なんでも今日は世界の終わりが来るのだそうです。
昭和生まれにとっては宇宙戦艦ヤマトやノストラダムスや日本沈没などなど、身近な「終焉」がたくさんあったのですが、最近はどうなのでしょう?
ニュースを見ているとNASAが否定声明を出したり、中国でも噂の流布で逮捕者が出たり、フランスの某かに終末論者が集まったりしているようなので、世界的にはそこそこのインパクトなのかもしれません。
子供の頃に聞いたノストラダムスや日本沈没なんかマジで恐かったですけどね。
当時、テレビドラマもありましたから「日本が沈没したらどうしよう」とか本当に心配していました。小松左京先生恐るべしです。ノストラダムスに至っては恐怖の大魔王か何かが降臨するんだから、更につかみ所がなく、その対応方法も限定されるので得体の知れない恐怖がありました。十日町の野と山しか知らない小学生が抱いていた漠然とした恐怖感ですから、今思うとひどく気恥ずかしいようにも思います。
そう思うと、身近に巨大な畏怖があると云うのはなかなかいい時代であったのかもしれません。
科学技術の進歩で何かしらの天変地異を予期や対応を出来る様になっていて、その危機感が少なくなっているのかもしれません。
他方、社会環境のの変化なのか倫理観の変化なのかわかりませんが、「トリアージ」など身近な終焉がコントロール或は従来と違った価値観で運用されたりもします。
まあ、「終焉」にも様々あります。
余談ですが、「最後の日」で思い出すエピソード。Appleコンピュータの故スティーブ・ジョブズの事を書いた本の中にあったのですが、スティーブが結婚する事になるローレンとは1990年にスタンフォード大学で遭ったのだそうです。学生だったローレンはスティーブの講義を受けており、その日、二人は電話番号は交換したもののデートの約束まではしなかったのだそうです。
この日、既にスティーブには同僚に会う約束をしていたのだそうです。
講義の後、車に乗ろうとしたスティーブは自問したそうです。
「今日が人生最後の日だとしたら、彼女よりも仕事仲間を選ぶだろうか?」
そしてスティーブはローレンのところに戻り、彼女をディナーに誘ったのだそうです。
終焉なり、人生最後は時としてロマンチックでもあります。
でも、多くの場合、終焉も最後も予期をしないでやってきます。あはは。