kirekoの末路

すこし気をぬくと、すぐ更新をおこたるブロガーたちにおくる

まさかの

2008年12月08日 18時22分55秒 | 拍手レスとか
包囲網絶賛稼動中@kirekoです。


>拍手レス

2:55 オフレコの方

たぶん知らないと思わせておいて、知っているのでは。
いや、知っていると思わせておいて、実は知らないのかもしれないですね。
謎が謎を呼ぶ展開も、嫌いではない。


10:03 あ、前回お送りした拍手コメで、華麗に
「今度一緒に鍋でも(ry」
をスルーしてましたね、失敬。
アタクシの場合、そゆ事言うと、本当に実行いたしますよいいんですか?
それで泣きを見ている人が多数我がblog閲覧者にはおりますが、本当に、いいんですか?
ニメとともに、何も(財布含む)持たずに伺います。>鍋パーティ


はっはっはっ!来るなら来てみろ!
開けてびっくり玉手箱だぜ(!?)
いや、まあ、なんというか、あれです
いくらパワフルとは言えど、寒いので厚着してきてくださいね(はぁと)

ぁ、いやそうだ、本題はそれじゃあなくって。
こちらで叫んでよいのかどうか「?」なところですが、
某blogのところでキリ番取ったのは自分でした。
ごめんね、横取りしちゃって。
で、キリリク小説出来るとのことだったので、早速お願いしたところ、俊足でプレゼントを戴きましたv
おすそ分けしてあげる♪
http://ameblo.jp/impressionistic-essay/entry-10175179560.html
by カーナメーノ


え、ちょっ、なっ、とっ、えっ、ええっ!?
気になってましたけど、ほんとに書いてもらったんですか!?
しかもチラ見した感じでは、ツバメ悶絶もの……!?
これは、鼻血でますね。
ちょっと、カカオ75%チョコレートを食べ過ぎたようです。
後で、じっくり、ニヤニヤしながら、うっとり、ドキバクなハートで、読もうと思います。


■記事に置くと何故か拍手が増えるWEB拍手(何か一言あったらどうぞ)


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感想依頼作品

2008年12月08日 18時08分23秒 | 小説の感想と批評
めぐりくる感想とは何か@kirekoです。

>今日の感想と批評

依頼が、来た。
では、読もう。


■企画の意図は、こちら
http://blog.goo.ne.jp/kireko1564213/e/7e03a0212eb392c37028780a1c7f63d9

*感想テンプレ

■(タイトル+小説直リンク) ジャンル(ジャンル) 作:作者名
:あらすじ(小説家になろう投稿時に書いてあるあらすじ)
:読める判定(kireko個人が読めるか読めないか)
:好き嫌い判定(kireko個人が好きか嫌いか)
:感想(kirekoの感想)

*感想テンプレ終わり



============はい開始==============

鍋をつつく ジャンル 文学 作:Seimei

:あらすじ
やもめになって、弟子や職人に辞めてもらい、独り親方になってから、鍋料理なんざ面倒臭くて食べたこともない。娘・律保が訪ねて来るまでは。

:感想
自分の身勝手から、一人者になった父親の元に、突然十六年前に別れた自分の娘が鍋を造りにやってくるという話。
依頼人曰く、このブログでやった「どんな描写すんのシリーズ第四弾、鍋を突付く」からの派生で出来た短編らしい。それならば鍋がメインの話になるだろうと思いきや、内容は意外にも人情話だった。前に言ったかもしれないが、小説においてkirekoが大事だと思っている事は、「書き手が話を通して何を伝えたいか?」が、明確に伝わってくるかどうかという点と、「そのために読者に対して過不足無く情報を与えているか?」という点だ。この作品において、それら二つの点が十分に配慮されているかと言うと、kirekoの読みの浅さもあるかもしれないが、どちらも中途半端な感を受けた。確かに書き手がやりたい事、その方向に持っていきたい展開云々は読み取れる。ただし、何だか全体的に台詞も描写も平坦で、個人的な読後感は、妙に味気なかった。それは何故かと本文を追っていくと、やはり登場人物たちの抱える気持ちが判りにくく、今一見えてこないからだろう。特に、父親の主観で語られている割に、父親という人物が見えてこない。十六年という歳月を経て、三十路になった娘と出会い、鍋をつくって食べるまでに、年月という距離感、娘の些細な心身の変化、そういった気付くべき所は幾らでもあるのに、鍋の「牡蠣」「猪肉」といったくだりを見ていると、余りにも打ち解けすぎているというか、平静とし過ぎているというか、二人の間にあるはずの、時間と気持ちの空白が見えてこない。後で使うとはいえ、喉元まで持ち出した松枝の話にしたって、もう少し父親として突っかかっても良いのでは?と思う。まあそういう設定だとすれば納得なのだが、そういう設定について語られている部分が冒頭の一幕でしかなく、読者とすれば判りにくいのではないだろうか。そういう事もひっくるめて、気持ちの入りやすい一人称物にしては、感情が薄味過ぎた気がした。互いの台詞の多さと比べて、父と娘の仕草や表情が、はっきり見えてこない点も、余り感心しない。これはきっと、前述の「何を伝えたいか」の点に関わってくる問題なのだと思うのだが、この作品のメインテーマを「長年別れた親子の告白」とするなら、おそらく、その親子愛が伝わってくる描写が、全体的に不足しているのではないかと個人的に感じる。これが音声、または映像付きなら、この台詞だけで済ませる事が出来るのかもしれないが、やはり文字表現だけだと、二人の心情は伝わらないのでは?よ感じた。
以上の事から察してもらえるように、読みやすいかどうかで言うと、個人的には読みにくい印象を受ける。鍋についても、二人の接点を引き出すための軽いオマケ扱いになってしまった事は、非常に残念だった。
kirekoは特に、面白い表現や展開、独特の台詞回しなど、そういう点で読む関心を惹かれる事があるので、今作では、余りにも平坦な作風に読む手を引っ張られてしまった感がある。どうしても展開が日常的になってしまうこういうネタにおいて、「この話の旨味は、ここのここなんです!」という部分が目立っていないと、やはり読者は想像しにくいし、結果読みにくくなってしまうのではないだろうか。
個人的に感じたのは、変に台詞や描写で遠まわしに読者に訴えかけるよりも、「その時どういう気持ちであるのか?」などの心情を、短く一語で表現する事が必要なのではないだろうか。その部分と平行して、話の中で情報の順番立て(いつ何処で誰が何をした)なんかを簡潔にまとめ、もう一度工夫する必要があると感じた。

:読める判定 文章の何を旨味とするか :好き嫌い判定 好きではない


============終了===========


>ふと思うこと

小説って寿司みたいだなって思う。
扱うネタ(ジャンル)はどういうもので、そのネタで一番美味しいのはどの部分(場面・表現・展開・心情・台詞)か。
それがわかってる調理人(書き手)と、わかってない調理人では、
食べる人(読者)にもよるが、かなりの差が出てきてしまう気がする。
ネタによったって、トロが美味しいのか、赤身が美味しいのかなんてのは、
食べる人次第なんだけどね。
調理次第では美味しくなりそうと感じるだけに、読んでて苦々しい思いをすることもあるということ。
なんてね。

前にも言ったけど、
対象とする読者層は何処なのか。
自分がこれを通して何を伝えたいのか。
書き手のやりたい事が、はたして読者の旨味と合致しているのか。
そして書き終えたとき、自分で書いた話が面白いと感じられるか。

と、こういうのを考えてると、まるっきし筆が進まなくなるので
自由に書くのが一番だと思うkirekoでした。


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