キースオジンQ日記

色々な事に関心を持ち、実際、見て、聞いた事を毎日、書いてます。カテゴリー:音楽・美術・釣り・スポーツ・歴史(お城)・鉄道

みんなの音楽教室

2017-08-31 17:55:29 | 勉強


岡崎市シビックセンターで開かれた「みんなの音楽学校」を受講してきました。「クラッシック音楽入門〜その熱き家族愛から探る〜」とサブタイトルにあるようにクラッシック音楽を分かりやすく解説する企画で、今回は、「愛する人のためにーショパン・メンデルスゾーン」というテーマで松本大輔さんが講師となり話を聞きました。



実演としてピアニストの五島史誉さんが三曲演奏されました。非常に勉強になりました。




法多山 尊永寺

2017-08-30 18:28:07 | その他


袋井市にある法多山 尊永寺に行ってきました。毎年、厄払いのお参りをしてお札を頂いてくることが我が家の恒例行事になっています。今年は、風鈴が本堂の渡り廊下のところに綺麗に並んでいました。



前年のお札を返却し、30分ほどのお参りをしたあと茶店により厄除けだんごを頂きました。今年は、厄除け氷が加わり多くの人が食べてました。




後期 広重展

2017-08-29 17:20:58 | 美術・博物館


安城市歴史博物館にて開催されていた「広重展」に行ってきました。この企画は前期・後期に分かれ、前期は、既に見ていたので後期を見ました。いずれも講演会が同時に開かれ、後期では中山道広重美術館の学芸員による講演会があり、それを聞いてから見ました。



ロビーでは版画の体験コーナーがあり二種の版木を使った重ね摺りの体験をしました。上手く行きませんが貴重な体験になりました。




ワンコインコンサート「ドビッシー講座」

2017-08-28 17:57:51 | 音楽


先日、額田郡幸田町の町民会館で開かれたワンコインコンサート「サマーセミナー ドビッシー講座」に行ってきました。毎年、この時期、二回開かれるサマーセミナーです。今回も作曲家・ピアニストの加藤昌則さんが講師となり、ドビッシーについて作曲の特徴などについて詳しく話されました。



ドビッシーの代表曲である「月の光」「子供の領分」など実際、演奏もされ、音楽の難しい話も分かりやすく解説されました。来年も楽しみです。


来島村上水軍 来島城

2017-08-27 18:05:39 | 城・歴史


能島城を見た後、三島村上氏の一つ 来島村上水軍の居城の来島城に向かいました。今治市にある船着場から市営の連絡船に乗り、5分ほどで到着です。



周囲 800mという小さな島ですが、周りを急な潮流に囲まれた天然の要害になっています。船着場から10分ほどで天守跡に行けます。ここからの眺望は、素晴らしいです。



しまなみ海道の橋や来島海峡を行き来する船を見ていると時間を忘れます。今回の村上海賊の城巡りのツアーで良く分かったのは、村上氏は、海賊というより水軍の呼び方が相応しいと思いました。それは、三島村上氏は、潮流の厳しい芸予水道において往来船を水先案内(船荷の1割で請け負う)することを稼業としており、水軍のガイド無くして潮流の厳しいこの水道を往来できないからです。今回のツアーであらためて理解できました。


能島村上水軍 能島城

2017-08-26 19:20:40 | 城・歴史


今回の「村上海賊の瀬戸内海 城巡り」ツアーのメインイベントは、能島村上水軍の本拠地を巡るクルーズです。このクルーズの発着桟橋近くに村上水軍博物館があり、見学をしてから船に乗りました。



この能島の周りは、潮が急でところどころ渦も巻いていました。



その潮流をみながら島に着き、早速、城跡まで行きました。島全体が城郭になっており、小説に出てくる舟を止めるピッチ跡もありました。





城跡は、本丸・ニノ丸・三の丸等、綺麗に整備されてました。ガイドさんの説明もあり、小さな島ですが見所一杯でした。


日本百名城 今治城

2017-08-25 18:35:21 | 城・歴史


村上海賊の瀬戸内の城巡りツアーの宿泊は、今治市のホテルでした。ホテル近くに今治城があり、夕食前の散歩がてらに行ってきました。内堀の外周から見る今治城は、見飽きません。日本百名城の79番の城であり藤堂高虎が築城した海城として知られています。



建物は、昭和に入り再建されたものですが、隅櫓・大手門などなかなか趣があります。




向上寺 三重塔と大山祇神社

2017-08-24 17:36:48 | 鉄道・旅行


因島水軍城を訪れた後、向上寺に行きました。ここは、国宝 三重塔が有名な寺です。その後、今治市大三島にある日本総鎮守の大山祇神社にお参りしました。



海の神・山の神・戦いの神として朝廷をはじめ多くの武将から尊崇を集めた神社です。50年前、中学の修学旅行の際、ここにお参りしてから資料館に行き、歴史の教科書にでてくる武将が奉納した刀・鎧などのほとんどが国宝・重要文化財に指定されているのに驚いたことを思い出しました。今回も同様の驚きがありました。








村上水軍の城 因島水軍城

2017-08-23 17:44:15 | 城・歴史


今日から「村上海賊ゆかりの瀬戸内の城巡り」ツアーに参加しています。これは、今、読んでいる小説 和田竜著「村上海賊の娘」にゆかりのある場所を巡る良い機会と思い来ました。



はじめに尾道市の因島水軍城に行きました。尾道からしまなみ海道の因島大橋を渡り、すぐのところにあります。



ここは因島村上氏の居城で模擬天守が資料館になっています。地元のガイドさんがツアーに付き、詳しく解説してくれました。



この資料館では、小説の中に登場する水軍の使う三種類の船の模型や武器などが展示されており、小説をよりリアルに感じることができました。


新舞子沖の大タコとキス釣り

2017-08-22 12:45:53 | 釣り


昼間の暑さと強風を避け、早朝、知多市の新舞子ボートパークからボートを出しました。タコとキスとマゴチ狙いで新舞子沖に向かいました。



タコエギでタコ狙い、青虫の餌でキス狙い、ジグヘッドにラバーワームでマゴチ狙いで三本の竿を準備しました。



空は曇りで風も微風でしたが、潮の流れが早く、いつもより重いオモリを使い流してみました。早々、型の良いキスが釣れました。



次に、大きなアタリがあり、何かに引っかかったようなタコ独特のもので、慎重に取り込み、1kgもある大ダコでした。2時間ほど流し釣りをしてましたが、風が出てきたのでボートパークに戻りました。今夜のオカズには十分な釣果でした。




飯田市 旧小笠原家書院

2017-08-21 18:30:12 | 城・歴史


飯田市にある旧小笠原家書院に行ってきました。ここは松尾小笠原氏の一族で江戸時代に入り徳川家康から旗本として伊那地区を治めるよう命ぜられ居館を当地に建て、その一部が国の重要文化財に指定され保存されています。裏山が城山でそれを含め城郭遺跡になっています。



敷地内には、有名な建築家が設計した小笠原資料館があり新旧のコントラストが絶妙です。資料館には小笠原氏に関連する資料が見れます。





書院の内部も見学が可能で資料館の方が詳しく説明して頂けます。当日は、一人しか見学者がいなくじっくり見て回れました。




飯田市 松源寺と松岡城跡

2017-08-20 17:32:34 | 城・歴史


飯田市にある松源寺に行ってきました。ここは、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場した直虎の許嫁であった井伊直親が今川氏から身を守るため一時、避難した寺として有名になりました。



ちょうど訪れた時もバスが一台止まっており、タイミング良く、一緒に住職の井伊氏関連の話を聞くことができました。この寺は、松岡城跡の敷地内にあり、城跡も見て回りました。



この城は、天竜川の河岸段丘のヘリに造られた城であり、地続きからの進入を防ぐため第5の堀まであり、いずれも綺麗に残っています。主郭跡からは天竜川が望めます。




コロネット ランチタイムコンサート

2017-08-19 17:40:01 | 音楽


岡崎市シビックセンター コロネットで開けたランチタイムコンサートに行ってきました。今回は、「二重奏の魅力 チョロとピアノが奏でるドイツ、ロシアの名曲たち」と題し、チョロ 北垣彩さんとピアノ 山崎早登美さんのコンサートでした。この企画は、若手音楽家を応援しようというもので北垣さんは東京藝術大学の現役の学生です。



このコンサートの後に東京藝術大学准教授 中木健二氏による小中学生に対する公開レッスンが開かれました。


飯田市 鈴岡城

2017-08-18 17:56:21 | 城・歴史


飯田市にある鈴岡城跡に行ってきました。ここは、小笠原氏一族で鈴岡小笠原氏が居城していたところです。今は、鈴岡城跡公園として綺麗に整備されています。



主郭・ニノ丸や土塁・堀も残り城の全体の姿が良く分かります。





主郭跡に立つと南アルプスがのぞめるはずですが、あいにく雲がかかり見えませんでした。


飯田市 松尾城

2017-08-17 17:35:09 | 城・歴史


飯田市にある松尾城跡に行ってきました。ここは、信濃国守護の一族である松尾小笠原氏が居城したところで現在、長野県の県指定史跡になっています。主郭・ニノ丸跡や土塁・堀が綺麗に残っています。





川を隔て同じ小笠原氏一族の鈴岡城が見えます。 武田信玄が当地を攻めた際、松尾小笠原氏は、武田方につき、隣の鈴岡城を攻めています。今は橋一つで繋がっており、どのように対峙していたのか想像できます。