真言宗を開いたの弘法太師であることはいうまでもない。
わたしは、お寺参り(五十代の後半)をするようになってから、
大師さまってなんと偉大な方だなあと思ったのである。
弘法大師は称号をもらうまでは、空海という名前であった。
空海は仏法の世界を求めて悟り,修行をしたのである。
若い時、それに満足せず、中国(唐)へ行った。
そこでは、 密教をさずかり、空海は短い期間に習得するほどの天才だった。
日本へ帰ってきて、四国を中心に全国を行脚をして、真言宗をひろめたのである。
空海は野山をかけめぐり、悟り、修行をするのがすきだったかも。そして
仏法の世界への追求は無我夢中だったかもしれない。
最後は高野山に信仰の道場を持ち、
最後まで、悟り、修業に勤めたお大師さまである。
修行のすきだったお大師さまだったから。「同行二人」の言葉にあるように、いつもお大師さまと一緒に参る気持ちでということだとおもう。
わたしは、まだ、四国八十八カ所は途中であるので。また参りたいとおもっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fd/a1289024cc3a5da8ff91a0bc3d81337a.jpg)
これは、西国三十三カ所の納経帖、伊賀四国納経帖である。
五十代後半にお参りしたものである。
もう、100寺以上お参りしたよ。母も健在なのもこのおかげかも。
わたしは、お寺参り(五十代の後半)をするようになってから、
大師さまってなんと偉大な方だなあと思ったのである。
弘法大師は称号をもらうまでは、空海という名前であった。
空海は仏法の世界を求めて悟り,修行をしたのである。
若い時、それに満足せず、中国(唐)へ行った。
そこでは、 密教をさずかり、空海は短い期間に習得するほどの天才だった。
日本へ帰ってきて、四国を中心に全国を行脚をして、真言宗をひろめたのである。
空海は野山をかけめぐり、悟り、修行をするのがすきだったかも。そして
仏法の世界への追求は無我夢中だったかもしれない。
最後は高野山に信仰の道場を持ち、
最後まで、悟り、修業に勤めたお大師さまである。
修行のすきだったお大師さまだったから。「同行二人」の言葉にあるように、いつもお大師さまと一緒に参る気持ちでということだとおもう。
わたしは、まだ、四国八十八カ所は途中であるので。また参りたいとおもっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/fd/a1289024cc3a5da8ff91a0bc3d81337a.jpg)
これは、西国三十三カ所の納経帖、伊賀四国納経帖である。
五十代後半にお参りしたものである。
もう、100寺以上お参りしたよ。母も健在なのもこのおかげかも。
私が幼い頃、何度か高野山へ行った記憶があります。また、父は数年に分けて四国八十八ヶ所を全て参拝しました。今でも自宅には、すげ笠や金剛杖を保管しており、大切な日には『お納経軸』を出します。
我家は特に熱心な仏教徒ではございませんがお彼岸やお盆は大切に考えております。私が親より教わったように、子供もいつの間にか仏壇に手を合わせ、畑で取れた初物や珍しいお土産等を頂いた時には仏壇にお供えするようになりました。私達大人のように理屈や道理に拘らずに無心で手を合わせる子供の心は純粋だと感じております。
ある人が言っておりました。日本人は多宗教族だと。お正月は神社に初詣に出掛ける『神道』で、お彼岸やお盆には『仏教徒』となり、クリスマスには『キリスト教徒』になる。我家も全くその通りです。面白いですよね。
感謝しています。
真言宗である以上、四国八十八箇所は、
命おわるるまでに満願したいとおもっています。
やっぱり、歳をとってきたのか、お大師さまは心の支えになっています。