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ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

青空に、凧があがる

2011年12月29日 23時28分09秒 | 日記

仕事納めの翌朝早々に、
むむちゃんと、ぷうちゃんと、実家に向かう。

ぷうちゃんは、あと何回寝れば、と、指折り数えてきたじぃじの家。

朝は起こさずに起きてきた子どもたち。

ぷうちゃんは「きょうだよね、やった~」

むむちゃんは「ママ、今日は実家に帰るから嬉しいんでしょ」と。

あわただしく、バタバタした出発。
それでも時間通り、お昼前には到着した。

むむちゃんの従姉妹たちふたり改札の柵から身を乗り出して、手を振っている。

その後ろに弟が。
そのさらに後ろの柱のかげから父が、子どもたちを驚かせた。

家に着くと、ベランダに妹と母が顔を出す。
ふたりとも、まぶしいくらいキラキラのピカピカの笑顔で、
おかえり~、と。


帰ってきました。
今年も、一年を終えて。


****
ぷうちゃんの楽しみは、凧上げとお餅つき。

むむちゃんの好物のお花のお寿司がお昼ご飯に用意されている。
子どもたちはにぎやかに食べたあと、
さっそく凧上げ~!

運動公園で、子どもたち四人が、4つの凧をあげる。

弟、妹、父、私、見守るおとなも四人。

青空に、4つの凧。
ひたすらに空を見あげていると、
宙空に立っているような。


あぁ空はこんなに広く大きい。
こんなに広く大きい空のなか、いま、私たちはここにいる。
それは小さな奇跡。



あぁ、いつかきっと、むむちゃんの、ぷうちゃんの、帰る場所になれますように。
ピカピカのキラキラの笑顔で、おかえりと、迎えられますように。

いつか、きっと。

むむちゃんとぷうちゃんに見る、子どもがひろげる子どもの居場所

2011年12月28日 17時47分04秒 | 日記
今日は仕事納め。
昨日に繰り上げて納めてしまう予定だったのだけれど、
やむをえないことなどもあり、出勤することにしました。

冬休みのむむちゃんの行き先に日々困っている。
この二日間は、よりみちのいえに助けられました。
が。

恐る恐る職場で、副校長先生と部長とに相談すると、
連れてきてかまわないですよ、と、
あっさり、ふんわり、かる~く、言っていただく。

心がほどけるようです。

そして、今朝、ぷうちゃんが泣いてむむちゃんにすがった。

ぷうちゃんも連れて行って、と泣くのではないかと
覚悟をしていたのです。
しかしながら、ぷうちゃんは、
「ぷうちゃんと、ほいくえんにいてよ~(涙涙涙)」

むむちゃんは、母と出勤、職場見学、
ルンルンの気持ちで過ごしていたのです。

そこへ、ぷうちゃんのジャブ。

本泣きのぷうちゃんに、始めは邪険に扱っていたものの、
しだいに途方にくれて、迷いが広がりはじめる。

ぷうちゃんは、涙を流してむむちゃんにとりすがり、
腕をにぎってはなさない。

そして、出発間際、「わかったよ、ぷうちゃんと行くよ」

そして、保育園。
ぷうちゃんとむむちゃんと一緒に過ごすのは難しい、と
言われていました。
もしも、一緒には過ごせないよ、と言われたら、
ぷうちゃん、あきらめようね、と言い聞かせながら。

ぷうちゃんの「むむとほいくえんですごしたい」熱は、昨日から。
昨日の悲しい泣きっぷりを知っていて、
今朝のさめざめとした様子にも想いを馳せてくれる職員さんのおかげで、
むむちゃんはぷうちゃんと、保育園で過ごせることになりました。

*******

ふたつのことを考える朝。

ひとつは、ぷうちゃんのむむちゃんを慕う気持ちと、
それにこたえる、むむちゃんの姿。

10代のころに、私が共に生きていくのは弟であり、
父や母ではない、と、考えていた時期があった。
母とも、父とも、20年、30年、違う時代を生きている。
私が共に生きるのは、弟となんだ、と。

むむちゃんと、ぷうちゃんを見ていて、それを思い出す。

ふたり、この時代を生きていける。
その種をすでに有していることが目に見えてわかった。
この時代を、同時代を生きる仲間として。

・・・・・・・
もうひとつは、居場所は子どもたちが、切り開く、ということ。

職場の学校の、連れてきてどうぞ、に救われた。
むむちゃんをどうしよう、の不安が、ふっと軽くなった。
そして、むむちゃんがいたから、言い出せた。
学校という職場に子連れ出勤の申し出ができたのは、そこに子どもが居たからだ。
そこにむむちゃんが居るからだ。
むむちゃんの存在は、ちょっぴり「子どもが居ていい場所」を押し広げた。

むむちゃんぷうちゃんの保育園は、いつだって
卒園した子どもたちに、在園する子どもの兄弟たちに寛容。
冬休みの卒園生たちがやってきて、そこで過ごす子どもたちがいて
保育園も、「子どもが居ていい場所」を実践する。

そして、もうひとつ、よりみちのいえ。
4月にはじめたよりみちのいえ、おのずと、自分の子と周辺の子どもたちが集まる。
わが子がいるから、子どもたちがどんな風に時間を過ごすのか、気になる。
目の前に、リアルな子どもが居る。その子たちをともなって、
子どもたちと体あたりで「子どもが居ていい場所」を
地域の中に、さがし、つくり、開拓していくことになる。

「わが子を中心」というところが、社会的な活動として、どうか、と指摘されることがある。
いいでは、ないか。
子どもの育つ社会、子どもの育つ地域は、
わが子の育つ環境を延長していった先に包含されていく。
そこから始めずして、どこから始める。

・・・・・・・・・
母という立場から、
日々を生きているということは、
そのまま子どもたちの暮す場をどうつくるか、ということの実践に他ならない。

子どもという立場から、
日々を生きているということは、
生きるフィールドをすべて子どもの居場所としていく試みに他ならない。

だから、子どもたちよ、ただただ生きて、そこに在れ。

あなたたち自身の存在そのものが、
あなたたちが動かす手が、足が、
あなたたち同時代を生きる仲間と、
この社会の中に「子ども」の世界を確立していく。

子どもたちよ、ただただ生き抜いて、そこに在れ。
きみたちがそこに居る、そこから始まるこの社会なのだから。

読書日記12/27吉本隆明『ひとり(15歳の寺子屋)』講談社

2011年12月28日 17時34分17秒 | 日記
ひさしぶりに吉本隆明を読む。

あぁ、なんてウソのない人なんだろう。

飾られない、いつわらない言葉がそこにあることに、ホッとする。

むむちゃんの言葉を借りれば、
「ぜんぶ同じ気持ちが書かれている」
書かれたすべてに、うなずきながら読めることにホッとする。

ときどき使われる比喩だけれど、
仏師が木に埋まる仏を掘り出すように、彫る、のと似て、
心の中にあるそれを掘り出すように言葉で形を与えてくれる。

とりわけ、ひとりであることをどんな風に抱えるか、
について、書かれた下りでは、
丁寧になでられるような、安らかな気持ちで読む。

*****
人は誰でも、誰にもいわない言葉を持っている。
沈黙も、言葉なんです。
沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人になるきっかけをちゃんと持ってるといっていい。
自分や誰かの言葉の根っこに思いをめぐらせて、それをよく知ろうとすることは、人がひとりの孤独をしのぐ時の力に、きっとなると思います

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頭の力じゃなく、
言葉の力じゃなく、
吉本隆明の力です。

この人がいることを、忘れてしまう時間を、
できるだけ少なくしよう。
思考の、拠って立つ所として。

木枯らしが吹き、年の瀬の空

2011年12月28日 16時50分03秒 | 日記
クリスマスを過ぎたとたんに、
職場の高い窓から見える空の色がかわった。

イチョウの黄金色を反射していた華やかな空、
一気に葉を落とす風が吹き抜けた。

ひゅぅぅ~、の音は、効果音そのものの本物の木枯らしのこえ。

そして、葉の落ちた木々の間の空は
すこしもの憂げ。

今年が終わっていくのを、悲しんでいるようで、
今年をしっかりとかみしめているようで。

そっと、来りし道をふり返る。
あくまで、そっと。

よく、ここまで来たものです。
今年のゴールにまもなくたどりつきそう、
それだけで、ハナマル。

いろいろあった一年でした。
そのいろいろを、ひとつひとつあげていったら、
重くなりすぎるから、
そっとまぶたの奥の向こうの方に押しやって、
いろいろ、と、
みずから、言い含めてしまう。

それでいい、これでいい。
今年も、おわってゆきます。