ISONOその後

退職後の日々

ミラノ自由行動

2013-07-30 16:19:25 | 日記
旅行最終日は、午後3時までフリータイム。
ガイドブック片手にツアーで行けなかったミケランジェロ博物館や教会を見学したり、お洒落なお店でショッピングを楽しもうと意気込んでいたのですが、朝起きてみると風邪気味で体調が悪く、観光を諦めてしばらくホテルでゆっくりすることにしました。

11時ごろ少し回復したので、地下鉄に乗って街の中心まで出かけることにした。
以前、パリの地下鉄で切符の買い方が分からず困ったことを思い出し少々不安でしたが、今回は前の人が買っているのをしっかりウォッチングしておいて、それからトライしました。


イタリアの地下鉄は意外と簡単に購入できました。


地下鉄の車内

スカラ座に行くつもりが、この辺りで迷子になってしまい・・

現地の人らしい若いカップルに勇気を出して聞くことにしました。
片言の英語で「スカラ座に行きたいのですが」と聞いたところ、「バスで行くのか地下鉄で行くのか」と聞かれました。とっさに夫は、「テクテク」とジェスチャー付きで答えてしまいました。
私は傍で笑いが止まらなくなりましたが、若いお兄さんは「OK」と言って行き方を教えてくれました。ジェスチャーの威力はたいしたものです。

スカラ座は昼休み閉館中で入れないし体調も今一つなので、観光は諦めてスカラ座近辺でショッピングをすることにしました。

イタリア人はとても陽気で私たちがお店に入ると、「こんにちは」「ありがとう」と知っている日本語を並べて話しかけてきます。ポロシャツを買ったついでに「さようなら」と「どういたしまして」を教えてあげました。楽しいショッピングでした。


帰りの地下鉄は、乗り換えをしなければなりません。乗り換えの駅で地図を見ながら電車を確認していた私たち二人を見て、スリに「絶好のカモ」と目を付けられたようです。

階段を下りている我々に女子高校生風3人組の一人がぶつかってきました。(実は、友だちに押されてよろけたふりをして夫にぶつかったのですが)
ぶつかった瞬間、彼女の左手が夫のカバンのファスナーを開けようとしているではありませんか!
私が「お父さん」と呼んだので、その声に夫が振り返ったため未遂に終わりました。
しかし懲りない彼女たちは、私たちが電車に乗ろうとするとまた寄ってきて、入り口で夫のカバンに手を出してきたそうです。夫は「NO!」と言って払いのけたそうです。(そんな時は「ポリス」と大声で叫ぶ方が効果的だそうです)

イタリアはスリが多いと聞いてはいましたが・・・初めての経験でした。







ミラノ

2013-07-28 12:47:20 | 日記
イタリア半島のブーツの踵に位置するアルベロベッロの街から北へ北へと北上した今回の旅も、ミラノ観光をもって終了です。
ミラノはファッションの街として有名ですが、芸術的な魅力にもあふれています。

スフォルツェスコ城
14世紀にミラノを支配していたヴィスコンティ家が建てた居城を、15世紀にスフォルツァ家が堅牢な城塞として改築したそうです。建築にはダ・ビンチも携わったそうです。
      

入り口のフィレーテの塔を抜けると大きな広場になっていて

中には博物館があり、ミケランジェロが死の間際まで彫り続けた未完成の「ロンダニーニのピエタ」が展示されているそうです。個人旅行だったら絶対見たけど・・ツアーの悲しいところです。

平和の門(独立平和の象徴的記念碑)
お城の北側は広大な敷地のセンピオーネ公園になっていて、その一番奥にこの門がある。
この門はナポレオンに捧げるために建てられた(パリの凱旋門がモデル)そうです。


ドゥオモ(ゴシック建築の最高傑作)
工事開始から実に500年もの歳月が費やされているとか。ガイドブックによると外観は、小塔135本と2245体の彫刻で飾られているそうです。
今回たくさんのドゥオモを見てきましたが、それぞれ違った感動を覚えました。

ドゥオモ内部
     

         

スカラ座
2日目の自由行動の時のこと、スカラ座の二階が博物館になっているそうなので博物館だけでも見ようと思い・・・

しかし、入り口が分からずウロウロしていたところ、「どうされましたか?」と若い日本人女性に声をかけられ、入り口まで連れて行ってもらいました。
あいにくのお昼休みで扉が閉まっていました。(だから分からなかったんだゎ~)1時間も待っていられないので諦めました。
彼女は留学生のようでしたが、すれ違った時、私たちの様子が気になって引き返してくれたようです。外国で言葉が通じるって嬉しいですね。
     スカラ座前広場

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア
ドォウモ広場とスカラ座前の広場を結ぶ全長200mのアーケード(ガラスと鉄で造られている天井がとても美しい)


ガレリアの中央十字路天上にあるフレスコ画と床を彩るモザイク
    




ヴェネツィア

2013-07-27 16:02:27 | 日記
5世紀から6世紀にかけてフン族やゴート族などの異民族がアルプスを越えて侵入して来たので、異民族の侵入から逃れて住民はアドリア海のラグーナ(潟)に移り住むようになった。人々はラグーナ(潟)から潟内の島々に居住地を拡大していったそうです。

ガイドブックによると、現在は118の小島と170を超す運河、400以上の橋によって成り立つ類を見ない洋上の観光都市だそうです。
ベネチア国際映画祭が開かれる「リド島」やガラス工芸で有名な「ムラーノ島」、レース編みで有名な「ブラーノ島」などはよく知られています。

船から見たヴェネツァ本島

ヴェネツァ本島内は車の乗り入れが一切禁止されているので、船(水上バス)に乗って行きます。(船から撮影)ヴェネツァは地盤沈下による高潮の脅威にさらされているそうですが、この写真を見ると、今にも海に沈みそうで本当に心配ですね。

サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の前に広がる広場で周辺にはサン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿、鐘楼、時計塔などの観光名所や土産物屋、レストラン、カフェなどが集まっています。

サン・マルコ寺院(修復中なのか一部シートで覆われていた)

聖マルコの遺骸を納めるために建てられたそうですが、聖マルコの遺骸はエジプトのアレキサンドリアから盗んでヴェネツァに持ち帰り、街の守護聖人として祭ったそうです。

ファサードのアーチに描かれたモザイク画

内部


ドゥカーレ宮殿の中庭から

ドゥカーレ宮殿

共和国時代の歴代総督の政庁兼住居だった。
溜息橋
ドゥカーレ宮殿と隣接する牢獄との間に架けられている橋で、宮殿内の裁判所で有罪になった囚人がこの橋を通って光のない牢獄へ移された。
この橋の小さな窓から眺める光景が現世の見納めとなるため、囚人がため息をついて見たことからこの名が付いたといわれています。

鐘楼

エレベーターで屋上まで昇ることができる。

リアルト橋

大運河の中ほどに架かるユニークな形をした石造りの橋。
橋の両側は土産物屋。

      
ゴンドラに乗って運河を周遊。ガイドブックには、「ゴンドラが運河を行きかうロマンチックの街」って書いてあるけど・・・ゴンドラが多すぎて渋滞気味。はたしてロマンチックな気分は味わえたかな??


イケメンのお兄さんを見つけて「あっちのゴンドラに乗りたい~」と女性陣が声をそろえて叫んだ!!

ムラーノ島のヴェネツィアン・ガラスの工房見学

ヴェネツィアン・ガラスはとても美しいけどお値段も結構・・



















フィレンツェ

2013-07-25 00:31:10 | 日記
「花の都」フィレンツェは、街全体が美術館といわれるほど美しい街として有名です。

フィレンツェがめざましく変化したのは、15世紀。教皇庁の御用銀行として権力と財産を築き上げたメディチ家が当主の時代です。
ボッティチェッリ、ドナテッロといった一流芸術家たちをフィレンツェに集め、莫大な富を投じてルネサンス運動を推進。フィレンツェの地に芸術の大輪を開花させていったそうです。
15世紀末から16世紀にかけてはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロがさらにルネサンス文化を盛り上げたそうです。
メディチ家の庇護のもに一流の芸術家たちがフィレンツェで数多くの作品を残しています。


サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)
     内部  
  正面    

美しいクーポラ(赤い丸屋根)は高さ112mあるそうです。


クーポラ内部、円天井にはヴァザーリたちによるフレスコ画「最後の審判」が描かれている。


左から白と濃緑色の大理石が美しいサン・ジョヴァンニ洗礼堂、大聖堂、ジョットの鐘楼
洗礼堂東扉の天国の門

ヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)

アルノ川に架かるこの橋は、橋全体が2階建ての建物で1階は商店になっています。
メディチ家のフェルディナンドによって肉屋・八百屋が撤去され、豪華な貴金属店のみの営業が許可されたそうです。

シニョリーア広場

ヴェッキオ宮前に広がる広場。
かつてもそして今もフィレンツェの行政の中心です。この広場は屋外美術館のごとく多くのルネサンス彫刻に囲まれている。
    
世界最高の彫刻として名高いミケランジェロのダビデ像(レプリカ)がある。本物はアカデミア美術館にあるそうですが・・・残念ながら、今回は本物を見ることができませんでした。

ウフィツィ美術館

メディチ家が集めた膨大な彫刻・絵画などが収蔵されている。
ボッティチェッリの「春」「ヴィーナス誕生」レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」ミケランジェロの「聖家族」など世界的に知られた大作が集められています。
写真撮影禁止だったので記念に絵本を購入した。

ミケランジェロ広場から見たフィレンツェの町



小高いこの丘から、フィレンツェの街並みが一望できるので大勢の観光客で賑わっていました。フィレンツェの街が最も美しく見えるのは、夕暮れの茜色に染まったときだそうです。私たちが行ったのも夕食後の8時ごろでしたが、日没には少し早かったようです。帰り道、公園では子どもたちがサッカーをして遊んでいました。お子様はもう寝る時間じゃないの?
ここにも「ダビデ像」のレプリカがあった。


私の家に飾っているこの絵は、姉の知り合いの方が描かれた絵なのですが、この場所でスケッチされたフィレンツェの街並みだったのですね。


      













ピサ

2013-07-21 21:38:26 | 日記
旅8日目は、斜塔で有名なピサとフィレンツェの観光です。
集合時間ギリギリにロビーに下りると・・・
同じツアーの男性がホテルのロビーで置き引きに遭われ、大変なことになっていました。
犯人は3人組で一瞬の隙を狙われたようです。パスポート・お金はお腹に巻いていらっしゃったので不幸中の幸いだったのですが・・・

さて、フィレンツェのホテルを出発して1時間30分ほどでピサの町に到着です。
ピサは、12~13世紀初頭に海洋貿易都市として黄金時代を迎え、この時期に地中海貿易で蓄えた莫大な富を注ぎ込んでピサ大聖堂、洗礼堂、斜塔が建てられています。

ピサの斜塔は建築途中(3階を工事する段階で)、地盤沈下により傾斜したので、中心軸を修正しながら建設されたということで、長い工事期間を要したそうです。

白大理石の美しい柱列で囲まれた斜塔は大聖堂の鐘楼なのですが、297段の階段を上ると最上階まで上ることができます。

定番のポーズですがちょっと失敗かな?!芝生の緑と建物の白そして青い空がとても美しい。



ピサ大聖堂(ドゥオモ)・・ピサ・ロマネスク様式の代表作


大聖堂の内部

68本の円柱が並び白と黒の模様で飾られている。奥行きも100mあり天井も美しい。

         


宝石箱のような洗礼堂



ニコラ・ピサーノの説教壇
30分おきにここで音響パフォーマンスが行われる。

大理石の高い壁で囲まれた納骨堂


ドゥオーモ広場に面してこのようなお店がずら~りと並んでいます。