本当は水曜日に行くつもりだったが、よくよく考えたらどうしても時間的に厳しく昨日に。
木曜日は比較的に私の予定がない日で自分的に私の「休み」設定にしている。
実は、昨日は妹が不在の日だった。
母が妹も呼びたがるので今まで木曜日は避けていたんだが、今回はちょうどいいチャンスだと一人で実家に行った。
結果的にすごく良かった。
ここ何か月か「保留」になっていた問題が数時間で一気に解決した。
妹には申し訳ないが、ここ最近彼女のテンションが邪魔で(多分病気の投薬などのせいかと思う)母の「意思」をじっくり聞けなかった。
母がしゃべろうとしたら妹が横から話題をかっさらう。
頭から押さえつけるような話し方をして、中途半端な人から聞いた話をする。
そうかと思うと自宅に来ている野良猫の話になったり、自分の身の周りの話ばかりする。
正直、ほとほと困っていた。
母の病院も私がついて行った方がいいと思っている。
今回母と話していてそう思った。
どうやら病院でも妹がすべての話題をさらってしまうようだ。
それと母と会うのは「母を話させる」と言う目的もある。
事故と老化のせいで少し口がまわりにくくなっている。
なので母を話させないと駄目なのに、妹がずーーーーーーーーーーっとしゃべっている。
(このぐらい伸ばすとわかっていただけるかと)
母と今後の事や家の事を話し、そして家の中に何をどこに置いているのかを今回確認した。
家の中で困っている事はないか聞いて対処した。
母の近況も聞き、いろんな話をした。
母はボケてはいないとは思うが、思考がやはりスローにはなっている。
なので、ゆっくり話をしないと駄目なんだろう。
ずっと気になっていたので、私自身も少し安心してほっとした。
母に何かあった時、これで困らない。
母本人も伝えられて安心したと言っていたし、すっきりもしたそうだ。
それとこれからは母の事を優先できるという気持ちが自分自身にある。
長年自分の実家の事は結構後回しだったり、あと気を遣って予定を立てたり行動していた。
まだ四十九日が終わってなく落ち着いてはないが、昨日は行って良かった。
それとあまり疲れてないのは、いろいろと気を遣ってないからだろうな。
やっと今週で午前中がつぶれる日々が終わる。
実りの秋になった。
来週から週に何回行くのかよく考えてみようと思う。
義母の家は、近いんだけど踏切を越えないと駄目。
この踏切がなかなか厄介で苦手。
ノロノロの電車が通ると結局5分ぐらい待つことがある。
その待っているとき、車の人はわからないだろうけど横の植え込みから猫のマーキングの臭いが強烈にしてもん絶する。
マスクをしていても。
それとその踏切を越えても数年前に長年その道として使っていた道路がある管理組合の私道だったようで急に封鎖されかなり回り道をしないと駄目になった。
最近、報道番組などで取り上げられていたりする問題。
義母宅は不便だったのがより不便になったし、行くのが億劫だ。
それでもこの期間でちょっとは慣れたのは慣れた。
踏切で混む時間がわかったり、新たなルートの発見など。
やっぱりもっと生前に行ってあげればと一瞬思うが、多分無理だっただろうし、この期間が終わったらもう原付でここまで毎日は行かない。
コスモスが一面に咲いている畑がある。
この写真のところは、畑の一角だけだが一面コスモス畑のところも。
残念だがバイクを止める場所がなく毎日眺めて通るだけにしている。
そういえば私が子供の頃も祖父の家(三田の山奥)の近くの田畑にもこの季節コスモスがたくさん咲いていた。
当たり前の光景だと思っていたが、調べてみるとコスモスもレンゲなどと一緒で「緑肥」なのだとか。
休耕田に種をまいたり、小麦や麦の収穫が終わった後に撒いているらしい。
なるほどなのである。