9月15日のスーパーモーニングで、モラルハラスメントについて放送されたらしいです。
そこで紹介されたチェックポイントだそうです。
1. 出された食事が気に入らない時、別の物を食べる。
2.妻の趣味、特技が理解できない。くだらないと思う。
3.「どうして?」「こんなことも分からないの?」と言う。
4.体調は、悪くても妻なんだから家事は、すべき
5.言い訳、反論されると「そうやって俺を非難するのか?」と言う。
6.家の中がきちんと片付いていないと不完全なところを探し「一体毎日何をしているのか」と皮肉、嫌味を言う。
7.妻の前でため息や舌打ちをする。
8.妻が楽しそうにしていると不愉快になる。
9.妻に長時間、説教することがある。
10.「誰のお陰で生活できるんだ」と言う。
こうやってみると、全部当てはまってます。
平成13年に、DV防止法が施行された時には、まだ精神的暴力がこれに当てはめられていなくて、モラルハラスメントという言葉により、精神的暴力が説明されていたのだと思いますが、平成16年の改正から、この精神的暴力も、DVとして認められています。
モラルハラスメントという言葉は、被害者にとって使いやすい言葉です。
なぜなら、被害者は、被害者意識よりも、自分が悪いからこうなってしまうのかもという考えを持ちやすい人間のように思うのです。
「私は、DVの被害者である」とは声を大にしていえない性格の持ち主のような気がします。
私自身も、身体的暴力を振るわれるまで、自分がDVの被害者であることは考えてもみませんでした。
それどころか、公の相談機関に電話して、相談員から指摘を受けた時でさえ、それを否定しました。
「いいところもあるから、私も悪いから・・・」
モラルハラスメントという言葉にであったからこそ、救われたような気がします。
でも、モラルハラスメント=DVなんだということを忘れてはいけないのかなと思います。
たぶん、DVと言えば動いてくれやすい公的機関も、モラルハラスメントという言葉を使うことによってあいまいになってしまうような気がするのです。
モラルハラスメントの被害者だと気がつけたなら、
「DVの被害者なんだ」と法律によって守ってもらう方法もあるのではないかと思います。
ただ、DV法が改正になった時、旦那は、仕事上その説明会に出席しています。
改正DV法の中に精神的暴力という言葉が含まれながら、それがどういうことか知らないということでもあるでしょう。
モラルハラスメントという言葉だけが、独り歩きするのではなく、精神的DVとはこういうものだという解釈として、一緒に進んでいく方がいいような気がします。
そうではない限り、うちの旦那のような人に、精神的暴力としてDVの申請をしたところで、良くあることだとか当たり前のことだ、それをDVという方が、おかしいのではないかと言われて、二次的被害を受けてしまうような気がします。
精神的暴力という定義をあいまいにするのではなく、モラルハラスメントを精神的暴力の定義として当てはめるといいのではないかと思っています。
精神的暴力は、DV=犯罪なんだということを、もっともっと浸透させることによって、言葉を慎む男性も出てくるかもしれないし、我が身を振り返る夫が出てくるかもしれません。
男性の中には、古い考えや捉われから、男尊女卑的な考えを持っている人も多いと思います。
でも、そういう人に限って、法律という言葉に弱いような気がします。
自分のしていることが、法律に引っかかると知ったら・・・また違ってくるのではと思うのです。
モラルハラスメントを叫ぶ時、合わせてDVなんだということを広めていくことが大切ではないかと思います。
いかがでしょうか?
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
そこで紹介されたチェックポイントだそうです。
1. 出された食事が気に入らない時、別の物を食べる。
2.妻の趣味、特技が理解できない。くだらないと思う。
3.「どうして?」「こんなことも分からないの?」と言う。
4.体調は、悪くても妻なんだから家事は、すべき
5.言い訳、反論されると「そうやって俺を非難するのか?」と言う。
6.家の中がきちんと片付いていないと不完全なところを探し「一体毎日何をしているのか」と皮肉、嫌味を言う。
7.妻の前でため息や舌打ちをする。
8.妻が楽しそうにしていると不愉快になる。
9.妻に長時間、説教することがある。
10.「誰のお陰で生活できるんだ」と言う。
こうやってみると、全部当てはまってます。
平成13年に、DV防止法が施行された時には、まだ精神的暴力がこれに当てはめられていなくて、モラルハラスメントという言葉により、精神的暴力が説明されていたのだと思いますが、平成16年の改正から、この精神的暴力も、DVとして認められています。
モラルハラスメントという言葉は、被害者にとって使いやすい言葉です。
なぜなら、被害者は、被害者意識よりも、自分が悪いからこうなってしまうのかもという考えを持ちやすい人間のように思うのです。
「私は、DVの被害者である」とは声を大にしていえない性格の持ち主のような気がします。
私自身も、身体的暴力を振るわれるまで、自分がDVの被害者であることは考えてもみませんでした。
それどころか、公の相談機関に電話して、相談員から指摘を受けた時でさえ、それを否定しました。
「いいところもあるから、私も悪いから・・・」
モラルハラスメントという言葉にであったからこそ、救われたような気がします。
でも、モラルハラスメント=DVなんだということを忘れてはいけないのかなと思います。
たぶん、DVと言えば動いてくれやすい公的機関も、モラルハラスメントという言葉を使うことによってあいまいになってしまうような気がするのです。
モラルハラスメントの被害者だと気がつけたなら、
「DVの被害者なんだ」と法律によって守ってもらう方法もあるのではないかと思います。
ただ、DV法が改正になった時、旦那は、仕事上その説明会に出席しています。
改正DV法の中に精神的暴力という言葉が含まれながら、それがどういうことか知らないということでもあるでしょう。
モラルハラスメントという言葉だけが、独り歩きするのではなく、精神的DVとはこういうものだという解釈として、一緒に進んでいく方がいいような気がします。
そうではない限り、うちの旦那のような人に、精神的暴力としてDVの申請をしたところで、良くあることだとか当たり前のことだ、それをDVという方が、おかしいのではないかと言われて、二次的被害を受けてしまうような気がします。
精神的暴力という定義をあいまいにするのではなく、モラルハラスメントを精神的暴力の定義として当てはめるといいのではないかと思っています。
精神的暴力は、DV=犯罪なんだということを、もっともっと浸透させることによって、言葉を慎む男性も出てくるかもしれないし、我が身を振り返る夫が出てくるかもしれません。
男性の中には、古い考えや捉われから、男尊女卑的な考えを持っている人も多いと思います。
でも、そういう人に限って、法律という言葉に弱いような気がします。
自分のしていることが、法律に引っかかると知ったら・・・また違ってくるのではと思うのです。
モラルハラスメントを叫ぶ時、合わせてDVなんだということを広めていくことが大切ではないかと思います。
いかがでしょうか?
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メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
これが毎日の普通の生活であったりしたけれど。
出された料理を何も言わず、何も食べずに、一直線に捨てるって結構、厳しいですよね。
そう、楽しんだりしていると、嫌がるんですよね。
でも、今はここでお世話になるのだろうな。
まあ、前よりもだいぶよくなっているとは思うけれど。
さてはて。全てがこれでまわっていると、これが普通なのですよね。
私はここを乗り越えられるのかな~なんて思うけれど・・・。
辛いですね。
それが一番辛いかな。
そして、人に言っても理解されないことかな。理解されたことがなかったし。
まだ、私はほとんど人に言ったことがないことばかりです。
とてもいえない、、、そう思ってしまう。
こんな体験、人に言ったら、不快に貶めてしまうって。
そういう気持ちがきっと、表に出さずに、続けられてしまうことになるんですね。
ねこさんは自分から、お話されて、整理されながらも、皆さんに伝えられている。
こんな場所を作って下さりありがとうございます。
そして被害者が、加害者の残虐な部分を引き出してしまうところもあると思います。
加害者は、誰に対しても残虐性を持っているわけではなくて、被害者に対してだけそういう残虐な部分を見せるということもあるから、余計に傍からはわかりにくいんではないかと思います。
だからこそ、被害者が、自分で被害を受けていることに気がつき、声を大にしなければいけないのかなと思います。
でも、被害者は、被害を受けていることにすら気がつかない、なぜなら原家族でも、同じようなことが起こっていたから、自分の我慢が足りないとか、そんな風に捉えてしまって、逆に、こう感じてしまう自分が悪いんだと思い、他人にいい出せないのかなと思います。
だから、最初の第一歩を踏み出す勇気を持って欲しいなと思います。
これが普通、わかります。
私も、原家族を考えると結構当てはまりますもの・・・
そして、子ども達にもいくつか当てはまるようなことをしてきたかも・・・
相手がおかしいことをわかっていて、それをかわすことが出来るのと、わからずに何故だかわからないけど苦しんでいるのと、大きな違いがありますよね。
とんびさんは、徐々に気持ちの持ち方を変えられているのかもしれませんね。
でも、誰にもわかってもらえないと辛いですよね。
もしかしたら自分が間違ってるのかも、こんな風に思ってはいけないのかもと自分を責めてしまったり・・・
こちらこそ、一人ではブログは続けていけませんでした。
共感してくださる仲間がいる。
だからこそ、吐き出せるのです。
こちらこそ、ありがとうございます。
>被害者に対してだけそういう残虐な部分を見せるということもあるから、
>余計に傍からはわかりにくいんではないかと思います。
本当ですね。本当にそうなんですよね。だから、信じてもらえないんですよね。
そして、相手は、割と普通よりも、「人がよく、しっかりしていて、穏やか」
そういう面を公衆の前で保っていることが多いきがします。
たぶん、相手も、偽りの苦しさが、耐えられなく、どこかで、発散したいのでしょうけれど。
相手も無意識にやっていることである気がしますが。
その無意識をひきだしてしまう、私の無意識があるんです。
私は原家族ですが、自分で気づいていく、ということにとても意味があると思います。
私はこれくらいしか扱われないだろう、と思い込んでいて。
自分が悲しいということにも蓋をしていて。
自分で気づき、自分をエンパワメントしていきたいです。
私は、外に言うことはなかなかできませんが、このサイトをおかりして、
しっかり、軸を取り戻していきたいと思っています。
世の中には、いろいろな事情により、どうしても言葉を出せずに、生活している方々が多いと思います。
子供や老人、病人、女性、もちろん男性もいると思います。
家の中で何がおきているか、隠れて苦しみを持ち続けている人。
支配の枠を抜け出すことさえきづけない人。
私自身もそうですが。
もっと、風とおしのよい世の中になるといいです。
これは祈りにもにた気持ちかな。
相手は、意識的に苦しめようとしているんじゃなくて、無意識だったりするんですよね。
その無意識を引き出しているのは、もっとさかのぼった先祖だったり・・・
そうなると誰のせいって言うよりも、気付いた自分が楽になる方法を選ばないといけないのかなと思います。
元々、楽に生きてる人なんて、一握りなのかもしれないなと最近思います。
でも、苦しさに気付くことも与えられたことなのかなと・・・
いつでも、この場所でよかったら、しっかりと吐き出して帰ってくださいね。
>もっと、風とおしのよい世の中になるといいです。
これは祈りにもにた気持ちかな。
本当にそうです。
”祈り”ぴったりの言葉だと思います。
人生相談に乗ったりしてる感じだわ