさんだから、無理だね、って
言っていたのに。
「ハムおじさんっっっっ!!!!ハムくださいっっ!!」

ひとりで待つむむちゃんへのプレゼント、
むむちゃんの願いどおりのお誕生日のお夕飯。

夜、サプライズにはしゃぎながら、
むむちゃんとぷうちゃんと、今日もデベソになりながら、
大好きな美味しいハムおじさんのハムを
たっぷり食べる。

昨日の残りのケーキに、今日もろうそくを立てる。間違えずに8本。
ぷうちゃんがはりきってハッピーバースデーを歌う。

今日もゲラゲラと笑い転げるむむちゃんとぷうちゃん。

むむちゃんの誕生日。
ハムおじさんの奇跡からはじまる、むむちゃんの8歳。

きっと、見えない力にも、見える力にも、
まもられて今から明日へと伸びていく時間。

読書日記11/12 最相葉月・加藤寛『心のケア』講談社現代新書2011.9、中原一歩『奇跡の災害ボランテ...

2011年11月15日 15時02分03秒 | 日記
盛岡往復の車内で読んだ2冊。

「こころのケア」
311以後、毎日、どこで何を見ていても行き会う言葉。

何か、ざわりとする言葉。
何か、遠のけたい、言葉なのです、私にとって。

阪神淡路大震災後、兵庫県こころのケアセンターに身を置いている
精神科医の加藤さんへの
最相さんのインタビューで成り立つ本書。

「治療しようが、ただ話を聴くというスタンスであろうが、
基本的な態度としてはまず相手に害を与えないということ。
それ以上、その人を傷つけないということ。
被災者役割を押しつけすぎないということ」
「(被災者役割とは)たとえば、何度も何度も被災体験を話させて、つらかった、といわせること」
という、加藤氏の言葉。

そして、最相氏の取材で得た被災地の人の言葉、
「大丈夫ですか、なにか困っていることはありませんか、
がんばってください、とみなさん気遣ってくださいますが、
先にいわれてしまうとなにもいえなくなってしまいます。
どうか、そっとしておいてほしいのです。
この二階には心の相談室があって、兵庫県チームの方がいつも待機しておられますね。
あの方々はなにもいわないですね。ほんと、みごとに、なにもいわない。」

言葉は、いや、姿勢は、むずかしい。
「ケア」とは、望まれるまで、不要なものなのではないか。
と、思ったりする。

チャイルドラインでは、
子どもが電話をかけてきて、はじめて関係性が成り立つ。
子どもが語り出すまで、待つ。
かけてきたことに含まれる想いに気持ちを伸ばしながら、
語りだすまで、待つ。
待つことで、静かにおさまる、想いがある。
静かにおさめていく時間をともにするためだけに、
沈黙にちかい静けさの中で、
ラインの向こうとこちらのつながりが意味を成すことも少なくない。
語りだした言葉が本質的な内容をつむぐことを
必要としないことが、多いことも、また真実。


手を伸ばしていいのは、
おそらくは、選ばれたとき。
語りだすまでの時間を、
待ちつづけること、そのものが、
意味することを心の底に置いておきたい。


もう一冊の『石巻モデル』は、ガツガツと
物流をつくりだし、人の流れを作りだし、
必要な作業を、必要なところで、すみやかに、
動けるように、コーディネートしていった事例と
手法を、紹介している。

そう、必要なときに必要な手助け、が欲しい。
自分の家を片付けていくには、
人手が必要で、私ひとりではどうにもならない物理的な状況がある。
本当は入って欲しくない場所、であっても、
えいやっと、招じ入れることが必要ならば、明け渡して、助けを求めよう。

自分の気持ちについても、同じ。
私が抱えている気持ち、招じ入れるまでは入ってこないでほしい。

******

ケアの本質は、
こころにも、届くことを願いながら、
身辺を環境を快適にしていくために、この手を貸すこと。

こころだけをケアしようとすることも、
身辺や環境だけをケアしようとすることも、
どちらか一方だけでは、不足なのだろう。

あたたかい手を持ちたい。
必要とされた時には、いつでもそっと手を当てられるように。

早起き、朝を堪能する11月。

2011年11月14日 09時10分40秒 | 日記


週末にこそ、朝早い時間の動きだしになることが続く10月、11月。

ようやくこの週末を終えてひと段落。

先々週末
子どもの貧困のシンポは朝7時半に家を出る。
(夜の懇親会のあと、同期会に一時間ほど顔を出す。欲張り!)
翌日は6時過ぎに家を出て名古屋の会議への出席して日帰り。

先週は保育園のバザー秋祭り7時半始動の二日間。

この週末は、朝の出立で盛岡の研修にこれも日帰りで出かけ、
昨日は朝7時過ぎに家を出て、東京ボランティアフェスタの担当分科会へ。

よく動き続ける週末です。

寒さも手伝って、
疲れが残るようになってきたので、
峠を越えられたことに感謝。

先月は、実習におののき、10月を生きのびられるのか!?(大げさ)
などと思ったりしながら、ちゃんとこうして生きている。

今月も、毎週末休日ごとの、がっちりハードなスケージュールを
ひとつひとつ越えて、生きのびられるのか!?
などと思ったりしながら、半分を終えた。

盛岡日帰りは、朝になって欲が出て、
一本早い新幹線に乗り、
「もりおか啄木賢治青春館」で、美味しい珈琲を飲みました。
http://www.odette.or.jp/seishunkan/
バスの中から見る盛岡城跡公園周辺の紅葉も見事な色でした。
昨日の青学キャンパス内の銀杏も見頃でした。

短い時間に、さらにぎゅっと詰め込んで。
いやいや人間は、どこまでもしたたかでタフな生き物です。

こんな日々に折り合いをつけつつ過ごしていくための、
よく寝ること、
なにごともないときを規則正しく過ごすこと、
美味しいものを食べ過ぎない、飲み過ぎないこと、
生きのびる作法は割とシンプル。

シンプルな作法は、日々の中にうめこんでいくといいらしい。
「慣性の法則」は生活にも適用する。
多少疲れていても、それに慣らしておけば、
おのずとえいやっの力をたくさんつかわなくても
体がそのように動いてくれます。

や、極意を伝えるために書いているのではなく、
やや乱れ気味に流されている心身の状態を、
戻さなくっちゃね、立て直します、と
みずからに言い聞かせるために、
書いているわけなのです。


早起き、早出の日々が続き、
朝のきれいな空をたっぷりと見上げることのできる11月。

早出しない平日、まだはじまらぬ今日の空をひとりじめするために、朝を走る。

読書日記11/9 角田光代『よなかの散歩』オレンジページ2011.3 ~大人になるっていうことは

2011年11月11日 22時15分22秒 | 日記
小説が読めないなぁ、
という気分になる時がある。

たいてい疲れているとき。
そんなときは、短いエッセイ集や、
小説でも短編集がよい。

そんなわけで角田光代の『よなかの散歩』
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%88%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE%E6%95%A3%E6%AD%A9-ORANGE-PAGE-BOOKS-%E8%A7%92%E7%94%B0/dp/4873037506/ref=sr_1_13?ie=UTF8&qid=1321016022&sr=8-13

角田光代はお料理好きらしい。
子どもの時はひどく偏食だったのを、おとなになって矯正したらしい。
ということが、彼女のエッセイにはしばしば書かれている。
この一冊の中にもたびたび。

そうそう大人になるっていうことは、
味覚が変化することだ。

私は特にこの夏を期に、薬味好きに変わった。

この夏いっとうはまったのは、ミョウガ。
刻んで素麺のつゆやら、冷ややっこやらにたっぷりたっぷりと入れる。
たまらなく、美味しい。

続いて、ショウガ。
チューブで十分、だったはずなのに、
今年は、生ショウガをその都度、すりおろす。
これもたっぷりが美味しい。

以前から好きな青シソ、あさつきに加え、わけぎ。

そして画期的なのは、ニンニク。
といっても、こちらはたっぷりではなく、ほんのちょっぴり。
これも生を、つぶしてオリーブオイルの低温から一緒に炒める。
ニンニク、苦手だったのに。

そして、やはり苦手なネギも、せっせと刻む。
生はやっぱり不得意だけれど、火を通すものなら、
どんどんたっぷり入れる。

冷凍庫は、いつでもスタンバイの薬味たち、
冷蔵庫にも、出番を待つ固まりたち。

なんだか、豊か。

そして、最近ぬか漬けを漬けはじめた。
この夏ハマって絶やさず作り続けたきゅうりの塩もみ。
寒くなってきて塩でもむのは手がかじかむし、ちょっと面倒になってきた。
ぬか床に漬けるほうが簡単そう、という理由で。

きゅうり、大根、人参。
ぎゅっとぬか床に差し込んでおくだけで、
まる一日たつと、程よく浸かっている。
なんて、簡単、便利。

薬味をすりおろすとき、刻むとき、
そしてぬか漬けを取り出しぬかを洗いおとすとき、
大人になったなぁ、としみじみ、思う。
大人にはなれるものなんだなぁ、とつくづく、思う。

本、図書室、図書館について考える時間 ~ 第13回 図書館総合展に行く

2011年11月11日 16時05分22秒 | 日記

司書の仕事の関係で、パシフィコよこはまで行われている図書館総合展に行く。
http://2011.libraryfair.jp/about

図書館に関わる業界のブースが多数出展されている。
何から見ていいのか、クラクラするけれど、
そう、今回のミッションは、
高校図書室のプチ整備のためのハードの開拓。

そのために、どんなものがあるのか、
情報を収集すること。
といことで、ぶ厚いしおりの中の、
学校図書館関係の名目のついた企業名にマーカーを引き、
片っぱしからたずねることに。

自社、自団体のとりくみのプレゼンテーションを
ひたすら受け続けながら、
少しずつ何を質問し、何を獲得していけばいいのかがわかってきました。
やり慣れない仕事。つかれた~。

全体として、ハードの部分ではなくて、
情報をどのように生かしていくのか、
どうアプローチされるための工夫ができるのか、
というところに力を注いでいるブースが半数をしめていたようでした。

図書館は本と出会う場所、というシンプルさを
ここまで複雑にできるのか、と、関心もし、食傷もし。

******

立ちっぱなし、歩きっぱなしの、ひとやすみと、
どういうわけか、NPOのつながりで一緒にシンポに出たことのある
シャンティの市川さんが出場しているということで
L-1グランプリの最終プレゼンを観戦しました。
http://2011.libraryfair.jp/taxonomy/term/2

被災地で図書館は何をできるのか、というテーマ。
4チームとも、が、
人の集う場所。相談や雑談や話のできる場所。
人のつながりのできる場所。情報のステーション。
というようなキーワードで、図書館的活動の活用のあらたなとりくみを発表しまし
た。

4チームの中には制服の中高生グループのチーム「MEISEI」が
あって、楽しみにしていたのですが、
制服に似合わぬ、大人びた、社会システム構築の提案で、
ちょっぴり残念。

結果は、シャンティの「走る移動図書館」の優勝
http://sva.or.jp/eru/tohoku/iwate/
「MEISEI」の制服組みが準優勝でした。


あくまで、とっても主観的雑感なのです。
審査の講評を行った筑波大学の多田先生が
「図書館と言ったとき、そぎ落としてそぎ落としてそぎ落として最後何が残るのか」
それを聞きたかった、とコメントしていました。

私だったら……と、考える。
ひとりの時間。ひとりで本と向き合う時間を保証してくれる場所。

私にとって、時流がどのように流れ、
図書館の機能がいかに広がり、変容しようとも、
そこを侵されたら、図書館は役割を終えたと思うだろうな。

日常を離れ、家事も育児も仕事も離れて、
本と出会い、本と向きあい、
すなわち、他者と出会い、おのれと向きあう場所、
それが図書館、図書室、本を読む時間と言ってもいい。

相談したいこと、話したいこと、人とつながる場所、孤独を埋める作業、
…果たして図書館のほかでもできるのではないか。

思考を深め、知を蓄える孤独な作業に立ち向かい、
自らを考察し、おのれと向き合う孤独な中に、
雑音を排し、身を十分におくことのできる場所は、案外に少ない。

ましてや、被災地である。
望む望まざるによらず、他者の手を借りることが、
生活を成り立たせるための条件ともなりがちであり、
共同生活に救われ、助けられ、しかしながら逃れる術もないとも言える。
新たな刺激に満ち、はじめてのことのオンパレードの中を
かいくぐりながら、生活を立て直していく、能動的な決断と活動を日々迫られる。

利用者が少なくてもいいではないか、静寂の中に頁をめくる時間を、
保証する図書館に、ひととき、人生を生活をひとやすみしに立ち寄る。
それでいいではないか。

本の中の変わらぬ懐かしい友と出会い対話する時間。
それをそっと差し出せる図書館は、
それだけで十分に、十二分にすばらしい。

偏屈者かしら、わたくしは。
いえ、司書でございます。

こよなく、本を愛し、図書室を愛し、図書館を愛し、
よくよく思い返してみれば人生の長い時間を図書館に棲息してきた、
いち私人であり、いち司書でございます。