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おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

努力も才能

2012年01月28日 | 雑記
最近、見たテレビで盲目の画家の方のドキュメントを見た。
夫と二人で

「すごいな~!」「すごいね~」「素敵な絵だね~」と話しながら。
彼は目が見えなくなる時までの記憶を元に色などをたどり描いているそうだ。
そして、手に伝わる感覚だけで物の形がわかるようになったのだとか。

ただ、ふと記憶で描くということに対しては夫に
「私もかなり自分の記憶の部分で描いているよ」と話す。
そこから先は、用紙に位置を確認しながら描く。
対象を目で見ると言うのと位置を確認すると言うのを彼は、「目」のかわりに「手」で補って、努力の末すごい才能、感覚を得たのだろう。

全盲の人は、目の代わりに他の感覚が研ぎ澄まされるのだとか聞いた事がある。

人には多分生まれつき得意、不得意というものがあり、この部分はよく見てなかったのだが、彼は元々絵がうまく記憶は映像で覚えるタイプだったのかもしれない。

映像で覚えると言うのは、私も近いものがありすべての人が同じように覚えるものだと思っていたが、人によって記憶をどう収納していうのかは違うのかもしれない。
そして、絵を描くということも手先の感覚によって得手不得手が出てくるのだろう。

などなど・・・考えながら見ていた。

私の息子などは、まったく絵は不得意である。
ただ、彼は数学だけまあまあできる。(他は全滅)
以前、塾の先生に数学と英語などに関しては他の子とちょっと違う考え方や覚え方をしてますよといわれた事がある。
最近は喜々として数学の事について話してくれるのだが、さっぱりわからん。
どこが面白いかわからないが、話していて楽しそうに笑う。
・・・何が面白いんだい?

息子の記憶の仕方と言うのも、親の私とはちょっと違うのかもしれない。

個々の能力をどのように伸ばしていくか。
その盲目の画家の方だって、視力を失ってすぐに描けたわけではないと思う。
日々の努力と自分の能力を伸ばすという事をして、あのような画法と感覚を得たのだろう。

努力も才能のうちだと思う。
これも最近テレビで聞いた話だが、ある有名な漫画家の人も言われていた。
毎日、毎日何時間も絵を描き続けていて今の自分があると言うような事を。
その積み重ねなしでは、出来ないと。
私は土日だけはどうしても「主婦」と言う立場はあるし、毎日描く時間も限られている。
デザイン学校を卒業してからの(ただ、その後POPを会社で描くと言う事はあったが)ブランクが20年以上あった。
合間にデッサンを思い出したように描いてはいたが、それも本当にたまーにで仕事と子育てと家事に追われてまったく出来なかった。
そこで再開した今、出来る限り毎日描き続ける事を目標としているため、きっき堂でコブ日記を始めた。
猫の動作や漫画だが人の動きをなるべく頭で思い出したりしながら。
記憶でかける部分が大多数だが、わからない時はパソコンに頼っている。
パソコン・・・ネット環境が当時からあれば(まだ昔なので普及は全然してない)、私の人生もちょっとだけ変わっていただろうなとは思うが、今あることがありがたいので今を頑張ろうと思う。
最初は、デッサンだけだったのだが、毎日のテーマが決めにくく、あのような漫画だったら題材は決まっているし、「記憶で描く」という練習になるかと思ったので。
毎日の更新には意味がある。

話はちょっと変わるが、来月ぐらいから姪(7歳)に絵を教える事になった。
我が家につれてくるので教えて欲しいと言っている。
姪は妹の育て方だと思うが、ちょっと短絡的なところがあり、多分絵を教えてもらうとすぐに私のように立体に描いたり、漫画なんかが描けたりするようになると思っているようなふしがある。
物には順番があるし、年齢がある。
ちょっと甘えすぎで育った感じがあり、きっと自分が思ったように描けないとすぐに癇癪を起こすような気がする。

ずっと見ていて思った事だ。
思い通りにならないと、泣いて自己主張する。
うまく行かないとすぐにやめる。

さて・・・絵を描かす事で、それがどういった方向に行くか・・・。

まずは好きに描かせて様子をみようと思う。
私はデザイン学校出なので、こういった子供の絵で心がわかるとかいった事は、わからないが、見たら感覚的にわかるかもしれない。
それに自分でも少し勉強をしてみようかと思う。
しかし、子供の頃は自由に描くと言うのがいい。
楽しいという事を肌で覚えるのが。


今日は、この後出かけるのでここまで。

明日は、1日何もない日でやっとほくろクラブの構想がまとまったので、何年かぶりかで更新してみようかと思う。

お決まりです

2012年01月22日 | 雑記
今日も、息子の修学旅行の話。

修学旅行で、お決まり・・・といえば、テレビでもよくある部屋からの脱走。
といっても別に女の子の部屋に行くというのではなく、友達間の部屋へ遊びに行くというだけの事だけど。

就寝時間をまわっても、息子の部活の友達は息子の部屋に集まりトランプを。
何故か大富豪。
同室の生徒はきっと迷惑しただろう。

息子は理系クラスである。
もちろんクラスごとの部屋わけである。
理系クラスは、息子が言うにはすごく真面目らしい。
みんな休み時間は机に向かって勉強しているのだとか。
ペラペラゲラゲラ笑って喋っているのは僕ぐらいだと。
そして、運動部はかなり少人数らしい。
文化部か帰宅部が大半をしめているのだとか。
息子は運動部で、いわゆる友達たちも「体育会系」
その部活仲間では、唯一うちの息子だけ理系である。

妙なくくりの位置にいるような気がするが、お気楽なのでどこにでも入れて、両方の橋渡しのような感じなっている。
どちらにもなじんでいるところが、うちの息子らしいなと思うのだけど・・・。

さて、そんな真面目なところにどひゃどひゃと部活仲間がまぎれて、他の生徒は怒らなかったのか?と息子に聞くと
「皆、僕と仲がいいから大丈夫だよ」となんとも気楽な返事だった。
確かにその後の行動を聞いていると仲はいいようだ。

それで、1時をまわり息子の部活の友人二人は自分の部屋に戻ろうとした。

ところがである。

ホテルなんですねぇ~、今時の高校生の修学旅行。

部屋は出たら閉まるようになっていて、脱走二人は戻れなくなったのである。

そこに見回りの先生がやってきて、一人はなんとか必死でノックしたら同室の子が起きていて入れたのだけど、もう一人は入れなくなった。

先生は迫ってくる・・・。
そして、自動販売機の後ろに隠れる(笑)

「そこ、自動販売機に今隠れたやつ出て来い!」

ってな感じで当たり前だけど見つかってしまう。
朝、説教をされていたと息子は言っていた。
そこは友情なのか、息子の名前はださなかったそうだ。

いやはや、修学旅行で絶対にいるこんなやつって感じだ。
これは、今も昔もかわりないやって思った。
ただ、絶対にいるこんなやつが、息子や息子の友達だとは自分が若い頃は想像もしなかっただろう。
自分が高校生の頃は「あほやな~」と思っていた事を、まさか自分の息子たちがやるとは。
今回、息子自身もあちこちの部屋に顔を出し、友達の友達はみな友達さって感じになって
「新しく友達になったのが20人ほど出来た」と言っていた。

友達100人できるかな~♪

・・・小学生ですか・・・。

今日、宅急便で「ドサッ」と洗濯物が届く・・・。
実は別便なんだ・・・。

帰って来た~って感じがするぅ。


あっ、それともうひとつ。
新幹線での出来事。
「緑茶いりませんか~~!」と車内販売がまわってきたので、息子の横に座っていた子が
「すいません、緑茶ひとつください」というと
「申し訳ありません、高校生には売れない事になってます」との返事。


その車両、修学旅行の高校生だけの車両である。

「それなら!『緑茶いりませんか~』って言うな!って感じだろう!」と息子。

そして、その後、車内販売は再び高校生の中を

「緑茶いりませんか~~?」と言いながら移動して行ったらしい。

・・・マニュアル(爆)

きのこまつり

2012年01月21日 | 雑記
今日は丁度土曜日で、文章ばかり書きたかったのでこちらに。

きっき堂もよろしくです。


息子が修学旅行から帰って来た。
昨日、夜に市役所にバスが止まるので夫が迎えに行った。
うちは田舎だ。
そして、学校に在籍している生徒の大半はもっと田舎から来ている。
うちの息子は家から自転車で30分弱の道のりを通学している。
市役所からは一応歩いて15分ぐらいのところから電車はあるが、めちゃくちゃ暗い場所で、電車の本数も少なく、またバス通学をしている生徒などは、そこからバスが出ているはずもなく、また電車乗り継いでバス停まで行ったとしても、バスがない。
そこで、暗黙の了解で「親」が迎えに行かないといけない。


大混雑だったらしい(笑)

だって、ほとんど皆車で行っているわけでー、生徒は320人ほどいるわけでー。
市役所の駐車場はそこはまた田舎のいいところで、でかいのはでかいが、夜は電気がほとんどついてないらしく・・・。
乗り合わせ帰った生徒もいることはいるだろうし、近くだったら歩いて帰る子もいるだろうし、なんとか電車で帰る子もいるだろうけど、多分100台以上の車が一気に市役所駐車場に行ったわけだ。

生徒たちも雨降っているし暗いしで分散してしまい、携帯は一部の生徒しか持たせてもらってないので、親は自分の子供が見つけられない状態になったそうだ。
うちの息子は、他の子のを借りて家に電話してきたので、私が夫にどこにいるのかを連絡した。
実は、うちの息子は数少ない携帯をもつのを許された代表の生徒のはずだったのが、そこはまたうちの息子の事、充電が切れてしまって使い物にならなかった。
充電器も持っていっていたのに・・・。

「そうだ」とか「らしい」と言うのが多いのは私は行ってないので。
上記はブリブリ怒りながら帰って来た夫の話。

さて、そうやって息子は帰って来たわけだけど、今回の修学旅行詰め込みすぎで、あちこちで滞在時間が短くてとても疲れたと言っていた。
東京見物、新潟でスキー、東京ディズニーランド、横浜・・・・3泊4日でなんとも盛りだくさん。
横浜はディナークルーズで夕食を取ったあと「自由時間」があったようだが、「15分」という短さ。
トイレを探すだけで終わったといっていたが、シュウマイを一応買ってきていた。

それで、息子の土産話の一番のテーマは

「きのこ」だった。

実はうちの息子、アトピーで食物アレルギーがあり、「甲殻類」と「さば」が1番食べたら出るので、一応修学旅行前の事前調査に書いておいた。
今まで小学校、中学校の時も書いたが、本人が入っているのを避けていたら問題がなかったし、海老も「そのまま」とか「たっぷり海老のだし入り」を食べなければ、症状は出ない。
さばが1番ひどいけど、ダシってので出た事はないし。
サバはヒシチジンという物質が多く含まれていて、これが時間が経つとヒスタミンにかわり、そのヒスタミンがアレルギーを引き起こすそうだ。
鮮度落ちの早いサバなので出るのだとか。
うちの息子は他の青魚は、大丈夫だ。
一応、薬は持たせているし、実はここ最近そのアトピーの症状も治まっていて、NGな食品をさければそれでOK。
避けているのでわからないが、もしかするとましになっているのかと思うときもある。
また、調べてみてはと思っているのだけど、成人になった時にもう一度自分で調べてみたらいいかもしれない。

ただ、本人が中学校の時、一度試してみようとさば食べて蕁麻疹が出たのでやっぱりそこだけは無理。
その時、チャレンジするな!と怒った覚えがある。
でも、他の食品ではでないし、それ以外はここ数年蕁麻疹は出てない。

バイキングとなっていたので、大丈夫だろうと思っていたら、保健の先生から「念のため駄目です!」と息子ともう一人甲殻アレルギーの友達は、別メニューを申請する事になってしまった。

それでね・・・出てきたのは・・・
ハンバーグの代わりに魚。
サラダなんかの変わりに「きのこ」だった。

きのこ・・・山のように出てきたって。
ハンバーグ食べれるのに、さかな、さかな、さかな~~~~♪
そして「きのっこのこのこ、元気なこ~~」って感じできのこの山盛り。

きのこはエリンギ、しめじ、その他もろもろ。
あんまり好きではない息子は「僕はもう一生分のきのこを食べたかもしれない」と言う。

から揚げの代わりにきのこ・・・。
バイキングでから揚げ貰いにいったら、「あなたは駄目」と断れたと。
(ただ、こっそり目を盗んで食べたらしい)

食べるものが制限され、腹が減るのでスキー場の売店でこっそりとカップ麺を買い、後で食べたと行っていた。
意味ないじゃん・・・。

それで、最終日のディナークルーズ・・・中華バイキングだったそうなのだが、どれもほとんど「海老」を使った料理で、そこでは「別メニュー」じゃなかったそうだ。
意味ないじゃん。
食べれるのは「から揚げ」だけ。
前日にあなたは駄目と言われた「から揚げ」だけ。
から揚げ大好きなので、まあそれはそれで良かったとは言っていたけど。

ただ、どの日程も普通のメニューとしても量が少なかったらしい。
多分、食物アレルギーと言う事で、「小麦」「卵」など他に出るものも制限したメニューだったのかと思う。
ハンバーグには小麦も使っているだろうし、つなぎに卵を使っているかもしれない。
一般のメニューにしても高校生男子にしては少なかったとも言っていた。

「食物アレルギー」ってだけで全部制限しちゃったんだな。
この事は一応、保健の先生に報告をしておくようにと言っておいた。
事前調査・・・意味ないよって。
その制限した日は、一応配慮できのこや魚でしてもらっていて、多分ホテル側の手間の問題で前アレルギー対応でこんなメニューになったのは理解できるけど、中華バイキングで制限してなかったら意味ないし。
正直に言うと高校生にもなると自分で駄目な食品はわかるから、バイキングだったら「何」が入ってるのかを表示してもらっていたほうが、判断しやすいと思う。
最初のホテルは、今までのうちの子の高校で行ったことないところだから、初めてなのでこんな風になったのかもしれない。

ただ、「きのこ」は一生の思い出話になったと笑いながら言っていた。
エリンギのステーキはもういらねーと言っている。
私も涙出るほど笑った。

疲れたようだが、楽しかったようだ。
なんでも新しく親しくなった友達が20人ほど増えたと言っていた。

もっと笑える話があるんだけど、またそれは別の機会にでも。
高校生男子らしいなぁ~と言う話だ。
お調子者なので、どこでも全力で騒いでいたようだ。

そして、帰って来た息子は

「肉、肉!肉!肉がくいたい!」と叫んでいた。

今晩は焼肉である。
もしかしたら、こうなるような予感がしていたので、以前から注文して届いたのが冷凍庫に1キロほどある。

この月曜日から買い物に行ってない。
間に生協の宅配がやってきたので、夫と二人なら全然足りた。

今日で、冷凍庫の肉類は全滅しそうな感じがする。
エリンギのステーキ・・・出してやろうか・・・。

チリン、チリンの記憶

2012年01月14日 | 雑記
昨日、味噌汁に入れる木綿豆腐を買った。
驚くほど安い値段。
しかし、以前買ったとき息子(高校2年)に
「この豆腐は木綿豆腐ではない。偽物」と言われた事を思い出す。
確かに切っていると、こりゃ木綿豆腐かそれとも絹ごし?って感じでやわらかい。
以前買ったときに、間違って買ったのか?とパッケージを確認したほどだ。
ただ、味噌汁に浮かべるだけだし、インスタントで作るよりましだろうと購入する。
うちは今超節約生活、実施中なので。
息子は絹こし豆腐より、木綿豆腐が好き。
「やっぱり豆腐は木綿豆腐だよな~」とか言う。
だから、この激安豆腐が許せないらしい。
それとまったく同じ台詞を私の亡き父が言っていた。
妙なところが隔世遺伝似たもんだ。

ただ、私や父ににすれば、スーパーで売っている木綿豆腐も全部にせものだ。
私や父にとって本物の豆腐は

「チリンチリンのおじさん」が売りに来る豆腐だった。

神戸の下町に当時私の一家は住んでいた。
夕食や味噌汁に必ずと言っていいほど出る豆腐は、チリン、チリンとベルを鳴らしながら自転車にのって夕方にやってくるおじさんの豆腐だった。

おじさんの豆腐は美味しかった。
「豆腐屋、今日は調子が悪いな」と父が言ったりする時もあったけど、それでも今食べている豆腐に比べたら全然美味しさが違っていた。
手作りで作るのだから、逆に絶品の時があったりもする。

母に叱られて、「外にいなさい!」と放り出されても、チリンチリンのおじさんが来れば、母が容器を持って出てきて、おじさんが
「そんなに叱ったるな。」と言ってくれて豆腐と一緒に家の中に入った。

活発だった妹の方が怒られる率が高かった。
そして、家に向かって泣くのではなくおじさんに向かって泣いていたと思う。
妹の声が大きくなるのとチリン、チリンと音が聞こえてくるのと同時だった。
そう、丁度、子供が家にいて怒られる時間?におじさんは毎日まわってきていた。
いや、母もそれがわかっていてわざとこうやって出したのかもしれない。

自転車でチリン、チリンと夕日を背に音を鳴らしてやってくるおじさんは私たち姉妹の救いのヒーローだった。

懐かしい思い出である。
私たちが住んでいたところは、震災でなくなってしまった。
多分、行ってももうどこに自分が住んでいたかわからないかもしれない。
おじさんの豆腐屋ももうかなり前に閉めている。
多分、父や母よりも年が上だったと思うが、おじさんのその後はわからない。
息子さんがいたはずだけど・・・。
我が家は、震災より10年前に、同じ神戸だが引越しをした。
そこは、神戸市といえどまったく違う環境で、豆腐屋さんなどはなく豆腐を買うのは必然的にスーパーの豆腐になった。

父がたまに「あの豆腐が食べたいな」と言って、私も「そうだね、おじさんの豆腐が食べたいね」と言った。

京都に行ったときにすごく高い豆腐料理を食べたが、悪いけどおじさんの豆腐の方がずっと美味しかった。

夕焼けとともにやってくる、おじさんの姿がいまだに目に浮かぶ。
おじさんが来る時間はもう、遊びも終了の時間だった。

今朝、味噌汁飲んで豆腐食べたら「やっぱりまずい」と思った。
あの頃の食事は、もしかすると物があふれている今の時代より贅沢だったのかもしれない。

作文

2007年06月10日 | 雑記
今日は、ほくろクラブもショート・ショートもお休みして「雑記」を書きたいと思う。
ほくろクラブがちょっとまとまってないせいもあるんだけど。
そしてこの事はずっとどこかに書き止めておきたかったので。

先々週30日~1日の間王子の学校でオープンスクールがあった。
始めは月末・月初めで仕事の都合がつかず行かないつもりだったが王子がなんとクラスの代表で「人権作文」の代表で意見を発表すると聞いたので、こんな「発表」なんて王子の中学生活の中で一回あるかないかだと思うので聞きに行った。
時間も丁度昼の休憩時間だったので・・・(実は会社から中学校までバイクで2分だ)

ただ、「人権」という言葉に少し反発を覚えた。こういった学校の授業は自分が学生の頃から少しイメージが悪かった。
私の当たった先生が悪かったのかもしれない。中学3年生の時に転校したがその学校の一教師にすごく怒りを覚えた事がある。なんて世間知らずな意見を堂々と言うのだと。
(担任の先生はとてもいい先生だったんですけど。その他の先生の印象があまりにも悪かった)
私の転校した学校はその時市で一番の「優秀」な学校だったんじゃないかと思う。
校内暴力がなく、皆裕福な家の子で帰国子女が多かった。高級住宅地の中の学校だったためだ。
でも、大半が高級住宅の学生で占めていたがもちろんそうでない地域もあった。どういう表現をすればいいのか・・・いい方はよくなのかもしれないが「普通」の地域である。
そんな中ある教師がまったくもって失礼な質問を生徒に投げかけた。
市で1・2を争う風紀の悪かった学校から来た私はすごく反発を覚えた。こんな質問を前の学校でしたらきっと袋叩きにあうぞと思った。
教師の意思にあわない回答をしたんだと思う。
当たり前だが問題になった。(これは私の知らないところでだが)
私は今になって思うがその学校はすごく歪んで感がするし、またそこで教えている先生達もすごく歪んでいた。
かえって風紀が悪かった元いた学校の方がストレートでよかった。

私の「先生」のイメージは一気にそこから悪くなった。高校でもあまり心に残る先生とは出会えなかった。
社会に出てからもその感はぬぐえず、店に買い物にくる教育者とその家族は堂々と「非常識」な事を言う人が多いためますますイメージが悪くなった。
正直に言うと教師になる人はまず大学なりでもっと「社会」の経験をつんでくるべきではないかと思っていた。
そんな人達に教えて貰う「人権」なんて・・・とずっと反発を覚えていたのだけど・・・。

昨年、王子の小学校で役員をしてから少しイメージが変わった。
学校の先生と言うのも大変な職業なのだと思い、頭が下がる思いをした。ただ、世間との繋がりが薄過ぎるような感じがするのも否めない。

話を元に戻すが8人の生徒達が「人権」について語った。
王子を覗いてほとんどの子が「いじめ」「自殺」などについてだった。
王子は自分が松葉杖をついただけで、どれだけ不自由だったか、それとどれだけの人に助けて貰ったかを子供らしい文章でストレートに書いていた。
中にはこけそうになるような文章もあった。
多分、それが選ばれた理由なんだろう。
それはまあいいとして・・・
「いじめ」や「自殺」について語った子達の意見の中で数人は自分の身に起きた事を中心に書いていた。
自分がいじめられた事や友達がいじめられてた事について。

疑問を感じた。
中学校はほとんど小学校の延長で来ている。自分が小学校の時に受けた「いじめ」を発表している。
その子が「いじめ」と感じた「いじめた方」の子もいるのだ。
1人の子がある日自分が急に『無視された』と発表している中、肘をつつきあいクスクス笑う子の姿が印象的だった。まず間違いなくその発表した子を『無視した』子達なんだろう。
後ろにいるから見えたことだ。
教師は見えたんだろうか。

何の為にこういった発表を「学校内」でさせるのだろうか?もっと別の方法があるのではないか。
すごく疑問に思った。問題視するのはいい。生徒達に討論させるのもいいと思う。別のところで発表するのもいいかもしれない。
でも・・・。

文中に出てきた子だが「強くなることが大事」だと言っていた。本当にそうなる事を願ってやまない。彼女は「発表した事」によってもうひとつ何かを乗り越えてくれるのだろうか。

最後の校長先生の感想が長かったらしく、王子達は5分で弁当を食べなければならなかったらしい。
王子達の学校での最大の楽しみのひとつは「弁当の時間」である。
そんなところはもっと融通は利かないのだろうか?食べれなかった子もいるはずである。

学校を出る時アンケートの用紙に書きたかったが私自身昼も食べずに会社に帰るので急いでいたため書けなかった。
なんとなく心にもやもやが残りどこかで書きたかった。

次もこういうのがあったら聞きに行くのか?
・・・聞きに行って是非感想を書いて帰ってこようと思う。
また自分が中学生の頃のように問題発言をしてしまうかもしれないけど。