英雄百傑
第二十九回『其矢弦放 然所落方 策成れりて、龍吼える』
東岸 敵陣屋
毎朝の定例軍儀のために陣屋の中央にある
トウゲンとバショウの幔幕に入幕したジケイであったが
今朝の幔幕の中は異常なほどの熱気に包まれていた。
ミレム達の官軍の挑発を三日間も聞かされ、一日、二日と
朝夕続けられる、その悪言雑言に怒りを募らせた三将が居座っていたからだ。
その光景にたらりと一筋の汗をかくジケイは自分の席につくと、
目をそらしたくなるような赤みを帯びた顔と怒りに震える手足を見せる
怒り浸透なトウゲンとバショウに、その老体の力の限り眼力を飛ばして
絶対守備のステアの命令を思い出させ、軍儀に入らせようとした。
「さて…今日の定例軍儀じゃが…」
一触触発といった状況の中、老将ジケイの言葉で
各将の無言の関が壊れるように、厳かに始まった定例軍儀であったが、
その間にも、ミレム隊の笑い声や罵声はやむことなく続いた。
「ふわーあ!今日で四日目!眠気覚ましに馬鹿にしてやろうと思ったが、お前らの大将の臆病っぷりには流石に呆れたぞ!ふわーあ!今のお前達なら眠ってても戦えるわ!」
「「「アーッハッハッハ!とんだ臆病大将に臆病兵士だ!ハッハッハ!」」」
対岸からの罵声に幔幕の不穏な空気は、さらに不穏になった。
「があああああッ!ぬううああああああッ!」
トウゲンはついに堪忍袋の尾が切れたか、ミレム隊の罵声に心を乱され
三日間耐え抜き、心にたまった油に炎を灯し、烈火の如き唸り声をあげると、
いてもたってもいられず、手を腰の剣にあて、鞘から刀剣を放つと
それを思いっきり振り上げ、目の前に置かれた机に向かって、
風を断つような一太刀をブンッと思いっきり振り下ろした。
バキィィィィッ!
流石は猛将トウゲンの力は強く。
叩きつけられるように振り下ろされた太刀は鈍く机を破壊し、
木製の机は真っ二つに切り裂かれると、威力の余波で木材の破片が空を舞い、
机は支える足ごと煙を上げて、ただの木材へと変貌した!
「トウゲン将軍!落ち着きなされ!」
「黙れ老いぼれ!戦も忘れた老骨にはわからんだろうが、高家四天王のステアに仕える、この猛将トウゲンが「臆病者」や「蛆虫」と言われて四日耐えたッ!四日だぞッ!四日なんだぞッ!俺は!もう我慢ならんのだ!兵に伝えよォッ!出陣の支度をせいとな!」
「将軍!ステア様の命令を忘れてしまわれたか!?」
「ぐぬぬ…ステア様の命令は絶対だ!だが…!だがの…!だがの…ッ!だあああがああああのおおおおおお!!!くぬぬ…ぐぬぬぬ…ぐぬぬぬぬぬ!!」
トウゲンは体を震わせ、声を荒げて地団駄を踏み始めた。
ステアの命令を引き出す老将ジケイの言葉も、ミレムの巧みな挑発術に
ジケイ、トウゲンを除くバショウ、ランホウもいつの間にか怒りで我を忘れ、
すでにステアの命令など忘れ、互いに静かに拳を握り怒りを露にしていた。
「こ、これは敵の挑発じゃ!よいか!陣屋で守るのは容易いが、守備を忘れて河を渡り野戦に出れば、敵は弱兵たりとも敵に一計あれば被害は甚大となることは目に見えておる!貴公たち!この老将ジケイの最後の願いじゃ!敵の挑発に乗ってはならん!ならんぞ!」
ジケイは必死に言葉を連ねるが、三将は聞く耳など持つはずも無く
罵声の言葉の数々を思い出し、怒りで煮えくり返る心はすでに
沸々と溶岩と気泡を吹き上げ、今にも噴火しそうな火山のようであった。
その時、対岸から再びミレム隊の声が聞こえ始めた。
「やれやれ!しかし蛆虫どもは恥知らずだのう!無能な将は臆病で、無能な兵は怠け、戦前に寝転がり!万を数える大軍のくせに、我ら少ない兵を前にして戦もせずに。さては逃げ支度でもしているのかな?ハッハッハ!米は民百姓の100倍食うが!力は民百姓の100倍も劣ると聞けば、これは笑えるのう!まあ戦するにも食いすぎて動けなくては仕方がないのう!ハッハッハ!まあ目障りじゃから、さっさと旗を引っ込め国へ帰れ!逃げていくその逃げ足の速さだけは末代まで語り継いでやろうぞ!アーッハッハッ!」
ミレムの罵声が風の如く、空を伝って陣屋を駆け巡ると
言葉の節々を耳にしたトウゲンは、ついに怒り狂ったように
血管を浮き立たせ、各将に命令した。
「お、お、お、おのれ馬鹿どもめ!!!俺が無能!?俺が臆病だと!!ちくしょう!あいつらにこの俺が無能かどうか証明してやる!おいバショウ!兵に伝達しろ!あの馬鹿どもに総攻撃だ!槍を持て!俺を笑った兵のいる汰馬城など今日で陥落させて住民全てを皆殺しにしてやる!出陣じゃあああああ!」
「その言葉待ってたましたぜ!さあさあ俺の巨鉄撃(巨大な鋼の棍棒)を持て!馬鹿どもに今までの我らの恨みを見せて、後悔させてやりましょうや!」
「流石は猛将二人!あの憎たらしい官軍に、目に物見せてやりましょう!私もついていきますぞッ!」
「将軍!またれい!」
「黙れジジイ!!高家四天王のステア様に仕える身でありながら、お前はあの言葉を聞いて何も思わんのかッ!お前が、そこまで守るのが好きなら留守番でもして俺の勝利を陣屋で悔しがっておれ!」
「ステア様の命令が…」
ジケイはとっさに座っていた席を立ち、手足を大きく広げ
必死に幔幕の出口の前で体を張って将軍達を止めようとする。
「ええいどけっ!邪魔だッ!お前は棺桶でも用意して待っていろ!」
バシッ!!ガンッ!
「ぐあっ…!」
トウゲンはついにジケイの体を跳ね除け、
ジケイの齢60を数える体は幔幕の下の土に突っ伏すように勢いよく倒れた。
顔からは少量の血を流し、倒れる拍子にかばった右手には擦り傷が出来ていた。
三将は倒れたジケイなど、見る間もなく、そのまま外へと向かった。
ドタドタドタッ!!
三将が怒気をはらんで出陣の用意をするために各幕舎に行く背中を見て
ジケイは肩を落とし、倒れた拍子に出来た右手の傷を左手でグッと押さえると
一筋の血が流れる顔で天を見て、その曇り空を見てこう言った。
「負け戦か…わしの武士としての天命もここまでか…」
その時、落胆にくれる老将の目に映る曇り空の中に一筋の光が見えた。
「…いや…武士は…負けるとわかった戦でも…生き恥は…かかぬものじゃ!」
老将ジケイ、最後の戦いが始まった。
汰馬河 西岸
その後、激流烈火のように怒り、息を荒げて兵を動かした
トウゲン、バショウ、ランホウの三名は陣屋にジケイと守備兵1千を残し
9千の兵と共に汰馬河の辺に出陣し、ミレムの早馬隊に突撃した。
「敵軍を皆殺しにする!突撃じゃあああ!!」
声を大にして先頭で指揮をとるトウゲン。
先頭はトウゲン率いる3千の騎兵とバショウ率いる4千の歩兵隊。
後方はランホウ率いる2千の小弓隊であった。
「ミレム殿!敵兵が陣屋より出て参りました!」
「やっと出てきたか蛆虫め!ようし騎馬隊は全力で汰馬城中央へ逃げよ!」
敵兵が陣屋を駆け出る見て、反転し、ミレムの早馬隊は
一路汰馬城へ向かい、猛然と退却を始めた。
ドドドドドドドッ!
一方追撃するはずの敵軍の兵達は、やはりジケイの睨み通り、
出陣を想定しない陣屋からの進撃はなかなか難しいらしく、
先頭のトウゲンがミレム隊を追って汰馬河の橋に付く頃には
ミレム隊が東岸からかろうじて見える程の距離に離され
トウゲンの周囲には1千程度の騎兵が付き従い、あとは続々と
まるで短い蛇のように陣屋から出陣している。
「ええい!あの馬鹿面の敵を逃してなるものか!追えっ!追えっ!」
「トウゲン将軍!野戦の陣形はいかが致しましょう」
「逃げる雑魚を前に陣形などくだらん!縦横一文字に汰馬城へ向かって突撃だ!」
「はっ!!」
ドドドドドドドドッ!!ドドドドッ!
突撃する馬群はトウゲンを中央にして真一文字に進軍し、
露にぬれる草を馬蹄で踏み荒らすように駆け、汰馬城へと猛然と突撃した!
汰馬城 城壁
汰馬城の城壁から敵を眺めていたキレイは、目を輝かせた。
敵の陣屋から出陣していき、この汰馬城めがけて一文字でくる兵や馬
高い城壁の上から見れば、それは連なる細長い線のようであった。
思わずキレイは、自分の作戦通りになったことで声をあげてしまった。
「ふふふ…ハーッハッハ!!敵は河を渡り橋を抜け、こちらへ一直線…策は成ったぞ!」
その時、ちょうどキレイの付近にいたジニアスは不思議がって
意地悪そうにキレイの視界を体で塞ぐと、疑問を問いかけた。
「おいおいまだ戦は始まったばかりだぜ?あんた、あの絶体絶命の危機に頭がおかしくなっちまったのかよ?それに勝つか負けるかなんて、この状況でわからねーじゃねえか?おいっ人斬り侍さんよ!」
しかし、戦の最中だというのに目の前を塞ぎ、目ざわり以外の何者でもない
ジニアスの発言に怒ったキレイは、城壁中に伝わるような大声を発した。
「…悪態をつくのは構わんが戦の邪魔をするな!兵法を知らぬ役立たずは黙っておれ!念仏を金に替え、自らを太らす僧衆風情が!戦の役に立ちたいのであれば剣を持ち、槍を持ち、外に出て敵を殺せ!出来なければガタガタと城の中に震えていろ!死にたく無かったら俺の前に立つな!目障りだ!」
キレイは眉間に皺を寄せ、緊張に強張った表情、
口は噛み付く虎のように大きく開き、目は眼光鋭くクワッと開いて、
その恫喝とも思える声に思わず怯む守備兵達を尻目に、
声に一瞬怯んだジニアスは震えるようにゆっくりと口を開けた。
「ケッ…。役立たずだと…?言ってくれるじゃねえかよ…人斬り侍!」
ジニアスは何故か怒りをあらわにしてキレイに突っかかった。
おちゃらけて悪態をつくいつものジニアスとは違い、顔は怒りに震え
声は怒気をはらんでいた。
「戦は人が死ぬんだぞ!?てめえはその重さがわかっているのか!兵法だあ?ようは人を効率よく殺す学問だろ!そんなものはクソくらえだ!お前ら人斬り侍はいつも戦だなんだと民百姓をかりだしては殺していく!借り出された百姓が戦で死ねば家族は悲しみ、飢え苦しむ!その怨嗟の声を生む人斬り侍が、民百姓を慰める僧を役立たずなんてよく言えるぜ!罪無き人の命を無碍に奪う非道…てめえは神様にでもなったつもりか!」
それを聞いたキレイは、フッと笑ってジニアスを再びにらみつけた。
「フッ…詭弁だが、道理は正しい。神か…神にならねば野心も抱けず…権力ももてず…祖先の地も、民も、家族も守れず!敵も殺せぬと言うか…ならば俺が神になるしかあるまい!」
稲妻が駆けるようなキレイの鋭い言葉は城壁の兵士達を黙らせ、
ジニアスの心にまるで杭を打ち込むように激烈な衝撃を与えた!
「か、神だと…?て、てめえごとき人斬りが神だと…く、狂ってやがる!」
「神を名乗って狂わねば、人を殺す戦などしておらぬわ!」
「へ、へへっ。…おもしれえ…おもしれえよてめえ…!途切れず緩まず伝えるてめえのゆるみのねえ表情…天をも恐れぬ溢れでる野心…へへっ、そのうち神様に嫌がられて祟られるぜ!ケッ!…そうだな!俺は神を名乗った人斬り侍が死んだ時の念仏でも唱えるとするかね!このクソやろうが!」
ツルッ!ズドーン!
「あがッッ!!!!!」
ジニアスは半笑いのまま不機嫌を顔中に浮かべ、立ち去ろうとして
憎しみの蹴りを城壁の石垣に当てようとしたが、足を思いっきりすべらせ
背中を激しく打ち、硬い石造りの床に転んだ。
「ハッハッハ!ジニアス!何を寝転がって昼寝でもするか?」
「うるさい!ちょっと足を滑らせただけだ!」
「いやすまんすまん。役立たずといったことも詫びよう。血なまぐさい戦前の兵の緊張を解くに役に立ったわ!」
「「「プクク…」」」
「い、いてー、く、くそーーっ!いてえー!」
それを見ていたキレイ及び守備兵達の含み笑いの顔を見て、
ジニアスは痛さも堪えて、体を引きずるように動かし
涙目を浮かべて、場が悪そうにトボトボと城中に入っていった。
痛がる後姿を見て笑い、最後までその滑稽さを見ていたキレイは
ジニアスが去ったのを確認すると、城壁から今一度戦場を見て
冷静さを取り戻した。
「敵軍はミレム隊を追って突撃してくるが、予想通り陣屋からの進撃が遅れて守りの線は薄い糸の如きもの!後攻部隊が切れたら、ここを側面から攻撃し、敵が混乱している間に囲み撃滅し、陣を奪う。よし!守備兵全員に伝えよ!野戦の準備じゃ!」
城門は大きな音をたてて開き放たれ、キレイを含め少なき2百ほどの歩兵は
目の前に広大に広がる汰馬平野に四角を描くような陣形を取り始めた。
その守備する兵士達にも、だんだんと汰馬城の前に近づく敵の騎馬隊の
馬蹄の音が聞こえ始めていた。
敵騎馬隊は馬が息をあげるほど、ミレム隊を猛然と追撃し、
恐るべき速度で、ポウロ、ゲユマが待つ弓隊が構える場所へと進撃していた。
第二十九回『其矢弦放 然所落方 策成れりて、龍吼える』
東岸 敵陣屋
毎朝の定例軍儀のために陣屋の中央にある
トウゲンとバショウの幔幕に入幕したジケイであったが
今朝の幔幕の中は異常なほどの熱気に包まれていた。
ミレム達の官軍の挑発を三日間も聞かされ、一日、二日と
朝夕続けられる、その悪言雑言に怒りを募らせた三将が居座っていたからだ。
その光景にたらりと一筋の汗をかくジケイは自分の席につくと、
目をそらしたくなるような赤みを帯びた顔と怒りに震える手足を見せる
怒り浸透なトウゲンとバショウに、その老体の力の限り眼力を飛ばして
絶対守備のステアの命令を思い出させ、軍儀に入らせようとした。
「さて…今日の定例軍儀じゃが…」
一触触発といった状況の中、老将ジケイの言葉で
各将の無言の関が壊れるように、厳かに始まった定例軍儀であったが、
その間にも、ミレム隊の笑い声や罵声はやむことなく続いた。
「ふわーあ!今日で四日目!眠気覚ましに馬鹿にしてやろうと思ったが、お前らの大将の臆病っぷりには流石に呆れたぞ!ふわーあ!今のお前達なら眠ってても戦えるわ!」
「「「アーッハッハッハ!とんだ臆病大将に臆病兵士だ!ハッハッハ!」」」
対岸からの罵声に幔幕の不穏な空気は、さらに不穏になった。
「があああああッ!ぬううああああああッ!」
トウゲンはついに堪忍袋の尾が切れたか、ミレム隊の罵声に心を乱され
三日間耐え抜き、心にたまった油に炎を灯し、烈火の如き唸り声をあげると、
いてもたってもいられず、手を腰の剣にあて、鞘から刀剣を放つと
それを思いっきり振り上げ、目の前に置かれた机に向かって、
風を断つような一太刀をブンッと思いっきり振り下ろした。
バキィィィィッ!
流石は猛将トウゲンの力は強く。
叩きつけられるように振り下ろされた太刀は鈍く机を破壊し、
木製の机は真っ二つに切り裂かれると、威力の余波で木材の破片が空を舞い、
机は支える足ごと煙を上げて、ただの木材へと変貌した!
「トウゲン将軍!落ち着きなされ!」
「黙れ老いぼれ!戦も忘れた老骨にはわからんだろうが、高家四天王のステアに仕える、この猛将トウゲンが「臆病者」や「蛆虫」と言われて四日耐えたッ!四日だぞッ!四日なんだぞッ!俺は!もう我慢ならんのだ!兵に伝えよォッ!出陣の支度をせいとな!」
「将軍!ステア様の命令を忘れてしまわれたか!?」
「ぐぬぬ…ステア様の命令は絶対だ!だが…!だがの…!だがの…ッ!だあああがああああのおおおおおお!!!くぬぬ…ぐぬぬぬ…ぐぬぬぬぬぬ!!」
トウゲンは体を震わせ、声を荒げて地団駄を踏み始めた。
ステアの命令を引き出す老将ジケイの言葉も、ミレムの巧みな挑発術に
ジケイ、トウゲンを除くバショウ、ランホウもいつの間にか怒りで我を忘れ、
すでにステアの命令など忘れ、互いに静かに拳を握り怒りを露にしていた。
「こ、これは敵の挑発じゃ!よいか!陣屋で守るのは容易いが、守備を忘れて河を渡り野戦に出れば、敵は弱兵たりとも敵に一計あれば被害は甚大となることは目に見えておる!貴公たち!この老将ジケイの最後の願いじゃ!敵の挑発に乗ってはならん!ならんぞ!」
ジケイは必死に言葉を連ねるが、三将は聞く耳など持つはずも無く
罵声の言葉の数々を思い出し、怒りで煮えくり返る心はすでに
沸々と溶岩と気泡を吹き上げ、今にも噴火しそうな火山のようであった。
その時、対岸から再びミレム隊の声が聞こえ始めた。
「やれやれ!しかし蛆虫どもは恥知らずだのう!無能な将は臆病で、無能な兵は怠け、戦前に寝転がり!万を数える大軍のくせに、我ら少ない兵を前にして戦もせずに。さては逃げ支度でもしているのかな?ハッハッハ!米は民百姓の100倍食うが!力は民百姓の100倍も劣ると聞けば、これは笑えるのう!まあ戦するにも食いすぎて動けなくては仕方がないのう!ハッハッハ!まあ目障りじゃから、さっさと旗を引っ込め国へ帰れ!逃げていくその逃げ足の速さだけは末代まで語り継いでやろうぞ!アーッハッハッ!」
ミレムの罵声が風の如く、空を伝って陣屋を駆け巡ると
言葉の節々を耳にしたトウゲンは、ついに怒り狂ったように
血管を浮き立たせ、各将に命令した。
「お、お、お、おのれ馬鹿どもめ!!!俺が無能!?俺が臆病だと!!ちくしょう!あいつらにこの俺が無能かどうか証明してやる!おいバショウ!兵に伝達しろ!あの馬鹿どもに総攻撃だ!槍を持て!俺を笑った兵のいる汰馬城など今日で陥落させて住民全てを皆殺しにしてやる!出陣じゃあああああ!」
「その言葉待ってたましたぜ!さあさあ俺の巨鉄撃(巨大な鋼の棍棒)を持て!馬鹿どもに今までの我らの恨みを見せて、後悔させてやりましょうや!」
「流石は猛将二人!あの憎たらしい官軍に、目に物見せてやりましょう!私もついていきますぞッ!」
「将軍!またれい!」
「黙れジジイ!!高家四天王のステア様に仕える身でありながら、お前はあの言葉を聞いて何も思わんのかッ!お前が、そこまで守るのが好きなら留守番でもして俺の勝利を陣屋で悔しがっておれ!」
「ステア様の命令が…」
ジケイはとっさに座っていた席を立ち、手足を大きく広げ
必死に幔幕の出口の前で体を張って将軍達を止めようとする。
「ええいどけっ!邪魔だッ!お前は棺桶でも用意して待っていろ!」
バシッ!!ガンッ!
「ぐあっ…!」
トウゲンはついにジケイの体を跳ね除け、
ジケイの齢60を数える体は幔幕の下の土に突っ伏すように勢いよく倒れた。
顔からは少量の血を流し、倒れる拍子にかばった右手には擦り傷が出来ていた。
三将は倒れたジケイなど、見る間もなく、そのまま外へと向かった。
ドタドタドタッ!!
三将が怒気をはらんで出陣の用意をするために各幕舎に行く背中を見て
ジケイは肩を落とし、倒れた拍子に出来た右手の傷を左手でグッと押さえると
一筋の血が流れる顔で天を見て、その曇り空を見てこう言った。
「負け戦か…わしの武士としての天命もここまでか…」
その時、落胆にくれる老将の目に映る曇り空の中に一筋の光が見えた。
「…いや…武士は…負けるとわかった戦でも…生き恥は…かかぬものじゃ!」
老将ジケイ、最後の戦いが始まった。
汰馬河 西岸
その後、激流烈火のように怒り、息を荒げて兵を動かした
トウゲン、バショウ、ランホウの三名は陣屋にジケイと守備兵1千を残し
9千の兵と共に汰馬河の辺に出陣し、ミレムの早馬隊に突撃した。
「敵軍を皆殺しにする!突撃じゃあああ!!」
声を大にして先頭で指揮をとるトウゲン。
先頭はトウゲン率いる3千の騎兵とバショウ率いる4千の歩兵隊。
後方はランホウ率いる2千の小弓隊であった。
「ミレム殿!敵兵が陣屋より出て参りました!」
「やっと出てきたか蛆虫め!ようし騎馬隊は全力で汰馬城中央へ逃げよ!」
敵兵が陣屋を駆け出る見て、反転し、ミレムの早馬隊は
一路汰馬城へ向かい、猛然と退却を始めた。
ドドドドドドドッ!
一方追撃するはずの敵軍の兵達は、やはりジケイの睨み通り、
出陣を想定しない陣屋からの進撃はなかなか難しいらしく、
先頭のトウゲンがミレム隊を追って汰馬河の橋に付く頃には
ミレム隊が東岸からかろうじて見える程の距離に離され
トウゲンの周囲には1千程度の騎兵が付き従い、あとは続々と
まるで短い蛇のように陣屋から出陣している。
「ええい!あの馬鹿面の敵を逃してなるものか!追えっ!追えっ!」
「トウゲン将軍!野戦の陣形はいかが致しましょう」
「逃げる雑魚を前に陣形などくだらん!縦横一文字に汰馬城へ向かって突撃だ!」
「はっ!!」
ドドドドドドドドッ!!ドドドドッ!
突撃する馬群はトウゲンを中央にして真一文字に進軍し、
露にぬれる草を馬蹄で踏み荒らすように駆け、汰馬城へと猛然と突撃した!
汰馬城 城壁
汰馬城の城壁から敵を眺めていたキレイは、目を輝かせた。
敵の陣屋から出陣していき、この汰馬城めがけて一文字でくる兵や馬
高い城壁の上から見れば、それは連なる細長い線のようであった。
思わずキレイは、自分の作戦通りになったことで声をあげてしまった。
「ふふふ…ハーッハッハ!!敵は河を渡り橋を抜け、こちらへ一直線…策は成ったぞ!」
その時、ちょうどキレイの付近にいたジニアスは不思議がって
意地悪そうにキレイの視界を体で塞ぐと、疑問を問いかけた。
「おいおいまだ戦は始まったばかりだぜ?あんた、あの絶体絶命の危機に頭がおかしくなっちまったのかよ?それに勝つか負けるかなんて、この状況でわからねーじゃねえか?おいっ人斬り侍さんよ!」
しかし、戦の最中だというのに目の前を塞ぎ、目ざわり以外の何者でもない
ジニアスの発言に怒ったキレイは、城壁中に伝わるような大声を発した。
「…悪態をつくのは構わんが戦の邪魔をするな!兵法を知らぬ役立たずは黙っておれ!念仏を金に替え、自らを太らす僧衆風情が!戦の役に立ちたいのであれば剣を持ち、槍を持ち、外に出て敵を殺せ!出来なければガタガタと城の中に震えていろ!死にたく無かったら俺の前に立つな!目障りだ!」
キレイは眉間に皺を寄せ、緊張に強張った表情、
口は噛み付く虎のように大きく開き、目は眼光鋭くクワッと開いて、
その恫喝とも思える声に思わず怯む守備兵達を尻目に、
声に一瞬怯んだジニアスは震えるようにゆっくりと口を開けた。
「ケッ…。役立たずだと…?言ってくれるじゃねえかよ…人斬り侍!」
ジニアスは何故か怒りをあらわにしてキレイに突っかかった。
おちゃらけて悪態をつくいつものジニアスとは違い、顔は怒りに震え
声は怒気をはらんでいた。
「戦は人が死ぬんだぞ!?てめえはその重さがわかっているのか!兵法だあ?ようは人を効率よく殺す学問だろ!そんなものはクソくらえだ!お前ら人斬り侍はいつも戦だなんだと民百姓をかりだしては殺していく!借り出された百姓が戦で死ねば家族は悲しみ、飢え苦しむ!その怨嗟の声を生む人斬り侍が、民百姓を慰める僧を役立たずなんてよく言えるぜ!罪無き人の命を無碍に奪う非道…てめえは神様にでもなったつもりか!」
それを聞いたキレイは、フッと笑ってジニアスを再びにらみつけた。
「フッ…詭弁だが、道理は正しい。神か…神にならねば野心も抱けず…権力ももてず…祖先の地も、民も、家族も守れず!敵も殺せぬと言うか…ならば俺が神になるしかあるまい!」
稲妻が駆けるようなキレイの鋭い言葉は城壁の兵士達を黙らせ、
ジニアスの心にまるで杭を打ち込むように激烈な衝撃を与えた!
「か、神だと…?て、てめえごとき人斬りが神だと…く、狂ってやがる!」
「神を名乗って狂わねば、人を殺す戦などしておらぬわ!」
「へ、へへっ。…おもしれえ…おもしれえよてめえ…!途切れず緩まず伝えるてめえのゆるみのねえ表情…天をも恐れぬ溢れでる野心…へへっ、そのうち神様に嫌がられて祟られるぜ!ケッ!…そうだな!俺は神を名乗った人斬り侍が死んだ時の念仏でも唱えるとするかね!このクソやろうが!」
ツルッ!ズドーン!
「あがッッ!!!!!」
ジニアスは半笑いのまま不機嫌を顔中に浮かべ、立ち去ろうとして
憎しみの蹴りを城壁の石垣に当てようとしたが、足を思いっきりすべらせ
背中を激しく打ち、硬い石造りの床に転んだ。
「ハッハッハ!ジニアス!何を寝転がって昼寝でもするか?」
「うるさい!ちょっと足を滑らせただけだ!」
「いやすまんすまん。役立たずといったことも詫びよう。血なまぐさい戦前の兵の緊張を解くに役に立ったわ!」
「「「プクク…」」」
「い、いてー、く、くそーーっ!いてえー!」
それを見ていたキレイ及び守備兵達の含み笑いの顔を見て、
ジニアスは痛さも堪えて、体を引きずるように動かし
涙目を浮かべて、場が悪そうにトボトボと城中に入っていった。
痛がる後姿を見て笑い、最後までその滑稽さを見ていたキレイは
ジニアスが去ったのを確認すると、城壁から今一度戦場を見て
冷静さを取り戻した。
「敵軍はミレム隊を追って突撃してくるが、予想通り陣屋からの進撃が遅れて守りの線は薄い糸の如きもの!後攻部隊が切れたら、ここを側面から攻撃し、敵が混乱している間に囲み撃滅し、陣を奪う。よし!守備兵全員に伝えよ!野戦の準備じゃ!」
城門は大きな音をたてて開き放たれ、キレイを含め少なき2百ほどの歩兵は
目の前に広大に広がる汰馬平野に四角を描くような陣形を取り始めた。
その守備する兵士達にも、だんだんと汰馬城の前に近づく敵の騎馬隊の
馬蹄の音が聞こえ始めていた。
敵騎馬隊は馬が息をあげるほど、ミレム隊を猛然と追撃し、
恐るべき速度で、ポウロ、ゲユマが待つ弓隊が構える場所へと進撃していた。