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ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

読書日記12/14-15 三浦しをん『風が強く吹いている』

2011年12月15日 15時50分08秒 | 日記
ううむ、久しぶりの大当たりです。

一分一秒、息をするのさえ惜しんで読みたくなる。
途中で何度も、胸がつまり、手に汗握り、目頭が熱くなったりもして。

最後まで読み終える頃には、感動も感激もたっぷり通り過ぎて
あぁ、良かった、ほんとうに、良かったと、ホッと安心する。

いいんです。予定調和の終わり方で。
そこに到るまでのディテールが、しっかり細かにぎゅぎゅっと
書き込まれていれば大丈夫なのです。

あぁ、良かった。
すっきりしました。

もう、この厚い本を抱えて手放せないままに、
あちこち出掛けずに済みます。


今年の箱根駅伝は、ひときわ楽しみです。
よし、年越しモードだ。

あと少し、今年をがんばろ~。
三浦しをん、ありがとう!!

空を、見上げていたなぁ。冬。

2011年12月12日 15時13分58秒 | 日記
昨年の冬は、よく空を見上げていた。
保育園のとんがり屋根の上の方にひろがる青空。
この時期は、空がきれい。

学校のキャンパスの中に、起伏のはげしい地形がひろがっていて、
高い校舎を避けると、とたんに空が広くなる。

背の高い木々の梢は空にとどく。
青空から、いちょうの金色がふってくるよう。

足元ばかりをみてしまいたくなる
寒い日々。
年末は一年分の疲れと反省と後悔と、
ほんとうに今年を終えられるだろうか、という焦りとが
ないまぜになって、顔を上げることを忘れがち。

空が、金色の葉を散らして誘導する。
顔をあげてごらんよ。

そういえば、皆既月食。
首が痛くなるほど、頭のまっすぐ上に
オレンジ色の月。

月も美しかったけれど
星も美しかった。

ここでこんなに星をたくさんしっかりと見ることができたのは
はじめてかもしれない。

空は、いつもそこにある。
ふりあおげば、そこに。

忘れているのは、私。
今年も、あと少し。

う~んと見上げて、がんばろ~。

読書日記12/9-10 三浦しをん『木暮荘物語』、湊かなえ『夜行観覧車』

2011年12月12日 15時08分55秒 | 日記
三浦しをんを読み続けています。
作品によって、作風が異なるので、私の好みとの相性で探るのに試行錯誤します。こういう作家さん、珍しいなぁ。

『木暮荘物語』は、荘だけあって、先日読んだ乾ルカの『てふてふ荘』とテイストが似ている。
古くて安い下宿屋さんというのか共同住宅というのか、を舞台にした小説やお話は、それでひとつの群をつくることができそう。
今年読んだ中でも、『神様のカルテ』にはじまり、
てふてふ荘、木暮荘。
馴染みでメジャーなものでは、
めぞん一刻も、ちゅらさんも、舞台は下宿屋さん。


さらに、押し掛け同居の設定も、このところ立て続けに読んでいる気がする。
『植物図鑑』とか『かわいそうだね?』とか『ビターシュガー』とか。

他人同士で壁を隔てつつ、互いの生活をそろりと感じながら住み合う。
程よい距離を保った関係作りは実際は容易ではないけど
憧れがある。

最近、ルームシェアとかコーポラティブハウスとか、共同住宅の集会室を居間のように使うこととか、目にすることが増えている気がしていたら、
311以後、置き方、あり方、多様に集う場づくりにフォーカスがあたっている。
人と人のつながりの紡ぎ合わせは
普遍的でもあり、「いま」この時代のテーマなのか、と思う。

『木暮荘物語』は、私の勝手な三浦しをんらしさを感じることはできなかったけれど、そんなことをぼちぼち考える本でした。


湊かなえの『夜行観覧車』も、同じ文脈で読むと、
コミュニティの作り直し、のお話でした。

隣近所との程よい距離とか、
住まうエリアの見えない同質性とか、
厳密にときほぐしていくと、ゾッとするような。

湊かなえにしては珍しく、救いのある閉じ方をしてくれて、ホッとしました。


とっても当たり前なのだけれど、
生きることは暮らすことなんだなぁ…。
暮らしの場を整えていくことは、生きることと直結している。
『夜行観覧車』が殺人事件を題材にしているだけに、
なお、そう思う。

クリスマスよ、やってこい

2011年12月09日 20時45分32秒 | 日記

学校の正面玄関には12月になるのと同時に
クリスマスツリーが登場しました。

わが家にも、小さなオーナメントのツリー。
どういうわけか、むむちゃんがした飾りつけの結果、
サンタもトナカイも天使も背中を向けています。
????

むむちゃんいはく、一日ひとつずつ
こちらを向いていく予定、とのこと。

クリスマスへの時間の楽しみ方を、
そうやって、ひと工夫。

むむちゃんの読書日記 森田ゆり『気持ちの本』(童話館出版 2003.7)

2011年12月09日 16時43分27秒 | 日記
わが家にある子どもたちの本の中には、
むむちゃんやぷうちゃんに読まれるのを待つ本たちがある。

昨日、日の目を見た一冊が
森田ゆりの『気持ちの本』。
一年以上、静かに待ち続けた絵本。

夜、寝るときの読書としてひとりで静かに読みはじめ、
ぷうちゃんの絵本を読み終えても、
「もう少しよんでもいい?」と。

そろそろ電気消すよ、と、声をかけると、
「う~ん。」

電気を消しておしゃべりタイム。
「いい本があるんだね~。
むむの思うことと、ちがうっていうところがぜんぜんなかったよ。」

そう? いい本だった?

「あのね、言いたいことがあっても、ことばにならないことがあるって。
なんでも話してね、って言われても、ことばにならなくて言えないこともあるって。
そういうときは、どういう風に言ったらいいか、いっしょに考えようって、
かいてあったよ。
あるんだよね、ことばで言えないことって」

そうだよね、うん、わかる、それ、よくわかる。
それを認識していて、この絵本を読みながら
それを表現し直せるむむちゃんこそ、なかなかやるなぁ、と思う。

むむちゃんは、昨日一日学校をお休みした。
不定期だけれど統計をとると一ヶ月に一日、むむちゃんには自主休息日がある。
昨日は、そんな日だった。

一日中、ひとりで何を考えているのだろう。
ことばにならない何かを、ぼんやりと携えて、体も、頭も、心も、休めていたのだろうか。

今朝は、元気に勢いよく学校に向かった。

休む力、回復する力、それらを抱き込みのみ込み消化してく力。
いずれも、ほんとうに、
手放しで、すばらしい、と思う。

そんな力に寄り添う本の一冊として
森田ゆり『気持ちの本』童話館出版
http://www.amazon.co.jp/%E6%B0%97%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E6%A3%AE%E7%94%B0-%E3%82%86%E3%82%8A/dp/4887500505