千里ニュータウンの今

暮らす街の移り変わりをカメラで捕らえる

都市計画を検証ウオーク(第1回)

2012-10-06 23:05:41 | 周辺
 千里ニュータウンまちびらき50年事業も本番に入ってきた。
今日は「都市計画専門家の指導で歩く」3回シリーズの1回目。
 
 午後1時、南千里駅に40人ほどが集まり、3班に分かれて出発。

 
 
 まず9月にオープンした千里ニュータウンプラザにある情報館で
資料などを見学。
 懐かしがる人ばかりではなく、新たにニュータウンの住人になった
人たちが食い入るようにこのまちを知ろうとする姿が新鮮だった。

 
 
 北出口から西へ歩道橋をわたり竹見台へ。ここの見どころは星型団地。
 Y字型をしており、万遍なく日が当たるように
なっているとか。

 歩道橋から南を向くと大きな交差点は佐竹台、津雲台、竹見台、桃山台四つの
住区の接点になっている。(そういえばそうだ、と改めて認識)



 
 
  津雲台のロータリー、ヨーロッパなどではよく見かけるロータリーだが、
 日本に少ないのは、面積を取る割に不便で、やはり信号でコントロール
するほうが 狭い日本には向いているらしい。

 
 
 ニュータウンで公団住宅が最初にできたのは津雲台。
ずいぶんレトロな日用品が見つかった。そういえば近頃使わないね、
と意外な記念品にびっくりする一こま。

 
   吹田市立高野台小学校
 
   吹田市立佐竹台幼稚園

あやめ橋を渡って高野台に入る。高野台小学校も佐竹台小学校も
創立50周年。子どもで一杯だった小学校も今はひっそりだ。
最初は小学校を高学年と低学年の二つに分ける案があり、低学年は
幼稚園と併設することになっていたらしい。そのため高野台の玉川
幼稚園と佐竹台幼稚園は敷地が必要以上に広くなっている。

 この案は実施されなかった。

 
 高野台近隣センターにやってきた。
 最初の計画では住区の中で基本的な日常生活が成り立つようにと
、市場的な商業施設が作られていたが、モータリゼーション
の急激な発達で大きなスーパーに客を取られ、すっかり姿を消して
しまった。
残っているのは酒屋と米屋だけ。

 それでは何故、桃山台と竹見台の近隣センターは歩道橋を隔てて今でも
両立しているのかとても不思議だったが、競争の原理が働いて双方とも
成り立っているのだそうだ。

 
 
  
 団地の構成について。
 上は府営住宅の集合住宅の構成、
 住民のコミュニケーションが図られるようにとコの字型を採用、
 
 一方、住宅公団は日当たり、風通しのことを考えると並列が良いと、
 譲らない。(津雲台公団住宅の地図) 主張に二通りあるらしい。


 
 参加者の中に最近こちらに引っ越してきたが、“日本中で一番千里ニュー
タウンが気に入って永住することに決めた”と言ってくれた方がいた。
その一番の理由は人と人の付き合い方が心地よいからだそうだ。

 まちづくりの基本を教えられたような気がした。


 
 午後4時解散。

 手前は新しいプラザにその役目を譲った千里南センタービル。日本の
近代建築の巨匠、村野藤吾が設計したことで50年前の輝くニュータウンの
シンボル的存在であった。

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
|・_・)ノ<おはようございます! (クミコ)
2012-10-07 09:30:09
昨日の南千里ウォーク、楽しかったですね!
ガイドさんや筋金入りの千里NT民に囲まれて、
観光客気分で自分の住む町を歩きました♪
次のウォーキングDAYでご一緒できるのを楽しみにしてま~す
返信する
歩けば:::に当たる (kk)
2012-10-07 15:36:37
新しい友人ができて感激しています。ニュータウンがいつまでもニュータウンでありますように。
返信する

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