今日も暑いですね。
夏休みだから お子さん連れて お出かけっていう方たくさんいると思うけど
なんだか ニュースで知るのは 痛ましい事件事故ばかり。。
最近 雨が降れば洪水になるし(四国の友達が心配です~大丈夫かなぁ)
中州に取り残された親子が川を四駆で渡ろうとして流されたという事故を知ると 残されたお父さんは
この先どうやって生きて行かれるんだろうと 想ってしまう
この前の
佐世保の事件も 痛ましくて ここに書くのもどうかと思ったけど。。
中高校生っていう 一番の思春期は 親の寄り添い方って
とても重要なのだと思う
白い記憶。。
私のブログを昔から読んでくださっている友達は何度も書いているから知っていると思うけど
私は
中学の時 ほんのささいなことから いじめの標的にされて
不登校 留年の過去がある
そのささいなことも覚えているし いじめていたこの顔も名前も憶えているのだけど
その
教室で独りぼっちだった 数か月の記憶が ない
思い出そうとしても
あまりに辛かったのか 想いだそうと思っても 想いだせない。。。真っ白だ
前にこのことを書いたとき
記憶がないっていうのは思い出したくないからだねってコメントをいただいたことがあるけど
きっと
そのとき 学校で座っていても 一人の自分を 自分自身が信じられず
受け入れられなくて
違う自分を存在させてそこで 頑張っていたのだと思う
だから 記憶が真っ白なのかな。。
不登校になって 1か月
死にたいとか 消えてなくなりたいとかたくさん考えていた
仕事をしている両親に 嘘をついて暮らしていた
~行ってきます~
ちゃんと朝は 鞄をもって外に出て 登校していたけど 公園で
時間の過ぎるのを待っていた
だから
数か月後
担任の先生が 家庭訪問で 訪れたとき
学校に 来ていないことを知った母と父。
あの 驚きと悲しみと
そして一番が この子はどうして こんな子になったんだろうっていう
残念な 諦めたような顔をしたのが 忘れらない。
子供は
親から 残念だと思われる
どうしてこんな子になっちゃったの?っていう言葉が 一番 胸に刺さることを あのとき 知ったのかもしれない
そして
親は
先生と 長い協議の末
一人娘の私を
勇気をもって決断して ある静岡の養護学校(不登校の子や病気で就学できない子が入学する)ところに
入れることにしたのだった
そこには
たくさんの小学校から 中学3年まで 色々な子がいて 親から虐待を受けていた子もいて
同じ寮に 暮らしていた。 ・・・6人くらい1部屋だったと思う。
そこで
私は 色々な感情を 持ち始めた
それまで
一人っ子で 先輩との付き合い方 下の子の面倒 を知る由もなかった私
集団生活の中で
生活するのには たくさんの我慢や身のこなしを覚えていくしかなかった
いかに 自分を出して
認めてもらって 仲良く暮らして行けるか。。
今思えば ここで 今の私の人格が作られたように思う(笑)
それは今の私の 財産になっている
不登校の原点の・・
好きだった友だちが そばから離れてしまったこと
些細な出来事
人のせいばかりにしていたことが
ここで暮らして数か月して
自分の 人を受け入れない 内気な性格が要因していたこと いろいろ。。
辛い時間でもあったけど
友だちを作る事の大事さ
人を信じたり 愛したりすること
留年した1年で 自分自身で 知ることが出来たのかもしれない
そうして
また
元の中学に 一年留年してもどったときは
性格が かなり変わって(笑) 部活にも入り( いじめた同級生が先輩の部活だよ)
勉強も頑張って 友だちもたくさんできて
今がある
もう
アラフィフで(笑)
こんなこと 忘れてもいい記憶なのだけど(笑)
今の時代に生きている 子供たち
こうした いじめや 陰湿な事件がおこるたたびに想いだす
あの時
一人娘を 勇気を出して あの学校に送り出した 両親もすごく悩んだんだろうなとか・・
1年会えないからね。
親として
子供が
一番必要な時にそばにいてあげることも大事だけど
子供が
何かかから抜け出したくて あえいでいるときに
道を促して背中を押してくれることも ありがたい
なによりも
いつのときも 子供から逃げないで 見つめてあげることかな。
いつか
子供は
一人で歩いていくんだもの。
暑い夏
あのとき
養護学校の国語の先生が
初めてほめてくれた俳句
~ ふと見れば
木々の緑の優しさに 忘れし笑顔 思い出す君 ~
・・・君というのは自分の事だったんだと思う。
いつも
暑い夏ベランダに出て 空を見上げると
あのときがあったから 今があるなあって お母ちゃんに感謝してる(笑)あはは。
白い記憶
ひとりぼっちの記憶は今も思い出せないけど
今の私は
この白い記憶とともに あるんだ。 想いだせなくても大事な記憶。
心が育つように
痛ましい事件や事故が起きない世の中に
なってほしいと思います。
そうそう。。この前の映画~
好きっていいなよ もただただきゅんとする映画ではありませんでした。
メッセージ性もあって とっても素敵な青春映画でありました。 また なにか見に行こうっと(笑)
今週も頑張ろうね~
~この記事をアップした後
すぐに コメントでブログ友達のnorinorimiffyさんが
この歌を送ってくれました。ありがとうございます。 記事に張り付けさせていただきました。
今 一歩踏み出せなくて
悩んでる子供たち お母さん
きっと
明日はある
信じて。。少しずつ 歩いて行ってくださいね。
アンジェラ・アキ 『手紙~拝啓 十五の君へ~』
ただそれだけ、、、
読んでいて涙が止まらなかった。
わたしの娘達も実はいろいろありました。
子供は親に心配かけまい、悲しませまいとして、辛い事言わないんです。
koumamaも大変だったけれどご両親もすごかったですね。
感動しました。
人生はいろんなことがありますね。
わたしもいろんなことがあって苦しんでいます。
でも考えてみると幸せな事もたくさんある。
なるべく幸せに気づける人間でいたいなぁと思います。
今のkoumamaの人生は過去があっての人生だから、白色は消せないけれど受け止めて、これから楽しい人生を送ってくださいね。
わたしも人生についていろいろ考えてみますね。
お友達思いで明るくて優しいkoumamaが今そんな素敵な人なのはそういうことも経験したからなのでしょうね
ご両親の決断 素晴らしいですね
本当に娘のことを思っての決断だと思います
ご自分たちの体裁だってあっただろうに そんなことより娘のことを最優先した・・・とても強いご両親なのですね
見習いたいと思いました
何故かスイッチバックという言葉が浮かびました。
我が家もトンネルの中、真っ只中です。
勇気を持って静岡に送り出してくれたご両親。
それに応えた15~6歳のまだ幼さの残るこぅまま。
両者ともに、言葉にできないくらいの辛さがあったことでしょう。
生きていてくれてありがとう。
そして・・・よく頑張ったね。
集団での生活は今のこぅままが出来上がるための、何物にも変え難い必然的な経験だったのかもしれない。
我が家も山村留学などを考えたけれど、拒否されました。この家が唯一の居場所のようです。
今 たくさんお話したい気持ちです
佐世保の事件は わたしも聞くたびに胸が痛みます
どちらの子も 救えなかった
私たち大人の 責任を考えます
記事を読み終わった時
アンジェラアキさんの
手紙~拝啓 十五の君へ~の歌を思い出しました
ここへ 貼り付けられたら良いのだけれど
やり方が分からないので
また よかったらアクセスしてくださいませ
https://www.youtube.com/watch?v=erGCAu_hFqM
よかった~
すみません
今 その事実を知った 私です
koumamaはよく頑張ったしご両親が一人娘を手放したのにもかなり悩まれたと思う
昔から陰湿ないじめは存在していましたね
よく頑張ったね
今のkoumamaの優しさはたくさんのことを乗り越えた結果だね。
このブログの記事が世の中で悩んでいる親御さんに届くといいね。
ああ koumamaさんってだからそうなんだわって・・・
文章でさえ思いやりを感じる人柄がこんな所で培われていたんですね^^
私こうして文章ではひどく人懐っこい感じでしょう?
実は超人見知りです^^;
学校にも勤めていましたが 自分の性格に合わなくて辞めました
今のように自宅で教えているのが一番です
それでも新しい生徒さんが入ると3月は緊張してます(>y<) ぶっ!
生徒さんの人柄が掴めないので 遠くから石をためらいがちに投げている
それで反応を見るってそんな感じです^^;
お店だって知っている所しか行かないし
ジムでも出来るだけ誰ともしゃべりたくないし^^;
ようこんな風で「うたごえの会」やれてるなとァハハ・・(・∀-`;);
こんな私なのでkoumamaさんのこの記事に激しく反応いたしました^^
親の決断ってどれだけ重要かと今更思いますね
きっとkoumamaさんの親御さんは賭けるような気持ちで
送り出したのではないでしょうか・・・
私にはきっと出来なかっただろうと思います^^;
ちゃんとその親御さんの愛情を受け止めてお父様を大事にされているのに
なるほどと合点がいきました(うωん)(ウωン)
よくやった!と親御さんに時空を超えてエールを送りたいと思います
""ハ(^▽^*)パチパチ♪
理由は、それぞれ違うんですけど、私たちから見ればたいした事じゃなくても本人には大問題だったようです。
無理に学校に行かなくて良いよって言ったら一週間ほどで行くようになりました。
いじめた?子供も自覚して泣いて謝ってくれたそうです。
・・・苛めてるって自覚がない事もあると思います。
中学校は、部活の問題でした・・・柔道部の先生は、もったいないので続けなさいと言ってたんですけど・・・親としての希望で止めさせてもらいました。
一番大事なのは、世間体より子供ですね〔自分も含む〕
心が限界を超えると元に戻れなくなるような気がしてます。
いろんな経験で強くなれると信じると希望も出てきますね。
小2時にクラスのほとんどの男子から、仲間外れにされ、4,5人の男子に囲まれ「うざい・しね・きえろ」と言われていたことを隠していました。
気が付いてくれたのは、登校班の班長さんで、昼休み、囲まれて泣いている息子を何度も助けてくれて、私に教えてくれました。
鬼ごっこをしていて、鬼になったとたん、いじけて「抜ける」という子供は、子供社会では許されないの存在なのでしょう
息子に小学2年の記憶がないです。
そして今も、友達と深くかかわるのが苦手なようで、一歩引いてしまいます
自分から扉を閉じています
部活の友達とも、深くかかわらず、夏休みなのに
部活以外は家でゲームです。
そういう自分をわかっているようで
「自分で閉めた扉は、自分で開けないと」と言っていますが、できないようです。
どこかで、自分で扉を開ける時期がくるのを
親は見守るしかないですね
昔からいじめはあったなあ。x±x
忘れられない傷と記憶、これはいじめた人にはわからないですよね。^±^;
まあでも、許す心が生じたとき、そのいじめられる嫌な気分も卒業できるのかなと。
忘れること、許すことってのも、必要なのかも。
昨日、TBSの「ラジオシアター文学の扉」で蛍ちゃん、いや、中島朋子さんが「ジェイン・エア」の解説でも言ってました。
http://www.tbsradio.jp/tobira/