千里ニュータウンの今

暮らす街の移り変わりをカメラで捕らえる

都市計画を検証ウオーク(最終回)

2012-10-22 16:20:17 | 周辺
 21日日曜日、朝から一点の曇りもない秋晴れに恵まれて、今回はこのシリーズ
最終回。北千里駅を3班に分かれて出発。

 北千里周辺コースである。

今日のコースはやや距離があるためか、歩くスピードが速い。
帰宅後少々お疲れでこの記事のアップが遅れたことをお詫び
します。

 北千里駅から西南方向へ歩きはじめる。この辺りは
古江台で、1964(昭和39)年に入居が開始された町である。
 
 スターハウスと呼ばれる構造の集合住宅がここにもあるが、
新しい試みはやはり住んでみると具合の悪いところもあったようで
その後普及していないそうだ。

 
 どんぐり公園と呼ばれる広い公園がある。
 

 建設当時はマムシが多く、逃げ出す作業員もいたほどだった。

 UR青山台団地
 

   住民の交流を目的として1階部分を吹き抜けにしたピロティ方式が
採用されているが、耐久性の点で問題があるという。
 

 青山台の近隣センターや小学校は他の住区に比べると、ゆったりと
作られていて、緑が豊富に見えるがよそもののひが目か?

 そこから見晴らしの良い「フェニックス遊園」へ向かったが
そこまでの道に築かれた長い階段には参加者一同唖然とするほど。
   
  写真での表現は難しいが、110段の階段は金毘羅さん詣でを
 髣髴とさせる。

 ニュータウンで一番見晴らしの良いところという評判にたがわず
待っていたのは澄んだ秋の空気を透して広がる絶景だった。
建設中の彩都も望むことができた。
  

 ニュータウンを取り巻く緑地帯は建設当時、緑の自然を残そうという
趣旨でつくられたが、一方で外界と遮断するという欠点もあるという
説明を聞いた。

 藤白台4丁目では、ちょっと他では見かけない看板が目に付いた。
 学校がたくさんある地域のお悩み。

  

 長い道のりを経て、ニュータウンの秋の景勝地、藤白台の三色彩道
にたどりついた。
 すでに一部分は紅葉し一行を迎えてくれた。
     

 まだ見に来たことが無い人も多かったが、シーズンには
車が集中するので、早朝の見学がおすすめです。
 
 4時ごろ、北千里駅に帰り着いた。

 毎回顔を合わせる参加者も大勢いて、日本初の千里ニュータウンに
特別の興味と愛着を持つ人々の熱い気持ちが伝わってきた
ウオークだった。

 
 

 

 

 

都市計画を検証ウオーク(第2回)

2012-10-15 10:59:43 | 周辺
都市計画検証ウオークの2回目、14日、午前中のウオーク日和に誘われたか
前回より多い参加者で約50名が、千里中央を一時に出発。


 豊中市域の新千里東町、北町、西町をめぐる。

 建設が吹田市域より後だったこと、また二つの市に
またがり、町の呼び名や学校名、公園の名前の付け方にも
吹田市とは若干の相違を見ることができる。


 竹やぶから誘われるように降りて行ったところが
「東町公園」、自然を残した森と池で、遊具のようなものは無い。
独り、ひっそりと読書をしている人がいた。


 「青谷池」(アオタンイケ)のまわりで思いがけない風景に出合う。
 ダンスを練習している少女たち。

 
  万博が開催された当時は、コンパニオン等の宿舎になったという「UR新千里東町団地」
  外人用に天井が普通より高くできているとか。

 東町近隣センター


 ここでよく話に聞く「街角ひろば」に来た。



 専門家の説明を聞く。   

 
  新しい街に住みついた人びとのコミュニケーションを図るため
 集合住宅がコの字型やロの字型に配置されている。

 
 一方で、それでは西向きの住戸ができてしまって“住みづらい”
 という建築家や学者の意見もあって、全戸南向きの整列させた区域もある。

 50年を経た今日、当初の計画とは違った方向へ進んでしまった現象の一つに
 歩いて暮らせる近隣センターの盛衰や、
 歩車分離で当時の交通戦争
   
 (交通事故死、年間約一万人)を回避しようとした試みも
 急激な車社会の現実から貸し駐車場の乱立を招いているなどもある。

 記念すべき看板を見つけた。  (新千里西町)
  

 「新住宅市街地開発法」 日本初のニュータウン計画の実施に
即して作られた法律で、その後各地のニュータウンの建設の基準
になったものだそうだ。

 そういえば高野台に戸建て住宅を購入した際、「土地を購入したら、
5年以内に家を建てること(投資目的での転売を防ぐ)」、とか
「購入した土地家屋を10年以内に売らないこと、」などと規制が
あったことを思い出した。

 この古びた看板はここ一か所しか残っておらず、歴史の証人として
存在が貴重だ。

 3時間のウオーク、やっと千里中央に戻ってきた。

セルシー広場でにぎやかな音楽が聞こえるので覗いてみたら

「キッズ・ヴォーカルダンスコンテスト」をやっていた。さっき池の周りで練習していた
少女たが出演しているようだった。

 次回は20日土曜日、午後一時 北千里駅前集合。  

都市計画を検証ウオーク(第1回)

2012-10-06 23:05:41 | 周辺
 千里ニュータウンまちびらき50年事業も本番に入ってきた。
今日は「都市計画専門家の指導で歩く」3回シリーズの1回目。
 
 午後1時、南千里駅に40人ほどが集まり、3班に分かれて出発。

 
 
 まず9月にオープンした千里ニュータウンプラザにある情報館で
資料などを見学。
 懐かしがる人ばかりではなく、新たにニュータウンの住人になった
人たちが食い入るようにこのまちを知ろうとする姿が新鮮だった。

 
 
 北出口から西へ歩道橋をわたり竹見台へ。ここの見どころは星型団地。
 Y字型をしており、万遍なく日が当たるように
なっているとか。

 歩道橋から南を向くと大きな交差点は佐竹台、津雲台、竹見台、桃山台四つの
住区の接点になっている。(そういえばそうだ、と改めて認識)



 
 
  津雲台のロータリー、ヨーロッパなどではよく見かけるロータリーだが、
 日本に少ないのは、面積を取る割に不便で、やはり信号でコントロール
するほうが 狭い日本には向いているらしい。

 
 
 ニュータウンで公団住宅が最初にできたのは津雲台。
ずいぶんレトロな日用品が見つかった。そういえば近頃使わないね、
と意外な記念品にびっくりする一こま。

 
   吹田市立高野台小学校
 
   吹田市立佐竹台幼稚園

あやめ橋を渡って高野台に入る。高野台小学校も佐竹台小学校も
創立50周年。子どもで一杯だった小学校も今はひっそりだ。
最初は小学校を高学年と低学年の二つに分ける案があり、低学年は
幼稚園と併設することになっていたらしい。そのため高野台の玉川
幼稚園と佐竹台幼稚園は敷地が必要以上に広くなっている。

 この案は実施されなかった。

 
 高野台近隣センターにやってきた。
 最初の計画では住区の中で基本的な日常生活が成り立つようにと
、市場的な商業施設が作られていたが、モータリゼーション
の急激な発達で大きなスーパーに客を取られ、すっかり姿を消して
しまった。
残っているのは酒屋と米屋だけ。

 それでは何故、桃山台と竹見台の近隣センターは歩道橋を隔てて今でも
両立しているのかとても不思議だったが、競争の原理が働いて双方とも
成り立っているのだそうだ。

 
 
  
 団地の構成について。
 上は府営住宅の集合住宅の構成、
 住民のコミュニケーションが図られるようにとコの字型を採用、
 
 一方、住宅公団は日当たり、風通しのことを考えると並列が良いと、
 譲らない。(津雲台公団住宅の地図) 主張に二通りあるらしい。


 
 参加者の中に最近こちらに引っ越してきたが、“日本中で一番千里ニュー
タウンが気に入って永住することに決めた”と言ってくれた方がいた。
その一番の理由は人と人の付き合い方が心地よいからだそうだ。

 まちづくりの基本を教えられたような気がした。


 
 午後4時解散。

 手前は新しいプラザにその役目を譲った千里南センタービル。日本の
近代建築の巨匠、村野藤吾が設計したことで50年前の輝くニュータウンの
シンボル的存在であった。