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コジキジゲン

ソンナにしてまで・・・

2016-06-20 21:41:59 | 古事記字源

 ・・・午前中のHBC(TBS)・軽快なお喋りで進行する「恵 俊彰」さん司会のTV「ひるおび!」、「最後の登庁でも無言?舛添知事・波紋…ドーピングで五輪ロシア出場不可」をみたが・・・「ドーピング(doping)」ですか・・・「ドーピング(doping)」を使用した人間の「肉体的健康被害の言及」が「?」だったが・・・そんなにしてまで「君は勝ちたいのか?」、「そう、勝ちたいのだ」は、レベルも意味も「マスゾエ」の脳ミソ、それに、ボクやアンタにもアルカモ、アッタカモ・・・「勝てば官軍の世の中」だから・・・でも「最終目的」はナニなんだか・・・
ーーーーー
 以下はブログ記事からの参考した部分添付・・・
  ↓↑
 ・・・筋肉増強剤を投与しすぎた陸上選手の女性が『男性化』した上に、ホルモンバランスが崩れて禿げた上に酷く痩せる…など副作用で悲惨な末路を辿った選手もいる・・・
  ↓↑
 ドーピング(doping)
 「麻薬(曼陀羅華の種子と混ぜた煙草の煙)
 を用いて相手を朦朧とさせた上で盗みを働くこと」
  スラング
  第一次世界大戦で開発された
  覚せい剤アンフェタミンなど
  の薬物
  ↓↑
 「ドーピング禁止理由」
 スポーツの価値を損うため
 競技の楽しみや厳しさを奪い、
 結果としてスポーツの価値を損なう
 フェアプレイの精神に反するため
 スポーツは
 統一したルールのもと、
 公平に競い合うことが
 前提となっているが、
 ドーピングは
 公平性と真っ向から反する行為
  ↓↑
 健康を害するため
 ドーピングは、
 使用者の心身に悪影響を与える副作用が確認
 競技者等の安全や健康を守るために禁止
  ↓↑
 反社会的行為
 社会や青少年に悪影響を及ぼす
  ↓↑
 禁止物質が成分に含まれている
 市販の薬
 強壮剤
 サプリメントは多い
 鼻炎薬のエフェドリン
 胃腸薬のストリキニーネ
 漢方薬の麻黄
 育毛剤のテストステロン
  ↓↑ 
 お茶やコーヒーに含まれているカフェイン
 2004年に禁止物質から除外
   ↓↑
 ドーピング(doping)
 薬物(ドープ)を投与する事
 主に精神や肉体強化することを指す
 日本では、
 スポーツなど分野を問わずに
 反則行為として認知
 「ドープ(dope)」とは、
 日本語では「クスリ(麻薬)」の意味で訳される
 「麻酔薬」
 「競走馬などに投与する興奮剤」
 それらから転じて
 「マヌケ、ばか者」といったコトバと同意で
  (ゲーム「Devil May Cry 3」の最低ランク)
 「麻薬・覚せい剤・ドラッグ」
 「ドープ」には、
 覚せい剤の他に「合法なクスリ」の意味もある
 (筋肉増強剤・興奮剤など)
 アメリカ合衆国のスラングで
 「コカ・コーラ」の事も「ドープ」と呼ぶ
 海外では
 睡眠薬を飲むこともドーピングと呼ばれる
  ↓↑
ーーーーー
 ・・・「中毒」って、「毒の中」・・・「毒=主+毋」・・・
 「毋(ない・なかれ・ブ・ム)」
  ↓
 「毌(貫・つらぬく・カン)」・・・穴をあけてヌキとおす
                  紐を通してつなぐ
                  始じめから終わりまで
                  筋をとおす
 「母(はは・ボ・ム)」
 ・・・「主(あるじ・ぬし・シュ)」は「毋毌母」?・・・「毌」は「尺貫法の重さの単位・1貫=1000匁(もんめ)=3.75キロ」で、「明治二十四年(1891)~昭和三十三年(1958)まで商取引で用いられた」、「銭貨を数える単位・1貫は銭1000文・江戸時代には960文が1貫」・・・
 「毌丘倹
 (カンキュウケン
  ?~255年)・・・・・・卑弥呼の時代である
 中国三国時代の
 魏の武将
 字は仲恭
 父は毌丘興
 妻は荀氏
 弟は毌丘秀
 子は毌丘甸・毌丘宗
 孫は毌丘重・毌丘奥
 孫娘は毌丘芝
 司隷河東郡聞喜県の人」
 「毌丘儉、
  帶、步騎兵萬人、
  出、玄菟(ゲント)・・・・黒い莵(うさぎ)
  討伐、
  高句麗」・・・・・・・・・高句麗王は「位宮」
 「魏書・高句麗伝
  高句麗者、
  出於
  夫餘、・・・・・・・・・・「夫餘」
  自言
  先祖
  朱蒙。
  朱蒙母
  河伯女、・・・・・・「河伯(河馬)の女(むすめ)」
             カバ=椛=樺=蒲=萱場
                木花之佐久夜姫
                椛=栬
                もみじ=紅葉・摸視字
  為
  夫餘王
  閉於 室中、
  為日所照、
  引身避之、
  日影又逐。
  既而有孕、
  生一卵、
  大如五升。
  夫餘王
  棄之
  與犬 、
  犬不食
  棄之
  與豕、
  豕又不食
  棄之於路、
  牛馬避之
  後棄之野、
  衆鳥
  以
  毛茹之」・・・
  ↓↑
  河伯女、・・・「河伯(河馬)の女(むすめ)柳花」
             カバ=椛=樺=蒲=萱場
                木花之佐久夜姫
                椛=栬
                もみじ=紅葉・摸視字
          河伯(かはく、ホーポー、Hébó)
          中国神話に登場する
          黄河の神
          エジプト神話に登場する
          カバ(河馬)の女神は
         「トゥエリス(牝カバ)女神」で
          別称同化した名前は
         「レレト(雌豚)」は
         「牝豚(豕・彖・𧰧・𧰨)」
           ↓↑
         「封豕長蛇(ホウシチョウダ)は
          貪欲で残酷な国、人、その行い
          封は、大きいの意
          豕は、豚・猪(いのしし)
          何でも食う巨大な猪は貪欲で、
          物を丸飲みする長い蛇は残酷
          春秋時代、楚の政治家である
          申包胥が、
          楚を侵略する呉を
         「封豕長蛇のような国」と言った
          (春秋左氏伝)
           ↓↑
          亥豕之譌(ガイシノガ・文字の書き間違え)
          三豕己亥(サンシキガイ・文字の書き間違え)
          三豕金根(サンシキンコン)
          三豕渉河(サンシショウカ・文字の間違え)
          三豕渡河(サンシトカ・文字の間違え)
          豕交獣畜(シコウジュウチク
               獣のように人を扱うこと)?
          遼東之豕(リョウトウノシ・独りよがり
               無知の恥じの自覚
               夜郎自大
               井の中の蛙、大海を知らず)
          魯魚亥豕(ロギョガイシ・文字の書き間違え)
          などの
         「豕=彖・𧰧・𧰬(豸)・𧰨・甤」
          と「篆書体」の
         「篆(竹+彖→豸)」は
          関係するのか・・・意味としてスル・・・
  ↓↑
 「河伯(河馬)女」は・・・「豕=彖・𧰧
                 𧰬(豸)・𧰨・甤」
 エジプトの
 デンデラの女神
  ↓↑
 「カバの姿をした神」の名は
 「トゥエリス女神」
 トゥエリス(Thoeris)
 タウレト(Taweret・Tauret)
 「ハトホル女神」と同化
 「ハトホル」同様、
 新生児に運命を与える神
 メンフィスでは、
 メンフィス三柱神の一女神
 「セクメト」と同化
 頭はトゥエリス、
 体がセクメト
 という護符が多く作られていた・・・
 ↓↑
 古代エジプト名
 タ・ウレト
 タ・ウェレト
 ギリシア名
 トゥエリス
 ↓↑
 別称は
 イミティ・ネヌン(ヌンの中にいるもの)
 イピ(後宮もしくは気に入りの場所)
 オペト(天)
 ↓↑
 レレト(雌豚)・・・豕=彖・𧰧・𧰬・𧰨
             甤(草木の実が垂れ下がるさま)
             家=宀+豕
             豙=そこなう・ギ
               立+豕(𧰨)
 ↓↑
 ネベトアケト(地平線の女王)・・・卑弥呼?
 ↓↑
 聖域
 テーベ、
 ヘリオポリス
 ゲベル・シルシレ
 ヘミ・スペオス
 など
 カルナック・・・・・・・・・珂瑠(軽)名椄句
 には
 末期王朝時代から
 プトレマイオス朝時代にかけての
 トゥエリス神殿がある
 ↓↑
 デンデラ神殿複合体
 (Dendera Temple complex)
 古代エジプト語
 イウネト=Iunet
 タンテレ=Tanter
 ギリシア語
 テンティリス=Tentyris
 テンティラ=Tentyra
 エジプト、デンデラの
 南東約2.5kmに位置
 エジプトで保存された神殿複合体
 地域は
 ビドスの南、
 上エジプトの
 第6の
 ノモス・・・・・・(ギリシア語=νόμος
           ラテン文字=nomos
           古代エジプトの地方行政
           区画名
           セペトの名
           古代ギリシアの
           掟や習慣・法律
           社会制度上の道徳的観念
           法律や習俗
           人為的なモノの意
 とされた・・・
 ・・・「ノモス=セペト」は「人為的な区画」とは漢字の区画で、「楷書」、「篆書体」の漢字が収まる長方形、正方形の「わく=枠(或)」ある・・・
  ↓↑
 「デンデラの黄道帯(十二宮)」の彫刻
 「ハトホル神殿の
 レリーフには、
 デンデラの電球」
 の彫刻がある・・・電球・・・?
ーーーーー
 ボクは「ニコチン中毒」で、「駄菓子中毒」で、「文字中毒」ではあるが、「アルチュウ」ではない・・・だが「中毒」とは過剰、過度な「嗜好品」による体調に悪性の障害になるコトである・・・習慣性、依存性は「中毒=毒にアタル」ではないだろう・・・生きるためには「アルモノに依存」せざるを得ない・・・特に「衣食住」の「食」は絶対的に必要なモノである。だが「命(いのち・みこと・メイ)」の漢字分解は
 「命」=「𠆢(ひとやね・ひとがしら・頭蓋・家の屋根)」
        +
     「一(はじめ・ひとつ・イチ・イ)」
        +
     「叩(たたく・コウ・ク)」=「口」+「卩」
 である・・・これをどのように説明するのかは・・・個々人の「自由の範疇」である・・・
  ↓↑
 中毒(チュウドク)
 「毒に
  中( あた)る」・・・・的中・適中
 「生体に対して
  毒性を持つ物質が
  許容量を超えて体内に取り込まれ
  生体の正常な機能が阻害されること」
 「中毒の語は
  薬物依存症など依存症を指す」
 「生体内に入った薬物
  毒物や生体内の
  代謝産物によって
  病態や機能障害が生じること
  経過から慢性と急性とに分けられる
  どくあたり」
  ↓↑
「中毒」と「依存症」
 中毒症状
 develop [present] symptoms of poisoning.
 中毒
 「狭義には
  毒物の作用による生体機能障害
  広義には
  アルコール中毒や睡眠薬中毒
  薬の濫用によって
  本来無害なものが有害作用を示す」
 毒が原因で起こる疾病の総称
  ↓↑
 自家中毒
 体内の新陳代謝の
 過程に生じる産物の毒性による中毒現象
 尿毒症、糖尿病性昏睡
 などは自家中毒
  ↓↑
 自家撞着・・・同じ人の言動や文章などが
        前後で矛盾していること
        自分で
        自分の言行に反することをする
       「自家」は自分、自分自身
       「撞着」は突き当たること
            矛盾すること
       「自己矛盾」
       「鐘」を「撞(つ)く」
  ↓↑
 産業中毒
 製造業や建設業などの産業現場で
 さまざまな工程で
 有機溶剤
 重金属
 等多くの
 化学物質を使用したことによる
 健康障害
 「急性中毒」と「慢性中毒」の2種類
  ↓↑
 addict
 junkie
 substance
 abuser
  ↓↑
 addict
 ある物質に生理的に依存している人
 (someone who is
  physiologically dependent on a substance)
 addict
 nut
 freak
 junkie
 junky
 熱烈に傾倒する人
 (someone who is
  so ardently devoted
  to something
 that it resembles an addiction)
 golf addict=ゴルフ狂
 substance abuser
 user
 drug user
 薬物を服用する人
 (a person who takes drugs)
  ↓↑
 The Japanese are
   often presented
   as workaholics.)
 secret alcoholic
ーーーーー
  ↓↑
 中毒(チュウドク)
 「毒に
  中( あた)る」・・・・的中・適中
 「生体に対して
  毒性を持つ物質が
  許容量を超えて体内に取り込まれ
  生体の正常な機能が阻害されること」
 「中毒の語は
  薬物依存症など依存症を指す」
 「生体内に入った薬物
  毒物や生体内の
  代謝産物によって
  病態や機能障害が生じること
  経過から慢性と急性とに分けられる
  どくあたり」
  ↓↑
「中毒」と「依存症」
 中毒症状
 develop [present] symptoms of poisoning.
 中毒
 「狭義には
  毒物の作用による生体機能障害
  広義には
  アルコール中毒や睡眠薬中毒
  薬の濫用によって
  本来無害なものが有害作用を示す」
 毒が原因で起こる疾病の総称
  ↓↑
 自家中毒
 体内の新陳代謝の
 過程に生じる産物の毒性による中毒現象
 尿毒症、糖尿病性昏睡
 などは自家中毒
  ↓↑
 自家撞着・・・同じ人の言動や文章などが
        前後で矛盾していること
        自分で
        自分の言行に反することをする
       「自家」は自分、自分自身
       「撞着」は突き当たること
            矛盾すること
       「自己矛盾」
       「鐘」を「撞(つ)く」
  ↓↑
 産業中毒
 製造業や建設業などの産業現場で
 さまざまな工程で
 有機溶剤
 重金属
 等多くの
 化学物質を使用したことによる
 健康障害
 「急性中毒」と「慢性中毒」の2種類
  ↓↑
 addict
 junkie
 substance
 abuser
  ↓↑
 addict
 ある物質に生理的に依存している人
 (someone who is
  physiologically dependent on a substance)
 addict
 nut
 freak
 junkie
 junky
 熱烈に傾倒する人
 (someone who is
  so ardently devoted
  to something
 that it resembles an addiction)
 golf addict=ゴルフ狂
 substance abuser
 user
 drug user
 薬物を服用する人
 (a person who takes drugs)
  ↓↑
 The Japanese are
   often presented
   as workaholics.)
 secret alcoholic
ーーーーー
 ・・・「金銭中毒」には「プチブル意識」があるダレにでも罹る「ヤマイ」だが・・・初めからカネに不自由しない環境に生まれた王女様や、皇子様は「プチブル意識」は気薄だろう・・・
 「升」でハカリながら、過度に「権力(依存)」+「金銭(依存)」の奴らは「中毒麻痺」に陥るのは必定であるカナ・・・

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今の若者は老人になる・・・老人は昔、若者だった・・・

2016-06-20 01:07:35 | 古事記字源

 ・・・「コンサドーレ」が勝った。これで「日ハム」が勝てば、ドラゴンズには申し訳ないがスッキリと夜は過ごせるのだが・・・「立場」がハッキリしている地元のアナウンサーは有利なっても不利になっても、そのコトバにはフォローが感じられ、心が地元ファンと重なって楽しい。両チームに客観的で、公平的なアナウンサーは中途半端で批判的な印象を与え嫌われるカモ。兎に角、野球も勝った・・・「心情共感」とは「ラポール」ではあるが、チョッとした知り合い、チョッとした同郷共通項の「地域的な同族意識」ではある。ここの競技場、球場に集結する個々人の意識は「格差」などは吹っ飛んでしまう場所となっている・・・「大英帝国」の老人たちは「EU」からの離脱ですか・・・キッと「イングリッシュ (English・English language・イングリッシュ (Engrish) =非英語圏の人が使う奇妙な英語を表すスラング・イングランドの・イングランド人(の総体・English people・個人=English-man、English-woman)」自体を理解してイナイのだろう。無理もない「英語のスペルと発音」は目茶苦茶である、と「英語の語彙」が理解出来ないボクは思っているのだが・・・「英吉利」の老人たちはかっては「ビートルズ」に熱狂した。そして「ビートルズ」は「サー」の称号を賜った・・・今現在の「英吉利」の若者たちは「残留」だと云う・・・歳をとれば、いずれは老人になる・・・どこの「プロ・サッカーチーム」も人種も国籍も関係無い「インターナショナル」なのに、皮肉なコトに各国の「階級社会」を支え、「自由社会(?)」の息抜きの見世物興業になっている・・・そして、「ワールドカップ」・・・もうすぐ「国際興業」である「オリンピック」が始まるが・・・ここでの「高揚意識」は皮肉にも「国家への忠誠意識」である・・・キンメダルを捨てたハズのボクサーも、歳をとるたびに「アメリカ国家の幻想」に挽(ひ)きずり込まれて澱粉になっていった・・・
ーーーーー
 昨日は「銅鐸」、「銅鏡」、「前方後円墳」、「土偶」などの「形体」からの「コトバ」に触れたが、人間個々人の相互の「認識情報伝達」の「音声コトバ」は「注意喚起、警告」と、その起こっている事象の「形象の状態」の説明、そして安堵と反省。共同体が拡大すれば「情報伝達」は、遠方領域に響き渡る音響器具と視覚的な烽火(狼煙・のろし)で、現場での近辺情報は「標識(しるし)サイン」である。それは、字面に描かれた図形であったり、石の配置であったり、埴輪の土偶であったり、木に結ばれた紐であったりもする。そして「標識の記号サイン」は「広報伝達」として「形象」の「文字のコトバ」となるだろう。更に過去の生活の成果と危険、その反省は「文字」として伝承記録され、遺された文字文章は「音声」を伴った知識として学習される。だが、「知識、技術の学習」は「時間的余裕」が許されたモノだけのモノだった・・・ムカシは知識の独占は坊主、修行僧、修道僧、科挙の受験生・・・「支配階級」の庇護を受けた専門家、芸術家、そして、宦官、官僚落ちこぼれなどであった・・・
 「音声コトバ」も「文字コトバ」も、イツの間にやら「支配権力」にコントロールされるモノとして存在してしまった・・・
 そして、権力者の「音声コトバ」や「モジコトバ」を弾圧されながらも開放する人間も現れてきたのである・・・
 ↓↑
 で、漢字が日本に伝承されてきた現代までの「漢字(楷書文字の新舊=新旧)」が文字としてスゴイのは「形象+状態」を具象的にも、抽象的にも合体させた「伝達手段」であるコトだ・・・「旧字」の簡略された「新字」も「国字」も、現代大陸中国の「簡略体文字」とは、その「理論的整合性」に於いて異なるのである・・・
 「區」→「区」→品が「乂・乄」
 「舊」→「旧」→文字はマッタク同じ部分が無いが
         臼(うす・キュウ)が旧(ふるい・キュウ)
 「兒」→「児」→臼(うす・キュウ)が旧(ふるい・キュウ)
 の「部品」の相異を考えれば理解できるであろう・・・詳しくは「パソコンで表示できる旧漢字一覧」を参考にミル・・・
 ↓↑
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/kyuukannji.html
 ↓↑ 
 で、
 「心情」は「心」+「情」だが、
 漢字としての「心」は具体的な臓器の「形象」であり、「情」は「忄=心」と「青=主(ゝ王)+月(肉)」の合体文字である。
 「青」は「主+月」の合体文字であるが、
 更に
 「主」は「ゝ+王」、
 「王」は「一+土(つち・ト・ド)」、
 「二+丄(うえ・ジョウ)」、
 「三+丨(ぼう・コン)」
 の合体文字である。
 漢時代の「説文解字」の解釈説明は参考になるが、漢字分解に対しては「舌足らず」で徹底的ではない。
 あらゆる漢字構成の
 「漢字分析・漢字分解」
 の
 「原点・始点」は
 「・(テン)」と
 「丨(縦棒)・―(横棒)・ノ(曲棒)」と
 「○(まる)と、その部分」
 である。そして、これらの「部品の組み合わせ」で意味のある「漢字を構成」しているコトに尽きる。しかも、歴史的に説明、著述されてきた「漢字字典(事典・辞典)」は「説文解字」の枠の基本を出発点にしている・・・「漢字文字」の徹底分析からは始まっていない・・・
 「篆書体(テンショタイ)」文字は、
 「獣骨や亀甲などに彫って使用した文字」で、
 基本的には「形象文字」である・・・
 「ウイッキペデア」の説明には
  ↓↑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%86%E6%9B%B8%E4%BD%93
  ↓↑
 「篆書体(テンショタイ)は漢字の書体の一種。「篆書・篆文」ともいう。 広義には秦代より 前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代 に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す」
 「金文から更に字形の整理が進み、一文字の大きさが均等になった。文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本に、円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、線はすべて同じ太さで引かれる」
 「前漢を簒奪し新を建てた王莽は、公式書体制定の際にこの八体を整理、古文・奇字・篆書・佐書・繆篆 (びゅうてん)・鳥虫書(ちょうちゅうしょ)の6つにした」
 「鳥虫篆
  秦の八体に第七・殳書、
  新の六体に第六・鳥虫書として挙げる字体。
  春秋時代から秦代にかけて
  矛など武具の装飾用に用いられた、
  極めて装飾性の高い書体である。
  字形は
  うねうねと蛇のようにくねった
  細い線で構成される単純なもの、
  鳥の頭や姿を模した飾りが画の端々についているもの、
  さらに
  文字の原形を留めないほど
  無理矢理に鳥の形に変形させたものなどさまざまで、
  そのほとんどが文様化して解読不能である。」
 とあるが、「文字自体」は古代文字としての「形象文字」であるが「抽象的な意味」とされる「文字」もある。
 「不・要・無・有・在・色・愛・恋(戀)・至・止」
 はその「形象」は「楷書の部首形象」から意味を推理するしかないだろう・・・
 そもそも「篆書体」、「篆刻・ 篆書・篆文・小篆・大篆」の
 「篆(テン・デン)」とは、
 「篆」=「竹(たけ・チク)彑豕(𧰨)」
      +         彑𧰨
     「彑(ケイ・ガイ)」
       (彐部(いのこ頭・ぶた頭・ケイブ)
        彐の字は豚(ブタ)の頭
        中国では「雪字底」・「尋字頭」
       「尋(たずねる)+字+頭(かしら)」
        ヨは
        エ(たくみ)な
        ロ(くち)を
        寸(はかる)
        「彐=彑」・・・彖蠡逯
               「ク=々」・・・象色
                 々=同
        豚(ブタ)の尖った鼻先
        彐部=彑・ヨ・∋・⺕
           ヨ=右手
           彔→录・・・記録(金+录→彐水)
                 葉緑(糸+录)
                 額縁(糸+彖→彑𧰨)
           尹争
           聿(筆)・隶(逮)
           事(一口ヨ亅)
           書(聿日→曰)
           彗(彗星)
           掃(掃除・箒)
           雪(氷雪)
           帇(ジョウ)
           肅(つつしむ・シュク)
           畫(画)
           晝(昼)
           灵(靈・霊)=中国語(簡体字)で
               機能が優れている
               耳朵很灵=耳ざとい
               効き目
               賢い・頭がよく回る
      +
     「豕=𧰨(いのこ・ぶた・シ)」
 である・・・これらの「合体文字」をどのように「部品・部首」から合理的で、整合性のある説明が出来るのか・・・
 「YHOO知恵袋」には
  質問
 「篆刻、篆書などの「篆」の字の由来を知りたいです」
  答え
 「篆」の字の由来を調べましたがわかりませんでした。
 と、あったが・・・「竹の彑の豕(一𧰨)」である・・・
ーーーーー
 ・・・

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草書体をヨムのはムズカシイ・・・ドウタクとドグウ

2016-06-18 23:36:33 | 古事記字源

 ・・・昨日のNHKの「歴史秘話ヒストリア」の「群馬県の保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん・八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳が集積する古墳群)」、古墳は九州と畿内など、「江田-船山古墳(熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)・清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳・日本最古の記録文、75文字の銀象嵌銘をもつ大刀が出土」を調べてはいたが、関東や群馬の古墳には疎かった・・・スゴイね、古墳の現代的復元保存。火山灰にウヅまっていたのを復元ですか・・・いつの時代の火山灰なんだろう・・・「約1,500年前の豪族が葬られた墓」・・・「埴輪(はにわ)の顔」は柔和で、優しい・・・「縄文土器」には「自然の激しさの動き」を感じるモノもあるが・・・「彌生時代」の「はにわ」や「え」は概(オオムネ)が静止的である・・・
 兎に角、「字通部通(じつぶつ)」よりも、「実物(ジツブツ)」を目で確認した方がイイだろうが、それらの情景の「理解説明」は個々人のイメージと、個々人の「認識知識の経験範囲」で様々であろう・・・「事実」を知る為には「タイムマシン」が必要であるが、ムリだろう・・・やっぱ「文字での情報説明」が欲しいが、「文字」以前は「遺された遺物の形(形象)での情報伝達」であろう・・・
 それでも、現在は「視覚と聴覚」の「ビデオ(YOU-TUBE)」での情報であるが・・・「有得註部」であるカナ・・・
 ボクにとって「草書」では「漢文」でも「和文」でも、「和漢混交文」でも解読が難しい・・・
 「草稿の原本(原稿)」は「草書」で、「校正本」は「楷書」で印刷・・・「楷書写本」では「草書の書き手の意味」が「異字体漢字(形態は相似)」だったモノが「楷書の漢字転換」で異なったの意味の「楷書文字」になる・・・
 「楷書」でも「細かい漢字」は老眼になってしまっては「読み辛い」から「ヨメない」・・・でアルなッ・・・「滝沢馬琴」さん・・・
  ↓↑
 「南総里見八犬伝」の
 「曲亭馬琴=滝沢馬琴=瀧澤興邦
  幼名、春蔵、倉蔵
  通称、左七郎、瑣吉(さきち)
  号に著作堂主人
    笠翁(リツオウ)
    篁民(コウミン)
    蓑笠漁隠(サリツギョイン)
    飯台陳人(ハンダイチンジン)
    玄同(ゲンドウ)など
  明和四年六月九日(1767年7月4日)
  ~
  嘉永元年十一月六日(1848年12月1日)
  長女
 「幸(さき)」の
  婿養子は、
  吉田新六(清右衛門)
  ↓
  67歳の馬琴
  右眼を失明
  左眼もかすむ
  73歳で失明
  ↓
  息子の
 「宗伯」の妻の
 「お路」が口述筆記
  馬琴の妻の
 「お百(会田氏の娘)」が嫉妬
 「お百」は
  天保十二年(1841年)に死没
  子供
  幸、祐、興継(宗伯)
  渥美氏に嫁した
  鍬
  嫁は
  興継の妻
  「みち(土岐村路)」
  その子供に
  太郎、つぎ、ちさ
  ↓
  馬琴のペンネームは
 『十訓抄(野相公=小野篁)』
 「索婦詞」
 の一節
 「才非馬卿弾琴未能
 (才、馬卿(司馬相如)に非ざれば、
  琴を弾くこと未だ能わず)」
 から」採用した・・・とか・・・
 ・・・「侖(liuan-luan、リン-ロン)」が「短冊を揃えた」から「そろえたモノ」の象形文字ですか・・・なるほど「倫理・倫敦」は人間関係、「論理・言論」はコトバの関係、「告諭(喩)・揶揄・愉快」は気持ち、「経綸」はお経の教え・「車輪・競輪」はクルマの両輪の関係・・・「音符」に相当する漢字と、意味の類別を表す「意符」が組み合わさった「形声文字」が形成され、一文字漢字の「音素・単音」の漢字が少ない・・・秦の始皇帝が「字体統一」・・・
  ↓↑
 亀甲獣骨文字(甲骨文字)→金文文字(青銅器などへ刻文)
   小篆
   ↓
  →篆書体文字
   →隷書文字
    →草隷(隷書の走り書き、崩し書き文字)
     →楷書(隷書を直線的に書いた文字)
      →行書(楷書の崩し書き文字)
       →則天文字(則天武后の創作文字)
        →宋朝体(木版技術の楷書の印刷書体)
         →明朝体文字
         ↓↑
 歴代王朝の科挙試験、国家組織では
 「正字=楷書」漢字だったが、
 一般庶民では「通字」や「俗字」と呼ばれる漢字が使われた・・・
  ↓↑
 「説文解字」
 最古の
 部首別漢字字典
 後漢の
 許慎(キョシン)の著作
 和帝
 永元十二年(西暦100年)成立
 建光元年(121年)
 に許慎の子の
 許沖(キョチュウ)が
 安帝に奉った
 本文十四篇
 叙(序)一篇
 の十五篇
 小篆の見出し字
 9353字
 重文(古文・籀文および他の異体字)
 1163字
  ↓↑
 漢字書体
 篆書・隷書・草書・行書・楷書
 楷書の印刷書体=明朝体
         ↓↑
    →片仮名(日本)文字
    →平仮名(日本)文字
    →国字の漢字(日本)文字・・・
    →常用「新漢字」文字
ーーーーー
 ・・・「日本の文字」は「江戸時代~明治」の知識人の脳ミソを踏まえる必要があるのでは・・・?
 「ロウガン」から・・・また、とんでしまった、「バキン」さん・・・楷書漢字の「かくりつ=確立=化句理通(椄)?」・・・そして「日本の国字は約1,500」・・・
  ↓↑ 
 「卑彌呼」と「壹與」・・・
 「倭人」は「俀人」、「和人」、「日本人」になったのか?・・・
  ↓↑
 「麻氐(弖)良布(須)・・・草書では「布と須」は類似
 (まて   らふ(す)
  アサテラフ=あまてらす
  アサテラス)」神社
 「朝倉・浅倉・麻倉=あさくら」神社・・・
  チョウソウ・センソウ・マソウ・・・字句等・・・?
  ↓↑
 「卑弥(彌)呼」=「俾彌呼(三国志・魏書帝紀)」
          「卑・鬼」→「甶(フツ)
                 囟(ひよめ・シン)」
                 は
                 写本版本には「田」
                「囟」は頭蓋骨
                 細思偲鰓などが類字漢字
            卑=甶+ノ+十
              鬼卑胄冑甹
              由+ノ+十
              曳
            卑=ノ+田+ノ+十
              畀界異里畠雷
              苗葍奮番
              冨富(とみ・フ)
              當(あてる・トウ・当てる)
              罍(もたい・ライ・酒樽・酒壜)
              纍(つづる・ライ・ルイ・累)
              翼
              胃甼男毘累勇
              思(恩)=因+心→囟=心?
                (原)因+心
 「おど」=「入江」=「へそ(毘・𦜝)」・・・
 「日向(ひゅうが・ひむか)」・・・
 「夜須=やす=安=靖=野洲=康」・・・靖国神社?
ーーーーー
 本を読むよりも個々人の脳ミソにとっては「youtubeの映像と音声」が手っ取り早いカモ・・・
 ↓
 草書体で解く邪馬台国の謎(井上悦文 久留米地名研究会)
https://www.youtube.com/watch?v=U1D0EURZBpY
 ↓↑
 歴史探訪・邪馬台国を追って (ハイビジョン編集)
https://www.youtube.com/watch?v=yetoX6MC63U
 ↓↑
 保渡田古墳群(群馬県高崎市)
https://www.youtube.com/watch?v=RkxLxVRI358
 群馬県
 榛名山の南麓の
 保渡田・井出の地
 ↓↑
 八幡塚古墳
 前方部前面の
 中堤上に
 円筒埴輪列で方形に区画された部分から
 人物類、
 ウマ(馬)
 ニワトリ(鶏・雞)などの家畜
 イノシシ(猪)
 水鳥(鵜・鸕・鴨)
 狩猟鳥獣の
 形象埴輪が出土
 ↓↑
 保渡田・・・・・・・・・保(たもつ・ホ)
             渡(わたる・ト)
 ↓↑          田(た  ・デン)
 八幡塚古墳
 鵜(鸕)形埴輪が出土
 首を高く上げ
 口に
 魚を・・・・・・・・作掛名・・・うお・まな→真名=漢字
 銜(くわ)え、・・・句和得
 首に
 鈴のついた
 首紐(くびひも・シュチュウ)
 が付けられた
 鵜(う・鸕)の姿
 鵜(鸕)を用いて
 川漁を行う鵜飼は
 文献史料では
 古代中国の
 「隋書」
 「古事記」
 「日本書紀」
 などに記録・・・「銅鐸(袈裟襷文銅鐸・伝香川県出土)」
          にも描かれている足長の鳥




 ↓↑
 二子山古墳・・・・・・二語・二古・弐語・双子
            ふたご=双生児=創生異字
 墳丘部が三段築成
 周濠は
 馬蹄形で
 二重
 内濠部に
 後円部を囲むように
 くびれ部
 斜面側後方部分に中島を4基配置
 墳丘・中島・中低部とも
 川原石で
 葺石としている
 埴輪円筒列を巡らしている
 丘北側の中堤部分の一角から
 外濠西北隅の外側部分に
 人物埴輪
 飾馬(馬具を装着した馬)
 猪(いのしし)
 犬(イヌ・狗・戌)
 盾(たて)
 蓋(きぬがさ)
 家(いえ)
 などの
 形象埴輪を・・・・情報物体を
 配置した・・・・・葉位置(意知)
 区画・・・・・・・くかく・クガ
 ↓↑
 薬師塚古墳・・・・ヤクシジ→訳詞字
 天和三年(1683年)
 発掘されたとされる
 凝灰岩製の
 舟形石棺・・・・・ふながた・ふねがた→附音臥他
 (長さ2.9メートル)
 が
 後円部頂部に保存
 その時に出土した
 仿製(ボウセイ)内行花文鏡
 鋳銅製馬具類
 玉類が
 西光寺に伝来・保管


ーーーーー
 ・・・「邪馬台国」、「邪靡台国」、「邪馬臺国」、「邪馬壹(壱)台国」・・・記録的には「銅鏡」だが、「銅鐸」の記録は無い・・・「銅鐸」は「さなぎ(蛹・佐名木・真木・佐薙・佐柳)=かいこ(蚕)=さらぎ(蛇穴・沙羅祁・沙良祇・佐良ぎ・咲良ぎ」と呼ばれていたのカモ・・・
 「大仏=大佛(だいぶつ、おさらぎ)」とは、「若木」=「大仏」で、「おさなぎ」→「おさらぎ」になった・・・
 「オホ(大)サラギ(新参者)」であった・・・
 寺院に関係しない「山の斜面」などに散見される地名のひとつ。
 大和言葉の「オホ(大)ソレ(焼畑)キ(場所)」の変化で、山地の焼畑のあった場所を指す言葉が転じた・・・
 「大仏(だいぶつ、おさらぎ)」は、日本各地にある地名・・・
 「ほのか(かすか)」、 「物事の正しい道筋」・・・
 「煩悩の 結び目を「解く=ほどく」という意味から・・・
 あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに
 「ほとほりけ(ホトボリ気)」、すなわち「熱病」が流行したためにこの名がある・・・「ホトボリが冷める」、「ほとぼり」は「余熱(熱)」で、「ほ( 火)」+「とほり(通り)」から、「火(ほ)点り(とぼり)」で「余熱」・・・?
 「ホトほり」が醒めるとは、「交具合(まぐあい・性交・情交)」のヨイン・・・
 「ほと」は古い日本語で女性器の外陰部・御陰、陰所、女陰の字を宛てる」、転じて「女性器の外陰部のような形状、 形質(湿地帯など)、陰になる場所の地形」をさす地名・・・
 「伊邪那美(イザナミ)は、女陰(ホト・蕃登)を産んだ息子に焼かれて死んだ」、
 「三輪山の大物主の大蛇の姿をみた娘は箸で突いて死んだ」、
 「機織り女の巫女はホトを杼(ひ)で突いて死んだ」、
 「照大神の服織姫は女陰(ホト)を杼で突いて死んだ」、
 「倭迹迹日百襲姫が箸で女陰をついて死んだ」、
 「素戔烏に皮を剥いだ馬(駒・こま=狛・高麗)を投げ込まれ、杼でホトを突いて死んだ」、
 「天の機織り女、おカイコの機織部で、呼は蚕の意味」・・・
 「ホトケ=仏像」は金銅の鋳物で、「銅鐸」も「銅鏡」も鋳物である。鋳物には火で熔解した胴を流し込む「カナガタ(金型)」が必要である・・・「さなぎ」とは「蚕(かいこ・サン)」のカナガタだが、糸をツムグ前に「蛹(さなぎ)」の中の生きている「蚕」を「熱湯で殺す」のである・・・ホトリが冷めた段階で、紡ぎの作業が始まる・・・
 「つむぐ(紡ぐ)」
 名詞「つむ(錘)」の動詞化
 「綿 や繭 (まゆ) を
  錘 (つむ) にかけて繊維を引き出し、
  縒 (よ) りをかけて糸にする」・・・
 「眉輪(目弱)の皇子」は「つぶら(圓・円)の大臣(おみ)」の屋敷に逃げ込んで「雄略天皇」に殺された・・・
  ↓↑
 「虫祭り」は「旧6月24日」である・・・
  ↓↑
 「秦河勝」
 「山城国葛野の出身。聖徳太子の側近として活躍した。また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある[要出典]。
 「秦河勝」
 用明天皇二年(587年)
 「丁未の乱」で
 物部守屋の追討戦に従軍
 厩戸皇子を守護し
 守屋の首を斬った
 推古天皇十一年(603年)
 聖徳太子より
 弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、
 蜂岡寺を建てそれを安置
 推古天皇十八年(610年)
 新羅の使節を迎える導者として
 土部菟とともに当る
 皇極天皇三年(644年)
 駿河国
 富士川周辺で、
 「大生部多」の
 常世神
 (害虫・投機的なニセ蚕の養蚕)・・・明治の群馬の養蚕
                   事業が投機的に
                   なった事件があった
                   群馬県「富岡製糸場」
             小田村伊之助(楫取素彦)は
             久坂玄瑞の妻となった吉田の妹
             杉文(楫取美和子)と再婚
 を崇める集団を追討
 赤穂の坂越で死没
 生島には秦河勝の墓
 坂越湾に面して
 秦河勝を祭神とする
 大避神社が存在・・・ダビデ?が鎮座」
  ↓↑
 「大仏次郎(おさらぎじろう)」とは
 「大佛次觔」
 1897年(明治30年)10月9日
   ~
 1973年(昭和48年)4月30日)
 小説家
 野尻 清彦(のじり きよひこ)
ーーーーー
 「鞍馬天狗とは倉田典膳(繕)君、君のコトだな」
 「いかにも、君は新撰組の局長、近藤勇か」
 ・・・

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「ジャマタイコク」の「ダイケイのキカ臥句」・・・

2016-06-17 19:59:19 | 古事記字源

 お借りして居る「無料のHP」は修復メンテナンスが長引きそうである・・・それで、もし、「邪馬台国」の「地図」に興味があるならば、以下のサイトを覗いて下さい・・・
ーーーーー
http://www.ac.auone-net.jp/~kiriya/sub3.html#
ーーーーー

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ニワトリか他万語か・・・ランの始まりはミコト・・・

2016-06-16 18:12:52 | 古事記字源

 ・・・「日本の高校生が「殻無しの卵からヒナを誕生」させた!千葉県の高校生物部の研究が世界で話題に」・・・「カミさま」の「ワザ」であるカナ・・・復活・・・「太陽黄経15°→三月節→清明→4月4~5日」・・・
  ↓↑
http://youpouch.com/2016/06/15/361839/
ーーーーー
・・・鶏(にわとり・ケイ)の卵(たまご・ラン)からの孵化・・・「鮒(ふ)椄(っ・殱)掛(か)通(つ)差(さ)異(い)」・・・復活の差異?・・・フッカツサイ・・・
 「Ego」の始まりは「egg」・・・?
 「殲=つくす・ほろぼす・セン・殺しつくす・滅ぼす・殺し尽くす・皆殺し・殲滅」・・・「殱」は俗字・・・
 「歹(もとる・カツ・ガチ・いちたへん・かばねへん)」
  +
 「韱(やまにら・セン・人人韭戈)」・・・韭=にら=韮
     「韭=非+一」→韭→业→並→丵(ほる・はり・サク)
               业→並→丵
                   丵(削)岩機
 ・・・繊維(糸+韱+糸+隹)、「より糸」の象形+「刃のついた矛の象形と人の象形(みじん切りにする)と、地上に群がり生え揃った、韮(にら)の象形」、「微塵(みじん)切りにしたような山韮(やまにら)」から、「細く弱々しい糸」の意。
 「繊維」の「繊=糸十业戈」は「纖=糸人人非一戈」の略字・・・
 「籖(くじ・セン)=かずとり・数をかぞえるときに使う棒
          「宝籤・抽籤・当籤・便箋(籤)」、
          「籖」は「籤」の俗字・・・
          「人人」→「十」
  ↓↑
 「キリスト」死期の
 三日目に生き返えった
 「復活祭(Easter)」
 「春分の日の・・・・・・・・・3月20-21日後
  後の最初の満月の・・・・・・の満月(十五夜)の
  次の日曜日に祝われる」・・・次の日曜日・・・?
  ↓↑
 「春分(vernal equinox)」
 は、
 「二十四節気の第四」
 「昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなる」
 実際には昼の方が14分ほど長い
  ↓↑
 旧暦(陰暦)二月の内
 定気法
 太陽が春分点を通過した瞬間
 太陽黄経が0度となったとき
 暦ではその瞬間が属する日
 春分日(春分の日)
 その国・地域の時差によって
 1日の違いが出る
 日本では
 3月20日、
 または
 3月21日
 になることが多い
 恒気法では
 冬至から
 1/4年(約91.31日)後の
 3月23日ごろ
 期間としては
 この日から、
 次の節気の
 「清明」前日まで
 西洋占星術では
 春分は
 白羊宮(おひつじ座・牡羊座)の始まり
 ↓↑
 二十四節気
 当初、
 冬至を計算の起点にして、
 1太陽年を
 24等分した
 約15日ごとに設けられた
 これを
 平気法や恒気法または時間分割法という
 地球の軌道は
 円ではなく
 楕円であるため、
 太陽の黄道上での
 運行速度は一定ではなく
 中国では
 清朝の時憲暦から、
 日本では
 天保暦から、
 黄道の春分点を起点とする
 15度ずつの24分点に分け、
 太陽がこの点を通過する時を
 二十四節気とすることにした
  ↓↑
 太陽黄経
 ↓↑ 季節 節月 グレゴリオ暦 日本   中国
 315°春 一月節
立春 2月4-5日  2月4日  2月4日
 330°一月中 雨水 2月18-19日 2月19日  2月19日
 345°二月節 啓蟄 3月5-6日  3月5日  3月5日
 0° 二月中 春分 3月20-21日 3月20日  3月20日
 15° 三月節 清明 4月4-5日  4月4日  4月4日
 30° 三月中 穀雨 4月20-21日 4月20日  4月19日

 45° 夏 四月節
 立夏 5月5-6日 5月5日 5月5日
 60° 四月中 小満 5月21-22日 5月20日 5月20日
 75° 五月節 芒種 6月5-6日  6月5日 6月5日
 90° 五月中 夏至 6月21-22日 6月21日 6月21日
 105°六月節 小暑 7月7-8日  7月7日 7月7日
 120°六月中 大暑 7月22-23日 7月22日 7月22日

 135°秋 七月節
立秋  8月7-8日  8月7日 8月7日
 150°七月中 処暑 8月23-24日 8月23日 8月23日
 165°八月節 白露 9月7-8日  9月7日 9月7日
 180°八月中 秋分 9月23-24日 9月22日 9月22日
 195°九月節 寒露 10月8-9日 10月8日 10月8日
 210°九月中 霜降 10月23-24日 10月23日 10月23日

 225°冬    十月節
立冬 11月7-8日  11月7日 11月7日
 240°十月中 小雪 11月22-23日 11月22日 11月22日
 255°十一月節 大雪 12月7-8日  12月7日 12月7日
 270°十一月中 冬至 12月21-22日 12月21日 12月21日
 285°十二月節 小寒 1月5-6日   1月6日 1月6日
 300°十二月中 大寒 1月20-21日  1月21日 1月20日
  ↓↑
 イースター島
 火山島
 現地語名は
 ラパ・ヌイ(ラパ・ヌイ語: Rapa Nui)
 正式名は
 パスクア島(スペイン語: Isla de Pascua)
 「Pascua」はスペイン語で
 復活祭(イースター)
 モアイの建つ島
 ポリネシア・トライアングルの東端
 最も近い有人島まで
 直線距離2000km余
 周囲には島が存在しない絶海の孤島
南緯27度7分
 西経109度22分
 「ラパ・ヌイ」とは
 ポリネシア系の先住民の言葉で
 「広い大地(大きな端とも)」
 かつては、
 「テ・ピト・オ・ヘヌア(世界のへそ)」
 「マタ・キ・テ・ランギ(天を見る眼)」
 などと呼ばれた
 名前は、
 19世紀の後半に実際に島に辿り着けた
 ポリネシア人が付けたもの・・・
 1722年4月5日(享保七年二月二十日)
 壬寅(己・丙・甲)
 甲辰(乙・癸・戊)
 乙亥(戊・甲・壬)
 日曜日
 先負
 復活祭(イースター)の夜、
 オランダ海軍提督
 ヤーコプ・ロッヘフェーン
 が発見
 1000体を超えるモアイと、
 火を焚き地に頭を着けて祈りを捧げる島人の姿
 を目の当たりにする
 1774年
 イギリス人探検家の
 ジェームズ・クック
 が上陸
 島のモアイの半数ほどがまだ直立していた
 伝承では
 1840年頃に最後のモアイが倒された・・・
 「北海道・蝦夷地」が描かれていない日本地図

 ↓↑


 「イースター島」の地図は「北海道・蝦夷」の形、魚の「カスベ・エイ」に似ている・・・
 ↓↑
 「復活」で
  ダレが救われたのか?
 「マリヤ・マリア・メリー・メアリー」
 である・・「お雪(マリア)」は・・・「ウイリアム・アダムス(三浦 按針)」の妻で「馬込勘解由」の娘であった・・・
 ↓↑
 ウィリアム・アダムス(William Adams)
 1564年9月24日~1620年5月16日(元和六年四月二十四日)
 甲子       三合壬    庚申(傷官)
 癸酉(傷官・食神)三合辛    辛巳(食神)
 己卯       支合丁    壬戌(正財)
 木曜日      土曜日  
 仏滅       大安
 ↓↑
 江戸時代
 徳川家康に外交顧問として仕えた
 イングランド人航海士・ 水先案内人・貿易家
 三浦 按針(みうら あんじん)
 ↓↑
 生誕 1564年9月24日
 イングランド王国・ケント州・ジリンガム
 1620年5月16日
 肥前国平戸(長崎県平戸市)で死没
 配偶者 お雪(マリア)
 ↓↑
 12歳
 ライムハウスに移り、
 船大工の棟梁
 ニコラス・ディギンズに弟子入り
 1588年に奉公の年限を終え
 海軍に入り
 フランシス・ドレーク
 の指揮下にあった貨物補給船
 リチャード・ダフィールド号の船長として
 アルマダの海戦に参加
 1589年
 メアリー・ハインと結婚
 娘デリヴァレンス
 息子ジョン
 を儲けた
 バーバリー商会ロンドン会社
 の航海士・船長として
 北方航路やアフリカへの航海
 ↓↑ 
 ロッテルダムから極東を目指す航海のために
 ベテランの航海士を募集
 弟の
 トマスら
 と共にロッテルダムに渡り志願
 航海は5隻からなる船団で行われた
 ↓↑
 リーフデ号の航海
 ホープ号(希望・旗艦)
 リーフデ号(愛)
 ヘローフ号(信仰・ロッテルダムに帰還した唯一の船)
 トラウ号(忠誠)
 フライデ・ボートスハップ号(良い予兆・陽気な使者)
 ↓↑
 司令官
 ヤックス・マフは
 アダムスをホープ号の航海士として採用
 1598年6月24日
 ロッテルダム港を出航
 ↓↑
 マゼラン海峡を抜けるまでは
 ウィリアムとトマスの兄弟は
 リーフデ号に配置転換
 トマスが最初乗船していた
 トラウ号は
 東インド諸島でポルトガルに拿捕
 フライデ・ボートスハップ号は
 スペインに拿捕
 ヘローフ号はロッテルダムに引き返した
 生き残った2隻で太平洋を横断中
 ホープ号沈没
 極東に到達目的を果たしたのは
 リーフデ号1隻
 食糧補給のために寄港した先々で
 赤痢や壊血病が蔓延
 インディオに襲撃され
 トマスは殺害
 出航時に110人
 日本漂着までには24人
 ↓↑
 1600年4月29日(慶長五年三月十六日)
 三合会局水・壬(正財)←己卯
 庚子(傷官)刑←己卯
 庚辰(傷官)害←己卯
 庚申(傷官) ←己卯
 土曜日
 赤口
 リーフデ号は
 豊後臼杵
 黒島に漂着
 臼杵城主
 太田一吉の出した小舟で日本上陸
 太田は
 長崎奉行の
 寺沢広高
 に通報し
 寺沢は
 アダムスらを拘束
 船内の
 大砲や火縄銃、弾薬などの武器を没収
 大坂城の
 豊臣秀頼
 に指示を仰いだ
 この間に
 イエズス会の宣教師たちが訪れ、
 オランダ人やイングランド人を
 即刻処刑するように要求
 ↓↑
 五大老首座の
 徳川家康が指示し、
 重体で身動きの取れない船長
 ヤコブ・クワッケルナックに代わり、
 アダムス
 ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン
 メルキオール・ファン・サントフォールト
 らを大坂に護送
 併せて船も回航
 ↓↑
 5月12日(慶長五年三月三十日)
 家康が彼らを引見
 イエズス会士の注進で
 リーフデ号を海賊船だと思い込んでいた
 家康だが、路程や航海の目的、
 オランダやイングランドなど
 プロテスタント国
 と
 ポルトガル・スペインら
 カトリック国との紛争の説明を
 アダムスとヤン=ヨーステンから訊いて
 誤解を解き
 しばらく乗組員たちを投獄したものの、
 処刑を要求する宣教師らを黙殺し、
 幾度かにわたって引見した後に釈放し、
 江戸に招いた
 ↓↑
 三浦按針
 アダムスは帰国を願い出たが、
 家康は米や俸給を与えて慰留し、
 外国使節との対面や外交交渉に際して
 通訳を任せたり、・・・・?この時期、アダムスは
 助言を求めたりした・・・日本語は理解してたのか?
             英語を理解出来る日本人は?
             通訳は英語と日本語を理解する
             スペイン人orポルトガル人?
 ↓↑
 この時期
 幾何学や数学
 航海術などの知識を
 家康以下の側近に授けた・・・「幾何学・数学」でアル
 1602年頃
 日本橋
 大伝馬町の名主で
 家康の御用商人でもあった
 馬込勘解由の娘、・・・・・・「馬込勘解由」でアル
 お雪(マリア)と結婚・・・・「雪=マリア」でアル
 彼女との間には、
 息子、ジョゼフ(ヨセフ)・・「Joseph・寄せ附」?
 娘、スザンナ(スーザン)・・「Susan・数得算」?
 が誕生
 ↓↑ 
 江戸湾に係留されていた
 リーフデ号沈没
 ↓↑
 家康の
 西洋式の帆船建造の要請で
 アダムスは、当初は固辞したが
 伊東に日本で初めての
 造船ドックを設け
 80tの帆船を建造・・・・・・八十遁?
 1604年(慶長九年)に完成
 家康は更に大型船の建造を指示
 1607年
 120tの船舶を完成
 この船は
 1610年に
 房総の御宿海岸で遭難し
 地元民に救助された
 前フィリピン総督
 ロドリゴ・デ・ビベロに
 家康から貸し出され、
 サン・ブエナ・ベントゥーラ(幸運)号
 と名付けられた
 ↓↑
 慶長十八年(1613年)
 慶長遣欧使節
 仙台藩主
 伊達政宗が
 フランシスコ会宣教師
 ルイス・ソテロを正使、
 支倉常長を副使として、
 スペイン国王
 フェリペ3世
 ローマ教皇
 パウルス5世のもとに派遣
 1611年12月2日(慶長十六年十月二十八日)
 慶長三陸地震・津波
 2年後の
 1613年に
 「月の浦」から
 サン・ファン・バウティスタ(洗礼者)号が出帆
 ↓↑
 スペイン人の
 ビスカイノ提督の協力で
 陸奥国領内
 「桃生-水浜」で建造した
 ガレオン船(西洋型軍船)
 サン・ファン・バウティスタ(洗礼者)号
 約500トン級
 ↓↑
 「伊達貞山治」家の記録に
 建造船に関して
 将軍
 秀忠付きの船手頭
 向井忠勝から
 御内衆や
 公儀大工が派遣された・・・アダムスが1607年に
              120tの船舶を完成させた時の
              船大工か・・・?
 ↓↑
 家康は、
 アダムスを
 250石取りの
 旗本に取り立て、
 帯刀を許し
 相模国・・・・・・「さがみに、かみにかみて(古事記)」
 逸見(へみ)・・・「逸=それる・はやる
             ある場所からさっと抜け去る
             逸出・逸走・後逸
             横にそれて逃れる
             抜けて見えなくなる
             逸脱・散逸
             世間に知られていない」
          「逸事・逸聞・逸話・逸文」を見る
 に采地も与えた
 三浦按針の名乗りを与えられ、
 日本の武士となった
 のち、
 所領は息子の
 ジョゼフが相続し、
 三浦按針の
 名乗りも
 ジョゼフに継承された
 ↓↑
 1613年
 東インド会社の
 クローブ号・・・・クローブ(Clove)=フトモモ科の
          植物チョウジノキの開花前の
          花蕾を乾燥させた香辛料の名
          原産地はインドネシアのモルッカ群島
          漢名=丁子(ちょうじ)
             丁香(ちょうこう)
 が交易を求めて日本に来航
 一行に付き添い、
 家康らとの謁見を実現させ、
 貿易を許可する
 朱印状を取りつけるなどの手助けをした
 1614年
 クローブ号帰還の際には、
 一緒に帰国できる許可が
 日英両方から出たが、
 同船司令官
 ジョン・セーリス
 と「馬が合わず」、帰国を見送った
 セーリスは何事も
 日本式のアダムズが気に入らず、
 アダムズは
 セーリスを
 無礼な青二才として嫌っていた
 一行が去ったあとは、
 それまで手伝っていた
 オランダ商館から
 母国
 イギリス商館に移る
 ↓↑
 1616年(元和二年)4月
 家康死亡
 徳川秀忠が将軍
 貿易を
 平戸のみに制限
 按針の立場は不遇となり
 按針の役目は
 「天文官」だけとなり、・・・・「天文官」に専念でアル
 幕臣や次期将軍候補の
 徳川家光らに
 警戒されながら、・・・・・・・・「?」
 1620年5月16日(元和六年四月二十四日)
 平戸で死没
 享年55歳
 ↓↑
 「鈴木かほる(?)」氏によれば、
 徳川家康が
 ウィリアム・アダムスを
 外交顧問として雇用した理由は、
 自領の関東
 浦賀湊に
 スペイン人鉱夫を招聘し、
 スペイン領メキシコで行われている
 画期的な
 金銀製錬法
 「アマルガム法」を導入するためであり、
 その交渉に
 アダムスをあたらせたという新説・・・
 その理由として、
 アダムスは家康と謁見した際、
 日本との
 通商を請うたにもかかわらず、
 オランダとの通商が成立したのは
 アダムスの日本来航から
 9年後の
 慶長十四年(1609年)七月
 アダムスの母国
 イギリスとは
 慶長十八年(1613年)八月で、
 スペインのように
 家康からの働きかけではなく、
 両国の
 東インド会社の使節が派遣され
 アダムスの斡旋により成立
 家康にとっては受け身で
 家康が浦賀湊の入港を指定したのは
 スペイン商船のみで、
 そのために
 三浦郡
 浦賀邸
 と
 逸見村
 の采地を与えた
 浦賀湊に
 スペイン商船が入港する都度、
 西国から商人が浦賀に急行し、
 浦賀は国際貿易港として賑わっていた・・・
 ウィリアム・アダムス
 の
 マニラ(スペイン領)交渉により
 浦賀フランシスコ修道院が建立され、
 江戸の修道院とともに
 関東における
 キリスト教伝播の起点となった
 ウィリアム・アダムスが
 外交顧問としてその本領を発揮したのは
 このマニラ渡海である・・・
ーーーーー
 ・・・カラの無いタマゴの復活・・・

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