森岡孝二の『就職とは何か』を読む。
ため息。
どんな風に働く構造にコミットメントしていったら、
良い働き、は、できるのだろうか・・・。
気が重くなるけれど、これはまごうことなき現実であって、
知って置くべき事実。
そして、ここで書かれた厳しさに身をさらさずに
するりと、働くことの楽しみと、働く場に自らがフィットする場に
いざなわれることも実際には多くあることも、奇跡のようだけれど真実。
読んでいて苦しい、と思うのは、
働く意思がありながら、働く場を得られないこと。
就活うつ、就活自殺、なるものが増えている、ということ。
あわせて、ホワイトカラー大卒の20代~30代の過労自殺も、増えているということ。
年間労働時間が、30年前に2100時間だったのが、今平均では1800時間になっているけれど、
男性正社員を見ると2700時間にもなっていること。
森岡さんの提案は、ワークシェアリング。
労働時間も、賃金も、過剰に長かったり、過剰に低かったりするのを
避けよう、という提案。
ワークシェアの提案は、この10年くらい行われているけれど、
この10年、実現されていない。
それでも、粘り強く、そう提案していけば、社会の構造は変わっていくのだろうか?
どんな時間の流れで?
ひとりひとりでは変えられないことを、百も承知で、
変えましょうという言い続ける粘り強さと、あきらめない、気持ち。
その間、「いま」にあらがえない中で、生き続けることを、
励ましていけるだろうか。
自らも含め。
すこし、弱気。
*************
そんな本を読んだ後に、続けて。
浦坂さんの『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』を
ちくまプリマー新書で見つけて、読む。
懐かしいといっても、一方的に論文を読んで知っているだけ。
NPOでの就労について論文を書いていた時に
何度か遭遇したので、けっこう一生懸命読んだ時期がありました。
高校生に向けて書かれた本書。
生きることは働くこと、そこに到るプロセスとして
大学の価値の有無について、辛口に、自省的に述べていく。
いろんなトピックがあったのだけれど、印象に残るのは、これ。
数学を、はやまって捨てちゃイケない。
捨てなかった人は捨てた人より、平均年収が100万くらい多い。
のだ、そうです。
経済学的に調査をして、統計を出したところ
びっくりするほどきっぱりと、こんな結果が出たそうです。
ちょっとシンプルすぎて、誤解も招くけれど、
論理的な思考とか、条件や環境を見渡した中で、
今、目の前に生じているものが何なのかを読み解こうとするとき、
使っているのは文学脳ではなく、数学脳だなぁ、と
思うことは、しばしばある。
好きで熟達する日本史世界史などの社会科や、理科に比べると、
好きでなくとも、くり返し勉強していて報われるのは数学だという
気がする。
数学は覚えることが極力すくないので、暗記容量が小さな私には
割と都合のよい科目でした。
でも、統計は統計です。
数学を捨てなければ、年収が100万あがるわけではないのです。
平均とは、そういうもので、
苦しみながら、挑む価値を覚えるかどうか、
個々人の今に帰するものなのだろう、と、思う。
************
森岡さんの本を読むと、浦坂さんの本が、
小手先のことのようで、うつろに読めてしまう。
うつろだけれど、いま、を生きることは、
シビアな現実と、
日々に織り込まれたファンタジーとを
行ったり来たりしながら、
時に運ばれるわが身を、「生きている」と実感することなんだ、と、思う。
ため息。
どんな風に働く構造にコミットメントしていったら、
良い働き、は、できるのだろうか・・・。
気が重くなるけれど、これはまごうことなき現実であって、
知って置くべき事実。
そして、ここで書かれた厳しさに身をさらさずに
するりと、働くことの楽しみと、働く場に自らがフィットする場に
いざなわれることも実際には多くあることも、奇跡のようだけれど真実。
読んでいて苦しい、と思うのは、
働く意思がありながら、働く場を得られないこと。
就活うつ、就活自殺、なるものが増えている、ということ。
あわせて、ホワイトカラー大卒の20代~30代の過労自殺も、増えているということ。
年間労働時間が、30年前に2100時間だったのが、今平均では1800時間になっているけれど、
男性正社員を見ると2700時間にもなっていること。
森岡さんの提案は、ワークシェアリング。
労働時間も、賃金も、過剰に長かったり、過剰に低かったりするのを
避けよう、という提案。
ワークシェアの提案は、この10年くらい行われているけれど、
この10年、実現されていない。
それでも、粘り強く、そう提案していけば、社会の構造は変わっていくのだろうか?
どんな時間の流れで?
ひとりひとりでは変えられないことを、百も承知で、
変えましょうという言い続ける粘り強さと、あきらめない、気持ち。
その間、「いま」にあらがえない中で、生き続けることを、
励ましていけるだろうか。
自らも含め。
すこし、弱気。
*************
そんな本を読んだ後に、続けて。
浦坂さんの『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』を
ちくまプリマー新書で見つけて、読む。
懐かしいといっても、一方的に論文を読んで知っているだけ。
NPOでの就労について論文を書いていた時に
何度か遭遇したので、けっこう一生懸命読んだ時期がありました。
高校生に向けて書かれた本書。
生きることは働くこと、そこに到るプロセスとして
大学の価値の有無について、辛口に、自省的に述べていく。
いろんなトピックがあったのだけれど、印象に残るのは、これ。
数学を、はやまって捨てちゃイケない。
捨てなかった人は捨てた人より、平均年収が100万くらい多い。
のだ、そうです。
経済学的に調査をして、統計を出したところ
びっくりするほどきっぱりと、こんな結果が出たそうです。
ちょっとシンプルすぎて、誤解も招くけれど、
論理的な思考とか、条件や環境を見渡した中で、
今、目の前に生じているものが何なのかを読み解こうとするとき、
使っているのは文学脳ではなく、数学脳だなぁ、と
思うことは、しばしばある。
好きで熟達する日本史世界史などの社会科や、理科に比べると、
好きでなくとも、くり返し勉強していて報われるのは数学だという
気がする。
数学は覚えることが極力すくないので、暗記容量が小さな私には
割と都合のよい科目でした。
でも、統計は統計です。
数学を捨てなければ、年収が100万あがるわけではないのです。
平均とは、そういうもので、
苦しみながら、挑む価値を覚えるかどうか、
個々人の今に帰するものなのだろう、と、思う。
************
森岡さんの本を読むと、浦坂さんの本が、
小手先のことのようで、うつろに読めてしまう。
うつろだけれど、いま、を生きることは、
シビアな現実と、
日々に織り込まれたファンタジーとを
行ったり来たりしながら、
時に運ばれるわが身を、「生きている」と実感することなんだ、と、思う。