鬱陶しいが・・・。
先週の土曜日、ちょっとした勘違いトラブルがあり結構原付で走った事で花粉症が悪化。
もうしばらく原付で遠出はしないでおこうと決める。
ちゃんとマスクをしていたし薬も飲んでいるのに、吸い込む量が多かったら途端に症状が出る。
この日、外にも洗濯物を干していたんだ。
もう、これが最悪。
今年の花粉、喉がかゆい。
めっちゃかゆい。
花粉症デビューしたおとーさんもかゆがっている。
喉が一番かゆいけど、目や耳の穴も若干かゆくて鼻水もダラダラ。
口の中は荒れ荒れで肌も荒れてきた。
鼻炎薬飲んで家に引きこもっていたらそうでもないけど、ずっとそういったわけにはいかず。
なので結構な防備をして、一番問題の洗濯物はもう部屋干しにすることにした。
鬱陶しいが、エアコンの風があたるところに設置をし直したので、よく乾くしこの季節加湿にもなっている。
ただ、単に鬱陶しいだけ。
この季節だけ、ドラム式洗濯乾燥機が欲しくなる。
でも、電気代かかるし二人だから洗濯物多くないからまあいいかと思う。
金曜日に更新が出来なくて土曜日にと思っていたんだが、このトラブルというかハプニングのせいで更新できず。
おとーさんのなんというか、「お金」というものの感覚はおかしいという事だった。
いや、別に使い込んだとかじゃないよ。
数字と実際のお金がイコールじゃないんだ。
詳しくは書けないけど実は、そうだったのか・・・という解決のためあちこち走り回った。
イコールじゃないと言えば、セカンドハウスの光熱費。
オール電化にしていたので、湯が時間になると沸くようになっていた。
これに気が付き、止めようと言っていたんだけど「いいやん、そのままで」という。
住んでない家に絶えず湯が沸く。
そのことも気持ち悪い。
電気料金は、基本料金があるとはいえうち(風呂と給湯はガス)の3分の2ぐらいの金額が来る。
うちは、エアコンを結構使っているので高すぎじゃないか?と。
まだ、向こうの家の整理は全然ついてないし、法事などは向こうでするつもりなので数年は電気と水道はそのままにしておくつもりだけど、人が住んでない家で余計な料金は要らないんじゃない?というと、ちょっとおとーさんが面倒なのかのらりくらり。
でも、押し切って日数を設定して止めるという事をした。
するとひと月1500円マイナスになった。
おとーさんは1500円「しか」変わらないじゃないかというが私は1500円「も」違うじゃないかと。
このあたりの感覚。
1500円違うと12か月で18000円だよ。
私の頭で計算機がまわる。
18000円で二人で美味しい物食べに行けるよと。
救いなのはオール電化なので、ガス料金の基本料が発生してない事。
いつまでもセカンドハウスをこのままにしておくことは出来ない。
私は、遺産とは別のいろいろと義母の返金(年金)とかあったものとかで2年は賄えると踏んでいる。
なので2年後までにとは思っている。
これ以上は、維持は難しいと思う。
ただ、おとーさんは暢気なものだし、正直おとーさん兄妹の今の「思い出」との闘いの状態だと多分2年では難しいような気がしてきた。
何度か形見分けをしたらと言っているけど、一向に二人ともしない。
今、価値のあるものはもう残ってないけどちゃんとしてもらわないといろいろと進まない。
ずっと私たち夫婦も元気だったらいいんだけどね。
おとーさんがお前がもう勝手に処分していってもいいだろうと無責任な事を言う。
私ですか?
やっと今週、ひとつ大きな事が片付く。
これも結構大変だった。
すべてがスロー。
先はまだ長い。
抑えれるものは抑えておかないと。
余談だが、ここ最近「空き家を売りませんか?」という封書がたくさん来る。
見てみるとなんと「登記簿」を見て、セールスをしてくるのだとか。
見れるんだね、登記簿。
電話はかかってこないのでまだいいが世の中怖い。
ちょっとここからは独り言。
義母が亡くなってから自分の時間というものをより考えるようになった。
どんどん年を取り、出来ることがこれから少なくなっていくのかと。
大事にしないとなと思う反面、体力がなくダラダラしてしまう。
前段にも書いたけど、私が大きくかかわった義母の相続の案件がやっと今月末に終る。
あとはセカンドハウスの事だけ(まあ、これが大変だが)
コブちゃんがやっと落ち着いたこともあり、けじめをつけないとと思うがなかなか難しい。
もし、若い頃に戻りたいか?と聞かれると、答えは「NO」だ。
やっと金銭の事をあまり心配しなくてよくなり、今は身体の調子もそこまで悪くない。
正直、このままの状態で年を取らなかったらいいなと思っている。
ただ、昨年は本当に私以外の人に振り回された一年で後半はその回収とコブに振り回された年だった。
時間がやっと空き、何をしたらいいのかちょっとわからなくなっている自分に気が付く。
生きているってなんだろうと自分の中でいろんな意味(主にいい方ではない)で大きな存在だった義母が急にいなくなったことで毎日考える日々だ。
毎日をちゃんと楽しみを見つけて生きないとと。
どこでけじめをつけるのかしっかりしろと自分に言い聞かせているが。