ISONOその後

退職後の日々

ポンペイ遺跡

2013-06-26 19:00:43 | 日記

ナポリ湾から見たヴェスヴィオ火山

大噴火の前は、山の山頂は1つで、今の倍の高さがあったそうです。
1880年山麓から火口まで登山電車(フニクラーレ)が開通し、これを記念して作られた歌がナポリ民謡「フニクリ・フニクラ」だそうです。フニクラーレは1944年の噴火で破壊され、現在はリフトで火口縁まで行けるとか・・

紀元79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火により埋もれてしまった古代都市ポンペイ。
18世紀になって本格的な発掘が始まり、伝説の街となっていたポンペイの街並みが地上に現れた。
発掘によって現れたポンペイの町は整然と区画され、神殿、住居、大劇場、公衆浴場、娼婦の町の建物など・・・

ポンペイ遺跡入り口、マリーナ門(奥の大きい方が馬用で小さい方が人用だそうです)



遺跡内の通りは石で舗装されていて、車道と歩道が区別されています。左右の一段高くなったところが歩道で、飛び石は横断歩道。中央は馬車が通る道で、一部下水なども流れていたそうです。駐馬用の杭や水飲み場などもあった。

石臼   焼き窯
パン屋さんだったようで、小麦を挽く石臼やパンを焼く窯がありました。    

居酒屋さんのカウンター(丸い部分にはワインの入ったツボを入れる)大理石張りです。

  公共広場(フォロ)
神殿、集会所、演壇などが広場(フォロ)の周囲を囲んでいた。


公共広場は歩行者天国だったようで、入り口に車止めの大きな石が置いてあった。


食品市場のフレスコ画の前に、逃げ遅れた犠牲者の石膏像がケースの中に納められていた。痛まし姿なので、写真は撮らなかった。


公衆浴場内にある大理石で出来た水飲み場(真ん中から泉の水が湧いている)。写真では分かりにくいですがかなり大きいものです。(直径3mくらいだったかな?)
鉢の縁にこれを寄贈した人の名前が刻んである。

ツアーなので主な所だけを駆け足で見て回りました。(それでも、たっぷり2時間かかりましたが)

広いし見るところが多くあるのでゆっくり回りたいところでしたが、日差しを遮る場所も腰を掛けるところもなくて・・・私には2時間が限界かも?

ポンペイ近くのカメオ工場見学で目の保養








ナポリの町

2013-06-25 15:43:35 | 日記
ナポリの町はバスの中からの観光だったので、思うように写真が撮れませんでした。

2つのお城

カステル・デローヴォ城(通称 卵城)

ナポリサンタルチア港の埠頭に建てられ、牢獄として使われていた歴史のあるお城。よく見ると巨艦が浮いているようにも見えます。
11世紀にノルマン人がナポリを支配し、この城を築いたそうです。
築城の際、基礎部分に卵を埋め込み「卵が割れたときは、この城はおろかナポリの街まで危機が迫る」と呪文がかけられたという言い伝えから、通称卵城と呼ばれているそうです。


ヌォーヴォ城

ガイドブックによると、1282年にフランスのアンジュー家出身のシャルル1世が、フランスの城をモデルに建てたもので、卵城にたいして新しい(ヌォーヴォ)城と命名されたそうです。
1467年には、スペインのアラゴン家のアルフォンソ1世が王となり改築。
正面に並ぶ3つの塔うち右側2つの塔の間にルネッサンス様式の凱旋門を完成させ、自らが凱旋行進する様子を大理石に刻んだそうです。

市街地

19世紀末に建築された近代的な建物でウンベルト1世のガレリア。(ガラス天井が美しい)






地下鉄の工事中でしたが、遺跡が出たとかでなかなか進んでいないようです。






イタリア~カプリ島

2013-06-24 00:18:27 | 日記
旅4日目はイタリア有数の高級リゾート地「カプリ島」と世界遺産「ポンペイ遺跡」の観光です。

カプリ島はナポリから約30㎞の海に浮かぶ小さな島。
ガイドブックによると、カプリ島の観光の目玉は神秘的なブルーが美しい青の洞窟(世界遺産)とのこと。
「青の洞窟」に行くにはナポリベベレッロ港から高速艇に乗り45分でカプリ島マリーナグランデ港に到着し、そこで中型船に乗り換えて約20分で青の洞窟の入り口付近まで行きます。
洞窟に入るためには、洞窟の入り口付近でさらにもう一度手漕ぎボートに乗り換え、みんな船底に横たわるように体制を低くして洞窟内に入るとか・・・

私は(夫も)第一段階の高速艇で船酔いしてしまい、船を見るのも嫌な気分でしたが、「ここで止めたら神秘的なブルーとやらを見ることができない」と思い、意を決して中型船に乗り込みました。
しかし、洞窟の入り口に着くと「本日は波が高いのでボートは出ません」だって・・・
「携帯電話の時代やのに事前に連絡とれるやろ~」と少々むかつきました。それでなくても船酔いでムカムカしているのに・・・
という訳で神秘的なブルーを見ることはできませんでした。残念!!


高速艇・・・まるでゼットコースターに乗っているようだった。
     
 (高速艇から乗り換えた中型船)


青の洞窟の入り口。こんな小さな穴から入るとは思いませんでした。これでは波が高いと入れませんね。
地球温暖化で海面が少しずつ上昇しているので、そのうち入れなくなるのではないかとも言われているようです。
ケーブルカー(フニクラーレ)に乗って、カプリ地区の中心ウンベルト1世広場へ

ブランドショップやお洒落なカフェが立ち並び、多くの観光客でにぎわっています。



ナポリ

2013-06-21 21:51:35 | 日記
サッシの町マテーラとも別れを告げ、今夜から2連泊するナポリに向けて254㎞をバスで約4時間かけて移動です。
車窓から眺める景色はオリーブ畑とぶどう畑。
景色に変化もなく、適度な振動と疲れが眠気を誘います。

ナポリの町に入り何気なくバスの窓から外を見ると、道端にごみが散乱というか大量のごみの山が・・・(ネットを見て分かったのですが、ナポリではごみの増大に処理場の増設が追いつかず、街中に未回収のごみが散乱する状態が度々起こっていると書いてありました)
風光明媚な観光都市ナポリのイメージダウンでした。

  
夕食のメインはナポリで代表的なピッツァ「マルゲリータ」です。
これは統一イタリア王国のマルゲリータ王妃がナポリを訪れた時、イタリアの三色旗(赤・緑・白)を模してトマトとバジリコそしてモッツァレッラチーズで生地を飾って捧げたことに由来するそうです。
日本では2~3人で分けて食べるくらいの大きさのピザが、1人前として出てきたのにはビックリ!
もったいないけど残してしまいました。












イタリア~サッシの町マテーラ(世界遺産)

2013-06-20 19:28:16 | 日記
アルベロベッロの観光を終え、次の観光地は世界遺産マテーラ。
移動距離は70KMで約1時間30分のバス移動です。
マテーラはサッシの町として有名です。
サッシとは洞窟住居のことで、ここグラヴィナ渓谷の絶壁には人が何年もかけて掘った洞窟住居群があります。
石灰岩に掘られた横穴式住居の上に家が建てられ、そのまた上に家が積み重なり、またその上に・・というように何層にも重なって存在しています。

1952年衛生面や経済的な理由からサッシエリアの住民は一斉退去を命じられ、廃墟群と化したそうです。しかし1993年世界遺産に登録され、世界的な観光地として注目され始めると、少しずつ住民が戻ってきたそうです。

    

8~13世紀にかけて東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住居を構えていたといわれ、
サッシ内にはドゥーモ(大聖堂)をはじめ数多くの教会がありました。ここで紹介するのは一部です。
ドゥオーモ     サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会  
 洞窟教会 この教会では結婚式が挙げられていました。

当時の洞窟住居の内部




   キッチンと井戸
当時使われていた家具や農具を配し当時の洞窟住居が再現展示されています。
洞窟住居で人がどのように生活していたかを知ることができます。家畜との共存で洞窟内はかなり不衛生になり、多くの子どもが病気になり死亡するという過酷な環境での生活を強いられていたのですね。(ベットの下では鶏を飼うためベットは異常に高い。また子供の数が多く、夜はタンスの引き出しを開け、その中で子どもは寝るとか)

18世紀に建設されたランファンキ宮殿が今は美術館になっている。

美術館前の涙のオブジェ
この涙型のオブジェはイタリア在住で山形県出身・東京芸大卒の日本人彫刻家吾妻兼治郎氏の作品だそうです。アルファベットでアズマと刻印されていました。