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ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

読書日記12/26 辻村深月『ネオカル日和』

2011年12月27日 16時55分49秒 | 日記
エッセイを読むと、小説の作風との異なりに、
ホッとする人もあれば、
ハッとする人もある。

辻村深月は前者。

そうか、書きたくて書いてきたんだ。
そうか、オタク的に深入りして興味をもっちゃうタイプなんだ。
そうか、図書室も、図書館も、本屋も、本も、映画も、好きなんだ。
なんだか、友だちになれてしまいそうな、気がする。

作者が見えると、
作品に深くのめりこむことが怖くなくなる。
書き手の姿が見えると、
これは書かれながら生み出されたお話なんだ、と思えるからだろうか。


作者の姿が、生き様が、
作品の色を濃くした作家に故・辻邦生さんがいる。

今朝の新聞で、辻さんのパートナーであり
母校の美術の教授だった辻佐保子さんが静かにひとりでなくなられたことを知った。
今年は母校の看板の女性の先生が相次いでなくなられた。
菅先生、竹村先生、退官後ではあるが辻先生。

命には限りがある、ということを、つくづくと感じる年の瀬。

読書日記12/20-23 石川結貴『ルポ子どもの無縁社会』中公新書、渡辺淳一『事実婚 新しい愛の形』集...

2011年12月27日 16時48分26秒 | 日記

クリスマスを前に、『子どもの無縁社会』を読む。

私自身も仕事の中で幾度も触れてきている子どもたちの厳しい現状。

それでも、
それでもあらためて、頭がくらくらする。
これが、本当に、この地続きの日本の中で、
子どもたちに到来している現実の一部を切りとったお話なのだ、と。

家族ごと、身の置き所がなくなることも、
親子で、家族で、他に結びつくよすがを一切合切持たなくなることも、
やむなく、子どもと親とが引き離されることも、
そして、子どもが、親に、明確な意思をもって捨てられることも、
あるのだ。

毎日を、朝を晩を、子どもたちと、
言葉を交わし、食事をし、寒いね、暖かいね、うれしいね、疲れたね、
と言い合えるのであれば、きっと生きてゆけると、
思っている。

だけれど、
そう言い合える環境を、そう言い合える状況を、条件を、
維持するところにも、はるかに高く大きなステップがあり、
私は、きっとそこのところのステップは越えたところで、
「日々をつむいでいくのは、なかなか大変なことだなぁ」、と
実感しているのに過ぎない。と、思いしらされる。

そして、いつ、なんどき、そちら側にいくやもしれぬ危うさと、
決して、そうはならないであろう、確かさとが、
ないまぜになって、せまってくる。

誰も責められない。
子育てを放棄して、日夜ゲームにはまる、親ですら、
責めきれない。
ゲームにはまりながら、得たいものが、
ゲームにはまらずには、得られなくなってしまった、それは、
個人に帰する問題ではないはずだから。

ため息を幾度ものみ込みながら、読み終えた。

***********
続く一冊は、渡辺淳一の『事実婚』。
新たな愛の形、なのだそうだけれど、そうだろうか。

読みながら、
読み終えるころに、
しっかと刷り込まれたのは、
「ひとりでも生きられることを前提にできるほど、
自立せよ。
さらば、婚姻の形態を選ぶ自由はあろう。」
ということ。

自立した収入を得られる未婚者にとっての選択肢であり、
いまの、この社会の、
十分に自らを食わせることのできない収入が
結婚の妨げになっている多くの結婚願望を秘めた未婚者にとっては、
新たな希望ある選択肢にはならない。


二冊の本を読んで、
ひとりで生きよ、
ひとりでも生きられる強さを、したたかさを身につけよ、
この時代を生き抜く術は、そこにあり、
そう言い聞かされている気がして、
ズンと、重たくなった。


はたして、そうか・・・。

今年も終わり、クリスマスの日々。

2011年12月27日 13時22分36秒 | 日記



クリスマスは、単独の1日では終わりません。
今年も、ここ数日はクリスマスデイズでした。

******
今年は24日に開催された保育園のクリスマス会の委員。
二度目のクリスマス委員。
一緒に組むメンバーに、今回もめぐまれて、
やることのボリュームにくらべて、
打ち合わせの時間もスムーズにコンパクトに進みました。

当日は、やっぱり朝から夕方まで、
裏方で駆け回りながら過ごす。
合間合間で、合唱団で歌ったり、ダンスバトルで踊ったりしながら、
ぷうちゃん、むむちゃんの活躍やら、緊張ぶりやらに笑いを誘われ。
そんなこんなひっくるめて、楽しくすごせました。
この時間も、クリスマスプレゼントのひとつ。

*******
保育園の行事だけれど、卒園してしまったむむちゃんたちも積極参加。
昨年は、むむちゃんたち同期5人ぐみで、劇を披露。
今年は、同じメンバーでピアニカの合奏を。
子どもたち2曲に、なぜか母たちがハンドベルで2曲。
23日の午後に集まっての一回2時間の練習で、、
子どもたちも、母たちも、ばっちりあわせて当日。
子どもたちも、母たちも、ひとりひとりがとっても違っているのに、
気が合う仲間たち。
そんなことをしみじみ感じる数時間は、
これもやっぱり今年のクリスマスプレゼントのひとつ。

23日には、朝からむむちゃんぷうちゃんと
ここ数年恒例になっているクリスマスカードづくりにも励んだ。
今年は誰に送ろうか。
どんなメッセージを添えようか。
ひとりひとりに想いを馳せる時間。

******
クリスマス会ですっかり疲れ果てたのも束の間、
今度はおうちのクリスマス。
今年は、美味しいケーキのプレゼントがあり、
直前にハムおじさんが来てくれたこともあり、
そして、サンタクロース以外の幾人もから
プレゼントをいただいて、
むむちゃんにも、ぷうちゃんにも、うれしいがいっぱい。
私にもうれしいがいっぱい。

お部屋の中をたっぷり暖めて、
昔の写真を見たりしながら、
おもちゃたちで遊んだりしながら、
美味しいケーキを何回にも分けてつまんだりしながら、
ゆるりゆるりとした時間。
この時間も、クリスマスプレゼント。

ちなみに、むむちゃんのサンタさんのプレゼントは
ずっと願い続けていた一輪車。
ぷうちゃんは、背伸びしたベイブレード。

ママサンタからの二人へのプレゼントはゆたんぽ。
暖かな冬を過ごそうね。

******
静かな夜に、
幾度も過ごしてきた子どもたちとのクリスマスを思い出す。

今年一年の日々を重ねるように思い出す。

いろいろ、ある。
人生だから。
日々の歩みが積み重なって、今にたどり着いているから。

この身ばかりではなく、
心もただよう。
ただよう中で、今日、いま、この日、この時間、
この世に慈しまれて、「在る」、と感じられる。
ずいぶんとたくさんの人たちを、
その人たちとのやりとりや眺めてきたひとりひとりの所作を、
いとおしく思い起こすことができる。

手のひらの中に、胸の中に、
ほんわりとしたちっぽけな、
だけれど、たしかなあたたかさ。

生きて、生きつづけて、
このいま、
に、たどり着けたことに感謝。

すべて、OK。
これまでのすべては、OKでした。
だから、心おきなく、明日から、また。
そう思えたのが、
何よりの、クリスマスプレゼントでした。

今年も、ステキな、クリスマスデイズ、でした。

読書日記12/14-15 三浦しをん『風が強く吹いている』

2011年12月20日 22時46分20秒 | 日記
ううむ、久しぶりの大当たりです。

一分一秒、息をするのさえ惜しんで読みたくなる。
途中で何度も、胸がつまり、手に汗握り、目頭が熱くなったりもして。

最後まで読み終える頃には、感動も感激もたっぷり通り過ぎて
あぁ、良かった、ほんとうに、良かったと、ホッと安心する。

いいんです。予定調和の終わり方で。
そこに到るまでのディテールが、しっかり細かにぎゅぎゅっと
書き込まれていれば大丈夫なのです。

あぁ、良かった。
すっきりしました。

もう、この厚い本を抱えて手放せないままに、
あちこち出掛けずに済みます。


今年の箱根駅伝は、ひときわ楽しみです。
よし、年越しモードだ。

あと少し、今年をがんばろ~。
三浦しをん、ありがとう!!

読書日記12/20 飯島奈美『シネマ食堂』朝日新聞出版

2011年12月20日 22時12分18秒 | 日記
飯島奈美さんの、お料理がとても魅力的なのです。

そして、お料理に惹かれて、
映画を観たくなるのが、この一冊。

観たことのある作品は、もう一度。
観たことのない作品は、あらためて。

観たことがない作品で、観たくなったものを
備忘録がわりに。

「のんちゃんのり弁」
「きょうの猫村さん」
「食堂かたつむり」
「ウェイトレス」
「タンポポ」
「歩いても歩いても」
「深夜食堂」
「ジェイン・オースティンの読書会」
「恋人たちの食卓」
「南極料理人」
「主人公は僕だった」
「おいしい生活」

ふう、満腹です。