おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

思い出がいっぱい

2023年09月26日 | 絵日記


まあ、それだけかかわりが多かったという事だとは思う。
今回、しみじみと思い出していたのは、義母の弟である叔父さんのお葬式の事。
思い出すきっかけは、義母の甥夫婦が今回仕事の為にほぼ出席しなかった事。
告別式だけ来て式が終わるとすぐに帰られた。
それは、私的には別にいいと思う。
生きている限り仕事は大事。
ただ、この甥御さんはうちのおとーさんや義妹と一緒に子供の頃は、家が近かったこともありこの甥御さんの妹と一緒に4人兄妹みたいに育ったよう。
なのですごく義母は身内を大事にしてきた人なのですぐに帰られたのは意外だった。
そう自分の身内はすごく大事にしていた。
いろいろな事情もあり義妹などはちょっとムッとしたようだし私もその気持ちもわかるが(それだけの事を義母は援助などしていたと思う)、仕事を抜けて少しだけでも来られたと言う風に取った方がいい。
今の年齢、役職的に抜けられない人も多いと思う。

話は戻るのが、最初に書いた叔父さんのお葬式は確か息子が小学生の時だった。
たまたまなんだけど告別式に当たる日、息子が学校で代表で発表するというので有休を取っていた。
お通夜には出席させていただいたので、翌日はおとーさんだけ出席じゃダメかなと恐る恐る聞くと・・・

「お母さんの弟なのよ!」とものすごく怒られた。

見に来てもらうのを楽しみしていた息子には何度もごめんねと謝った。

うーん、実はあまりあった事のない人でたまたま有休を取っていたけど、本来なら出勤日。
それと実は、その直前に私の伯父が亡くなりこの時は私だけが参列していた。
おとーさんは、仕事で来なかった。

というのを思い出した。

いや、婚姻したら基本その親族の葬儀には出席なんだろうが、私だって仕事で行けなかった事もあると思うが、その時はどうすれば良かったんだろう。
それと長年引っかかっているのは先に書いた「お母さんの弟なのよ!」って言葉だ。
うちとは「姓」も違う。

最近は家族葬が多くなり、お葬式の概念も変わってきていると思う。
今回も家族葬だし無理しなくてもいいと連絡したため少人数だった。
そして会館で初七日までしたが、最後まで残っていたのは私たち夫婦も含めて8人だった。
上記に書いた甥御さんの妹夫婦が残っていてくれた。
この人たちは、本当に出来た人たちで最後まで「おばちゃん、おばちゃん」と言ってきてくれて義母のわがままに付き合ってくれた人たちだ。

何かにつけてそんな事を思い出しているのである。
もうずっと。

*********************

上記の話にも関連しているような事だけど、義母が亡くなった事で普通とは違う困ったことが出てきた。
実は、義母には独身の弟がいてその叔父は介護施設に入居している。
義母がずっと後見人になっていて、それを「誰が」後を見るかいう話になった。
正直、私が口出しする問題ではなく静観している。
義母の弟なので。
ただ、まあおとーさんには叔父にあたる。
おとーさん自身は、「俺は関係ない」という。
理由は「姓」も違うしと。
でもそれを言うなら義妹はもっと関係なく、上に書いた義母の姪御さんもそう。
だけど、結局この2人が中心に引き受けると言う事になった。
介護施設の専門である義妹の旦那さんが、入所している所の関係もありなのと以前から義母を手伝ってくれていたようだ。
姓だけで言うなら、実は最初に書いた亡くなった叔父さんの子どもたちもいる。
しかしだな、前述にも書いたけどずいぶん前に亡くなっているので姓だけは一緒で交流はほぼないと思う。
それとここが大事な事なんだが、義母は身内を大事にとは書いたけど、同じ甥や姪でも自分の姉の子どもたちだけ。
その義母が亡くなり、交流がほぼない(ここにもいろんな事情がある)所に申し訳ないから任せられないよねという結論になった。
本当に義妹も義母の姪御さんもよくできている。
そしてそのパートナーの人たちも。
幸いなのは金銭に関してはほぼ大丈夫だという事らしく、たまに施設から来る連絡などに対応しないと駄目だという事。
うちも「おとーさん」が動くからなんで言ってくれと私が言っておいた。

ここまで書いていて、実は自分も他人ごとではないと思っている。
うちは息子はいるが、東京でもう帰ってこないと思う。

独身ではないけど、どちらか一人になる可能性があり、そのあと私だったら近くにいる姪に迷惑をかけることになるのではないかと思ったり。

どう自分たちの始末を自分でつけるのか?
ちなみに上記の叔父さんは60歳ぐらいの時に脳溢血で倒れて、その後ずっと施設だ。
一人暮らしだったため発見が遅かった。

他人ごとでは本当にない話だ。


義母宅からの帰り、にゃんこが道路でくつろいでいた。



おとーさんが、わざわざおくつろぎのところ申し訳ないからと別の道を通る。
猫には優しいオジサンなのだ。

【余談】
ご近所の方が、参列は出来ないから安置所にいる時に来てくださった。
親しくしていたのか?と思うも、なんかそうでもない。
義母の我が道を行くをそれなりに受け入れていた人たちのよう。
実際「〇〇さんだからねー(苦笑)」という話がいっぱい出てきた。
皆さん、いろんな事を思い出してくださっているよう。
実際、自治会の時にもめたという話を義母本人から聞いた事がある。
「また、気に入らない事があると〇〇さんはダンマリを決め込む!」と怒鳴られて怖かったと。

・・・・・。

「私は一度も喧嘩をしたことがない」と言うのが義母の口癖だった・・・。
ある意味、みんなの思い出に残っていいのかもしれない。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする