日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

呉まで行って来ました   叔母に関する戸籍 除籍とか

2021-01-14 21:00:08 | 日記
こんばんは。
今日も今日とてほぼ一日出掛けておりました。



                      



                        
                          

                        
                              



                         
                           


                          



写真が全体に甘ピンですみません;。
光のせいなのか時折このようにぼやけて写りますが、スマホのカメラというよりも単に自分の腕の無さかと思われます、ええ;。
それにしても今日は朝からそこまで冷え込むという感じはしませんでした。
寒くはありますが、先日までのことを思うと楽勝というところですね。
特に今日は先に書いたように車で外を走っておりましたので午後からは暖房ではなく窓を開けて風を入れる位に車内は暖かった、
というよりも暑いくらいでした。
これまでとのギャップがあり過ぎる程ですが今回の冷え込みで電力需要が高まっており、節電にご協力をと言われるのを聞けば
暖かい方が自分達にも環境にも良いのかしらんと思えます。
いずれにせよこの辺りはしばらくは良いお天気が続きそうです。



                             




昨日話しておりましたように昨日に引き続き、叔母に関する戸籍一連の書類を取りに行って来ました。
毎度の如く車を借り出して向かうは昨日同様、同じ区役所です。
昨夕戻って戸籍を確かめると死亡した叔母の子(これも敢えてこう書きますね)の記載が出て来ておりませんでした。
ですので改めて昨日出して頂いた戸籍書類を持参し、それを戸籍課の窓口の方に見て頂きながらこの人のこれが必要ですと説明
するところから始まりました。
申すように叔母の夫も亡くなり、その後に叔母が息子(本来は養子です)の後見人となったところまでしか出ていなかったので
肝心のその後が必要です。
結局少し遡る形で、父親である戸籍から彼の死亡が出てきました。
その父親、叔母の夫ですが、どうやらその方が亡くなる直前に何かあったのか協議離婚をした形になっていました。
その当時、私は20歳かそこら。
叔母の夫、私からすれば叔父にも結構幼い頃から可愛がってもらっており、けれど最後は肝臓か何処かを悪くしたと聞いた覚えが
あります。
とても仲の良い夫婦でしたが、今回戸籍を取って感じたのは協議離婚というのは何かしらの事情があったのだろうなという事ですね。
叔父はテーラー、紳士服専門店を営んでおりましたが自分が縫うのではなく職人さんを雇う形で商売をしておりました。
もしかするとその関係で叔母になにがしかの債務等が来ることを防ぐためだったのかなとも思うのですけれどね。
叔母夫婦が離婚していたとは全く聞いていなかったことですが、事実はこうして戸籍を見ると嫌でも出て来るものだなと感じたりも
しました。
ともあれ叔母が結婚してからの戸籍はこれで揃いましたので、次は叔母の出生から結婚の為に除籍となるまでのものが必要です。
ですので次は生まれた場所の呉まで行ってきました。



                              



呉は自分の地元でもあります。
今回行く市役所はその昔丹下健三氏であったか結構有名な建築家に依頼して建設したと幼い頃に聞いておりました、昭和30年代ですかね。
当時はモダンな建物だなと子供心に感じていましたが、さすがに年数が経つと老朽化してき、内部もその頃の設計ですとかなり狭い
印象は拭えませんでした。
そのようなことからまだ数年前だったかと思いますが市庁舎の建て替えがなされました。
この度このような事で初めてその中へ入ったのですが、さすがに新しいだけあってとても洗練されており綺麗です。
たまたま広島市の区役所へ午前中に行って来、それと比較するとなんとも雲泥の差だなと感じてしまいます;。
もっとも広島市の方はおそらく建築から既に3,40年は経過しておるでしょうし比べたら可哀そう?かもしれません。
ま、広島も各区にそれぞれ役所を設けておりますが、今は予算を付けるのも難しいでしょうしね;。
ちょっと話が脇に逸れましたが呉の新庁舎は天井も高く、気持ちの良いフロアであるのは間違いありませんでした。
そんなフロアにある戸籍課へ参り、窓口の方に持参した戸籍の書類をお見せしますとすぐにご理解頂き、それではこの方の出生から
転籍までを出しましょうと応対して下さいました。
あ~、また20分以上掛かるんだろうなぁ、仕方ないよねぇ、あれだけの物出すんだし、と思っておりますとそこまで時間も掛からず
番号を呼ばれました。
(器械で何が必要なのかというボタンがあり、それを押すと番号札が出て来るものです)
先程の窓口の方がズラズラとでもいうように叔母に関するそれらの戸籍を見せて下さいます。
叔母が誰と誰の子で、その親はどこそこから嫁いできて・・・とどうやら私からすると曾祖父母の代まで遡って出て来ておりました。
コンピュータのシステム?自体も新しいんでしょうかね、本当にすんなりと一発で(言い方悪いけど;)欲しい書類は全て出して
下さったようです。
先だって保護司である弁護士さんは、一つひとつ遡って取るので、郵送だとこれを見たので次はこれ、と辿っていくようですよと
仰っており、よしんば役所へ行って依頼しても一回では取れないでしょうねと話しておられました。
しかし今回は見事に?こうして一回ですんなりと出て来たのでした。
多分足を運ばずとも郵送で頼んだとしても出して下さったのではないか、そう感じた今回の件でした。
それにしてもこうして戸籍を見ると昨日も申したように、本当に歴史の一こまを見る思いがします。
殊に母方の祖父、この度の叔母の父親ですが、は戦死したと聞いておりましたが、その事柄もしっかりと記載されておりました。
何年何月何日に緯度経度まで記されて東支那海上にて戦死と記入されています。
実際にそうかどうかは今思うと疑問な部分もありますが、ある意味遺族を納得させる為ということもあるのでしょうか。
或いは住所自体がそれまでどこそこ村だったものが町に変わったり、郡が市になっていたりもしました。
今の自分があるのは、こうした目に見えない、けれど確実にその場所で暮らしていた先祖の方々がおられたからこそなのだなと
改めて感じますね。
窓口の方も、こうして見ると本当に歴史を感じますよねと言っておられました。
日々このような業務に携わっておられるからか、此方がしどろもどろになりながら、こういう戸籍が必要で;と説明するか
どうかで、あぁ分かりましたと出してきて下さることにはやはりその道のプロなのねぇとこれまた感心したことなのでした。



                           



午前中はこれで終わりました。
お昼をどうしようかと考えましたが、今のご時勢、何処かの飲食店へ寄るのもなんだかな、ましてや独りではと思い、それなら
いつも墓参りに行く際などに立ち寄るスーパーへ行こうと思いました。
市役所からですと車ならものの5分と掛からぬ場所です。
考えてみれば、いえ考えずとも;ちょうどひと月前の13日にその墓参りをしておりました。
まさかその時にはこんな事で短期間に再び呉に来るようになるとは思いもしませんでしたけども;。
全くあれよあれよと間のこの度の叔母の件だよなぁと感じます。
そんなことを思いつつもお弁当を購入し、車の中で箸をつけようとするとちょうど正午の時報が鳴る処でした。
思っていたより早くに事は済みましたので午後からは時間が空きました。
さてと、どうするかな、せっかく此処まで来たのなら何処かへ寄って帰ろうかと思いますが、やはりこれもコロナ禍の事。
結局は何処か観光(といっても地元ですけどね;)することなく、それでもと立ち寄ったのは別の場所でした。



                               



実家と同じ地域で兄が自動車工場を営んでいます。
そこへ帰り道の途中ということもあり、立ち寄りました。(道はルートにもよります)
兄弟は3人では?と思われますよね。
実の兄弟は私を筆頭に弟が2人ですが、兄というのは継母と共に家へ来た人です。
以前にもチラリと話しましたが俗に言う連れ子という事、つまりは養子として入籍した形です。
その兄と兄嫁と私は皆同い年、同級生です。(学校はバラバラでしたよ)
なので学校へ通う時期は何かと大変なこともありましたが、この年になればそれも過ぎたことでして、話す事と言えば互いの
子供はどうしてるだとか、身体大丈夫なのかとか概ねそんなものですかね。
昨年の3月に父親の十三回忌をするという話がありましたが、その頃はコロナでどうなるか分からない時でもありました。
今日会えば、いや、するで(するよ)と言いますが今年も無理っぽいですしね;。
そのうち十七回忌でいいんじゃない?という話になっておりましたが。
そりよりおまえ(私です)大丈夫なんか?食べて行けとんか?とやけに心配されておりました;。
主人亡き後、何かと暮らしが激変しましたし、いつもそれは半分呆れる感じで聞かれるんですけれど;。
ま、こうして生きてるし大丈夫よといなしておきました。
お恥ずかしい話ではございますです;。
ま、そんなものでしょう。(笑)



                            



                             
  (ありゃ~、車窓から撮ったつもりがボケボケでした; すみません;)



                             
 



こうしてまた一日が過ぎてしまいました。
隣の市ですが何か用が無いと行くこともないんですよね、当たり前ですけれど。
それでも時折訪ねると何処かしら新鮮さを感じる程、今では少し遠い場所にすらなっております。
故郷なんてそんなものかもしれませんね。

いつに限らず、ごくごく普通の日記となりました。
明日は家におりますので神様の言葉を聞かせて頂ければと思っております。

そんなブログ、変わらずお付き合い頂きまして有難うございました。
感謝申し上げます。

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