当地では、蔓延するチャイナ肺炎19のせいで今だに厳しい外出規制がかけられていますが、天気が良いので、人がほとんどいないと思われるド田舎の村に弁当を持って散歩に行きました。
村のメインストリート ・ 通り沿いの教会
すし太郎 ・ おかず
弁当はたいへん使い勝手の良い 〈すし太郎〉 で、上に海苔を散らしました。おかずはブロッコリーとパプリカの煮ものと卵焼きです。天気は良かったのですがまだ冷たい風が強くて、車の中で食べざるを得ませんでした。
ハノーファーから車で1時間ちょっとのその村には小さな城塞があります。シュリュッセルブルク城塞というのですが、シュリュッセルとは鍵という意味なので鍵城塞という名前になります。なぜなら、このお城は14世紀の前半に、あるカトリックの司教によって建てられ、司教区のワッペンのシンボルが鍵だったからです。
登城路 ・ ワッペン
シュリュッセルブルク城塞は、以前行ったことがありこのブログでも紹介したペータースハーゲン城の出先機関として建造されました。北方からの攻撃に備えての処置だったそうです。ところが15世紀にはその軍事的な存在価値が次第に薄れて行き、30年戦争が終わった後で城塞はシュリュッセルブルク村の役場として使われるようになりました。1846年までその状態が続き、その後1961年まで学校だったそうです。こんにち残っている建物は、最も大きかった16世紀後半のシュリュッセルブルク城塞のごく一部であるとのことです。今は個人所有になっていて、一般の人々には開放されていません。
お城の全景 ・ お城の裏側
城塞は、はっきり言って、汚いみすぼらしい建物です。見栄えのする建築物としての魅力はないし、残念ながらあまり手入れをしていないのではないかと思えます。
ところで、このシュリュッセルブルクの村には中心部から少し離れて穀物倉庫が立ち並ぶ地域があります。この倉庫群ですが、17世紀初頭にはすでに存在していたようです。
倉庫群 1
当時人々が村の外に農具や穀物や種を保管しようと考えた訳は、家が立て込んで村が狭くなったこと、何度も繰り返されるヴェーザー川の氾濫による洪水、そして数度の火災だということです。19世紀には穀物の収穫量がどんどん増え、倉庫群は絶え間なく拡張されていきました。1970年代には幾つかの倉庫が老朽化により崩壊する危険もありましたが、その所有者と役所の連携でそれを阻止し、最近の数年を費やして広範囲にわたる修復を施しました。
倉庫群 2
元来の構造を維持していて文化遺産として保護されている26棟の倉庫群の一部は、 現在でも使用されています。
倉庫群 3 ・ 倉庫群 4
倉庫の木組みの木材はオーク材で、格子形に区切られた部分の充填物は一部、未だにオリジナルの粘土だそうです。
例のチャイナウィルスが広がっているせいで、ドイツ全土のレストランとカフェがまだ営業をしていません。それで、自宅に帰ってからワッフルを焼いて午後のティータイムをしました。生地の水分が少な過ぎたのか、少し硬くなりました。皿は妻の作品、ジャムも妻の手作りです。
ワッフル
[2020年4月]
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