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ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

読書日記1/10有川浩『ヒア・カムズ・ザ・サン』

2012年01月11日 12時23分14秒 | 日記
有川浩の新作を読む。

相変わらず、さらさらさらっと読める文章。
お話の展開。

二つのお話が収録されていて、
登場人物は同じなのだけれど、
微妙に設定を変えている。

淡々と読み進めていて
二作目の後半、ほろっとくる。
くぅ~、してやられた、と思いながら。
地下鉄の中で、下唇をかんで。

作品はエンターテイメントなんだけれど、
見逃せない、読み流せない、真理がすっと差し入れられている。
そこでちょっと弱ったところに、
ぐっとつめよってくるあたり、
プロ、の、書き手、なんだなぁ、としみじみ思う。

してやられた、けれど、爽快だから、良し。

今日からはじまる、3学期。はやくして、からはじまらない朝に感謝。

2012年01月10日 15時52分19秒 | 日記
むむちゃんの3学期が今日から始まりました。
勤務先の3学期も今日から。

朝のあわただしさを覚悟していたけれど、
前日のうちに準備をすませてむむちゃんは余裕の出発。
今朝はゴミの日。こちらも準備を早々にすませたぷうちゃんが
ばたばた家の中を行ったりきたりしている私にかまわず、
ゴミの袋をえいえいっとひきずりながら、出しに行ってくれました。

はやくして~、からはじまらない朝、で、
今日をはじめられました。

むむちゃんとのつきあい8年、ぷうちゃんとのつきあい4年、
ようやく母であることに慣れてきたのかな、
と、一瞬思ったものの、いやいや、そうではなくて、
子どもたちが育ってきてくれて、私を楽にしてくれているんだ、
と、あわてて思い直しました。

今年はじめての、よりみちのいえミーティング

2012年01月09日 23時41分47秒 | 日記
月に1回のミーティングの日。
今朝も9時から。

今年初めてのミーティングの日だけれど、
あらたまっても何も、目の前のことをガツガツと話す。

どういうところで、他との差異があるのか、
どういうところを、心にかけて子どもたちと時間を過ごそうとしているのか、
子どもたちの、どういうところをどんなふうに尊重しようとしているのか。

話はすぐに、議題をそれて、その話題。
おのずと、引き込まれるように、その話題。

はっと我に返る。
一年前にはお題目ばかりで、影も形もなかった、よりみちのいえの活動。
昨年中に、毎週の活動になるなんて夢にも思わなかった、一年前のお正月。

そして、いま、子どもたちを育てるということに対する「よりみちのいえ」のスタンスは。
などというような話を、具体的に経験を重ねて話し合ったりしているのは、
実はとっても奇跡のよう。

語るふたりの言葉の中に、一年分の経験がずっしりとつまっている。
一年分の経験をふりかえり、たぐりよせて、
学んだこと、変化したこと、気づいたこと、
どうできるのか、どうしたいのか、それを実際にやるためには、etc..

なんだか、スゴイのです。
誰も何も教えていなくて、学ぶことも強制していなくて、
それなのに、考え続け感じたこと考えたことを照らし合わて話し込んだり
心の中にためたりしながら、成長し続けている大人の姿がスゴイのです。

生涯教育とか社会教育ってなんだろう、
日々の生活、日々の活動、日々の仕事の中で、
人は、学び、育っていく。

そして、同じ場を共有し、感じたこと考えたことを伝えあい、
分かち合ったり、異なりを確認しあったりする人と場があることは、
人を育てる。
そんなこんな、ひしひしとしみじみと感じるミーティングでした。

大切な時間を過ごしています。
こんな時間が月に一度過ごせる。
有り難く、とてつもない学びの時間。

手前みそだけれど、
活動そのものはほんとうに小さな歩みだけれど、
よりみち、いいじゃない。

読書日記1/9 津村記久子『まともな家の子供はいない』筑摩書房2011.8 

2012年01月09日 22時42分09秒 | 日記
う~む。。。

思春期の子どもたちの親を煙たく思ったり、
正しくあってほしいと願ったりする、
アンビバレントな気持ちは手に取るようにわかるような描かれ方をしていて良いのです。

が、描写にとどまってしまって、その先や、その奥、がない。

必ずしもハッピーエンドで終わる必要もないし、
希望や期待をほのめかせて終わる必要もない。

だけれど、日々はこれからも続いていって、
時間は今を圧倒的に押し流していくのです。

立ち止まらせたまま、終わってしまうほうが、
ウソっぽく、平べったくなってしまいます。

小説であるのならば、物語であるのならば、
ペタっとしないで、もすこしふんわりとはらむ空気を描いてほしいなぁ。

この人の書くものは、
いつも、ちょっと、残念

1月8日、今年も牟田さんのお墓に詣でる。そして、同期のみんなとの新年会

2012年01月09日 08時23分14秒 | 日記
今年も牟田さんの命日が巡ってきました。
今年もひげさんの車に乗せてもらい、お墓に詣でました。
亡くなられて3年、だから3度目の、お墓参り。

お酒とあたたかいお茶とコップを持参。
お墓の前で、牟田さんが好きだったウイスキーと、お茶とで、乾杯。

今年はやよいさん、いっちゃん、Tさん、Yさんに、
世田谷区長の保坂さんも一緒でした。
いつもより大所帯。


前夜、牟田さんの亡くなった日のことを思い出す。
雨がみぞれに変わる寒い日。
ひとつ思い出すと、亡くなってからの一週間、一か月、3か月、半年、1年と次々思い出す。
引き出しをひっくり返したような記憶の洪水に、眠りが遠のく。
それもこれもすべて過去、と言い聞かせて、ひとつひとつを引き出におさめなおしていった。

お墓の前で、牟田さんにこの一年のことを報告した。
牟田さんが存命だったら動かずにおれなかったであろう、地震のこと、放射能のこと、ボランティアのことと、それらを前にした自らの無力さ。
背中に牟田さんの手のひらを感じた。
がんばっていても、がんばれずにいても、そのままでいい、
そのままでいいんです。
声が聞こえた気がした。
肩の力がふっと抜けました。

牟田さん、今年もまた一年見守ってください。


ひげさんに拾ってもらった場所でおろしてもらい、
同期会の新年会へ合流する。

今年はこのメンバーで出会って20周年。
すでに20年のつきあいになるんだ。すごい、すごいなぁ。

いつもいつも同じことを思う。
20年、ひとりひとり、それぞれにそれぞれの歴史を積みながら、いま、こうして一緒にお酒を飲んでいる。
がんばっても、がんばれなくても、人生の中でどんなことに直面していても、
こうして、一緒に飲んでいる、いま、この瞬間、それがすべて。
こういうとき、現実は、とてもシンプル。
シンプルであるだけに、確かな手ごたえをもって、
これでいい、と、教えてくれる。


「今の、このとき」をたいせつに。
それでいい。

それは、思考を停止することではない。
原発に40年の寿命を与えて10年後、20年後の未来に思いをはせることと、
いま、ここを、大事にすることは矛盾しない。
10年後、20年後の、いま、ここを、あらしめるためであるのだから。

あれこれ考えすぎることが多いのだけれど、
今年はシンプルであることと、
そのときそのときに流れるあたたかなものを、まるごと受けとるよう心がけよう。
受けとれたものから、遡ったり、手繰り寄せたりして、
この世界に生じる物事を理解していく向きにベクトルをあわせてみよう。