千里ニュータウンとは隣接していてなじみの深いエキスポランドがついに倒産したという。
上の写真は去る24日に万博公園へ行ったとき、かつては華やかに回っていた
飛行塔がカラスの遊び場になっている様子を撮影したものである。
そういえばこのところ、宝塚ファミリーランド2003年、近鉄あやめ池遊園地2004
年、奈良ドリームランド2006年と歴史ある遊園地の閉園が続いている。
レジャーの多様化(USJの人気)、少子化現象の影響だという。
跡地はどうなるのだろう。気になるところだ。
千里ニュータウンとは隣接していてなじみの深いエキスポランドがついに倒産したという。
上の写真は去る24日に万博公園へ行ったとき、かつては華やかに回っていた
飛行塔がカラスの遊び場になっている様子を撮影したものである。
そういえばこのところ、宝塚ファミリーランド2003年、近鉄あやめ池遊園地2004
年、奈良ドリームランド2006年と歴史ある遊園地の閉園が続いている。
レジャーの多様化(USJの人気)、少子化現象の影響だという。
跡地はどうなるのだろう。気になるところだ。
吹田市博物館は休みだったので、誘われるように紫金山への道を登ってみた。
可愛く小さい秋を見つけた。
そのあと、北千里の三色彩道の色づき加減を見に行った。
午後3時ごろ。
色づいているのはこの部分だけ。また出かけてみよう。
秋日和に誘われてなんとなく吹田市博物館へ行って見た。
名神高速道路の下をくぐる入り口のトンネルにはメルヘンチックな絵が両側
一杯に書かれている。
今日は月曜日、博物館はお休みということに途中で気がついたが、かまわず行くと
思わぬ収穫があった。
24日、学習してきた「アズキ火山灰層」の下に位置するという「ピンク火山灰層」
の露頭の標識が立っているではないか。
この位置から笹が生い茂る細い道を20歩ほど入ったところに下の写真の
ような露頭があった。100万年前の千里の地層だ。薄いピンク色がかった
透明感のある白色をしていた。ちょうど日が差し込んで明るくなった。
たったこれだけの露頭だがとても貴重なものだそうだ。この研究をした
地質学者・市原実氏は藤白台にお住まいだ。
昔はこれをみがき砂として使っていたそうで、質のよい研磨剤であることを
確かめてきた。
去る9月21日、アズキ火山灰層についてちょっと紹介したが、解説資料が
用意されている万博記念公園内の自然観察学習館へ行って見た。
『90万年前、厚さ40cmの火山灰が降った』
90万年前のある日、大阪の空はにわかに曇り、夕方のように暗くなりました。
西からやってきた火山灰が降り始め、降灰は何日も続きました。当時の大阪は
火山灰に埋め尽くされ、灰色の世界となりました。アズキ火山灰が降ったのです。
(吹田地学会資料より)
この灰の層は地質学的に大変重要なもので、遠く隔たった地域に分布する
地層中に「時間目盛り」を刻み込む「鍵層」とよばれるものだそうである。
万博記念公園の最南端に位置するホテル阪急エキスポパークのちょうど
対面で外周道路に沿った竹やぶの中にある。しかし車道の外側にもう1本ある
自転車道路ぎわなので、ゆっくり観察することが出来る。
タケノコ泥棒よけも兼ねてフェンスが張られているので、写真を撮る場合は
レンズの小さなカメラを持っていくことをお勧めする。
http://kansai-concierge.nikkei.co.jp/kansai-culture/index.asp?wrt_cd=5501&bk_p_no=1
この火山灰層が発見されたいきさつや、万博記念公園内の自然観察学習館
に展示されるようになったときのエキサイトした様子は上記のURLホームページ
日経関西コンシェルジュ 07年1月10日号と1月30日号に詳しく書かれている。
全く余談ではあるが、この火山灰に興味を持ったのは我々家族が体験した
恐ろしい地すべりを思い出すからである。
1985年当時信州・長野市で山腹に造成された住宅団地に住んでいたが、背後
の山が大規模な地すべりを起こし、260戸ほどの住宅と老人ホームが甚大な被害
を受けた。その地すべりの原因となったのが「モンモリロナイト」と呼ばれる極く微細
な粒子の粘土鉱物で、水分を吸収すると膨張して滑りやすくなり、大崩落を引き起
こしたのである。火山灰ではないがやはりピンク色をしていた。当時いやというほど
聞かされたこの言葉を忘れることは出来ない。
千里ニュータウンの西方を流れる川として先回「高川」を紹介したが、
今回は東側を流れる「山田川」をみてみたい。
秋色に染まり始めた青山台付近を流れている水路である。
藤白台に入って藤白水路となり、モノレール山田駅付近で
晴れて「山田川」と名乗るようになる。
ニュータウンをはずれて南下し名神高速道路と交差する辺り、
山田東一丁目に山田橋がある。
大阪府には淀川水系と大和川水系の二つの水系がある。淀川水系は琵琶湖
から流れ出た桂川が大山崎市で宇治川、木津川と合流して淀川となる。
「山田川」は摂津市で安威川に流れ込み、さらに淀川から分岐した神崎川と合流し
大阪湾に注ぐ。
千里丘陵を水源とする川の一つ「高川」は吹田市江の木町あたりで神埼川
に合流する。
(この部分修正しました。10/25)
千里丘陵を水源とする川には、ほかに高野台佐竹台付近の丘陵を発して
山田川の西に流れる「正雀川」、千里山から豊津付近を流れる「糸田川」がある。
いずれも神崎川に流れ込み大阪湾に注ぐ。淀川は経由しないがもちろん淀川水系
に属する。
ちなみに一級河川とは・・・・・?
一級水系とは河川法第4条第1項の「国土保全上又は国民経済上特に
重要な水系で政令で指定したもの」をいう。その水系に属する河川はすべて
一級河川である。
管理は国が行う。
では二級河川は?
一級河川以外のもので 管理は都道府県が行う。
一級河川が大きくて二級河川が小さいというわけでは決してない。
山田川が属しているのは琵琶湖を水源としている淀川水系であるから
小さな川ではあるが国が管理する一級河川となる。
大阪府の二級河川は17水系、40河川あるが 吹田市.豊中市には無い。
千里ニュータウンがオープンしたころ(昭和38年前後)、庭木に
ヒマラヤスギがよく植えらた。今は無いが我が家も3本植えた。
この木がどれくらい大きくなるものかあの当時の植木屋は考え
なかったとも思えないが、ほかに適当な苗木がなかったのだろうか。
昨日お隣に植木屋が入ってヒマラヤスギがこの通りバッサリ。
4本あり、みんなこのスタイルになったのでとても明るくなった。
予定の5日が雨で延期になり、やきもきさせられた高野台小学校の
運動会。今日は真っ青に晴れ渡って 気持ちがいい。
雨にぬれて皺になったポスターもすっかり乾いて『ぜひ見に来てください』
という子供たちの願いが叶った。
午前8時55分 開始30分前の準備風景。
最近は日の出が遅くなった関係で、早朝の散歩ではよい写真が
摂れなくなった。どうしてもぶれてしまう。その関係で写真のアップ
が遅れ勝ち。
本日の歩数 1万3600歩
『続 千里の歴史と伝統』に古江稲荷神社についての物語が
載っている。
ニュータウンには神社仏閣がほとんど無いが、吹田市広報課の出した
「わたしたちのまち吹田」という地図にはこの古江稲荷神社はちゃんと
載っている。
以前散歩の道すがら、きちんと整備されよく祀られているお稲荷さんを
みて、どんな謂れがあるのかとは思っていた。
昭和56年9月、社殿新築、57年4月には赤い鳥居2基新築、
以前からあった石の鳥居とあわせ、こじんまりとまとまったお稲荷
さんになったと、いうことだ。
この一帯に開拓者が現れたのは明治の初期で大阪であめ屋を
していた人が地主であったことからこの地はあめ屋新田とも呼ば
れていたそうだ。
人が住み着くとやはり五穀豊穣、子孫繁栄を願って信仰の対象を
求めるものなのだろう。
池を造り、最初はモモを作り、米が余りよく出来なかったのでタケノコ
を作るようになったらしい。
ニュータウン以前の人々の暮らしが身近に偲ばれる。
恐れ多くも社殿の中をフラッシュを焚いて拝見させていただいた。
一段下がったところにこれもまたきれいに祀られている
お地蔵さんがあった。
(上の写真は08年8月4日撮影)
本日の歩数 1万2300歩。