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ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

仕事はじめと、冬休みの宿題と、嬉しいと感じられる喜びと。

2012年01月05日 17時42分10秒 | 日記
今日から、仕事はじめ。
むむちゃんとぷうちゃんを追い立てて、
あわただしい朝が始まる。

でも、仕事に出かけるのがちっともイヤじゃない。
ちっとも億劫じゃない。

むしろ、ちょっぴり、うれしい。

職場について、挨拶を交わして、
年末の続きのお仕事をはじめる。
やっぱり、ちょっとうれしい。
うれしい気持ちで、早駆けにならないように、
おさえて、おさえて、と、自らに言い聞かせながら。

幸せなことです。
とても。

*******
そして、今年はこの年末年始に読もうと思って
積んだ本をすべて読み終えた。
やらなくてはならないことは、他にもあって、
それにはほとんど手をつけられなかった。
だから、本を読んだだけではあったのだけれど、
休暇の読書の完読は、とてもひさしぶり。
ネット環境のない、実家のおかげ。
そこで悪あがきをあきらめられた、心性のおかげ。

昨年は過去20年の中でいちばん本を読んだ年だった。
きっと、今年も。
本を読む行為は、私にとってはエネルギーを身の内に入れていく時間。

過去では、10歳から12歳を中心に10代の前半はむさぼるように本を読んだ。
その貯めこんだエネルギーで、20代と30代の半分までを
生き抜けたのではないか、と、思ったりする。

ほぼすっからかんで迎えた30代半ば、
いま、ふたたび、貯めていく時間を過ごしているのだろうか。

*******
これからのことを考えると、
不安な要素は多々ある、この生活だけれど、
それでも、今、この本のある仕事、本のある生活、
そこにうれしさがこみ上げてくる、この感じを、
大切にしよう。

今年の、始まりの日に。

むむちゃんぷうちゃんと、初詣と書き初め

2012年01月04日 17時15分13秒 | 日記





朝からむむちゃん、ぷうちゃんと初詣。

本殿で手をあわせたあと、
むむちゃんぷうちゃんの
出産から昨年まで溜め込んだ古い御守りをすべて納めた。
過去の守り神さまたちに、感謝して、サヨナラ。

三人で、おみくじを引く。
ぷうちゃん、むむちゃんは吉。

私は末吉。二年参りの時には大吉。
大吉みくじは御守りと一緒に一年携えよう。
今日の末吉はしっかり結ぶ。

それぞれに御守りを買い、
池上本門寺は、守矢を福鳩守というそうです。鳩のついたその矢を買う。

今年も猿回しを見る。三が日にガンバってちょっとくたびれ気味のお兄さんとお猿さん。

参道でチョコバナナとフランクフルトを買って食べて、
お腹も満足して帰る。


お昼にお餅を食べて、
むむちゃんは年賀状を書く。

年賀状を書いて、ポストに出して、
書き初めをする。

ぷうちゃんは、ありがとうと、おめでとうを書く。

むむちゃんは、ありがとう、がんばる、うれしいきもち、だいすき、と、書く。

お正月を無事に終えていく一日です。

読書日記1/3池澤夏樹『春を恨んだりはしない』

2012年01月04日 01時28分05秒 | 日記
マークしていたのに、
なぜか読むことができずに年を越してしまった一冊でした。

実家の父の本の山に発見。
帰る直前の今日、読む。

なぜ、昨年すみやかに読まなかったのだろう。
なぜ、今年このタイミングで読む機会が訪れたのだろう。

ぼんやりと見いだしつつあったものに、
言葉を与え、
顕在化させ、
指し示してくれた。


言葉に、いま何ができる力があるのかを、記してくれた。

私はここ数日、文学はいま何ができるのか、を、考えている。
池澤夏樹が書いていたので、その思考を進める気持ちになったのだけれど、日本人には科学や論理、哲学からのアプローチよりも、物語による文学からのアプローチの方が、すっと身に馴染むような気がする。
世界初の小説である『源氏物語』を生み出した土壌は、気まぐれではない。
日本人の身に添う「思考の形態」として、物語による文学はあるのではないか。

311、放射能、そして117、、貧困、
希望のない社会に対して、
今を今として受けとめながら(受け入れるのとは違う)、乗り越えて、
未来への手がかりをつかむプロセスを描くとする。
文学は、その各所で、
高次低次、幅は広くも狭くも、
それぞれそこここに役割を果たせるだろう。
そのニーズに応えうる力も持っている。

あとは、作品を待つだけだ。
日本社会の面舵をきれる、作品群が今年現れてくるのを期待して、本読みの生活を続けよう。

旧交あたたむ今年のはじまり

2012年01月03日 19時06分03秒 | 日記
年明けに突如思いたって、実家近くで会えないかと高校時代仲の良かった友人五人に連絡をする。
お正月の三ヶ日はなにかと予定があるのを承知しながら。
親友と駅で落ち合って、一緒に東京に戻ることにしました。

車中の旅から、みんなどうしているかななどと話していたら、下車する時になって、同じ電車に乗り合わせていた高校の同級生に会い、嬉しいビックリ。

下車後にしばしお茶をして、別れました。

私からみなに声をかけたことなんてあったかな。
どうして思いたったのか、自分でもよくわからないけれど、
不意にだけれど、
不意にだからか、
思いたったことそのものを大切にしよう、と思う。

そのおかげで、ずっと気になっていた友人に、卒業後はじめて再会できたから。
きっと今年はこんな風なことがたくさん起こる年です。
そんな気がする。

初夢はなんだろう。読書日記1/1恩田陸『夢違』、1/2辻村深月『水底フェスタ』

2012年01月02日 23時18分45秒 | 日記
ひさしぶりに手にとった恩田陸は分厚く重たいハードカバー。
冬休みの読書にもってこい。
しんとしたお正月元旦に、他のスイッチを切って読みふける。

夢を映像に記録することが可能になった未来。
記録された夢を夢札という。夢を記録することを夢札を引く、という。

夢が私以外の他者に見えるのを、面白がれるのは、楽しい夢に限ってです。
だいたい、こんな夢を見たいと思って見れるわけではないし。
怖い未来だと思う。
そんな人の内側を引き出す怖さや危険性をあぶり出し、織り込んでいく。

小説は、夢札を引き続け、他者の夢分析をしながら、自らの夢と他者の夢、夢の中と現つとが入り乱れていくお話。
ゾッとする感覚、冷や汗が吹き出る感覚に、幾度もとらわれながら、読み切りました。

吉野の桜や、法隆寺の夢違観音など、幻想、眩惑を喚起するシチュエーションがリアルなだけに、体ごと引き込まれる。

新聞の連載小説だったそうですが、私は一気に読めて良かったです。
読みきらないと怖くて寝れないです。夢を見たらどうしよう。と。

今は夢?それとも現つ?
そのあわいあたりに漂っている気分でいることは多いのだけれど、これがひとりの身の内の感覚ではなく、集団化されるのは怖い。みなで同じ夢を見る、それはとてつもなく怖い。
怖さの理由は、私には明確に説明できない。
だけど、この小説には響き合う、その怖さを皮膚感覚にうったえるように描き出されていました。
うまいなぁ、やるなぁ、恩田陸。

読み終えて、ホッとしました。
不可解、未解決なまま放置された問題がたくさんあって、始末をつけようよ~、と、つぶやいてみたり。
それでも、小説として終わりにたどり着いて、辻褄がバラバラだけど光さす着地に、良かったと安心しました。

読み終えて安心して寝た昨晩はリアルな夢を見ました。害のない夢札を引いても良いような夢でした。
良かった…。


今日は辻村深月の『水底フェスタ』を読む。

こちらも重たいハードカバー。
終わりに近づき、苦しいどんでん返しの連続に、読んでいて疲れました。
救いのない小説は疲れる。
不用意に人を殺し過ぎるし。
簡単に予定調和にしなせてはいけないのです。それがいちばん簡単な話の流れを蛇行させていく方法であるなら、なおのこと踏みとどまって、粘らなくちゃ。
人の死は、予期せずに訪れるものだから。


さて、初夢を見る2日目の夜。
今年はどんな夢が到来するかな。