牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

1月3日(金) 「タイムマシン」 ウェルズ著  光文社古典新訳文庫

2014-01-03 08:26:36 | 日記

 本書はタイムトラベル小説の古典作品(1895年発行)ということなので読んでみた。著者のウェルズは進化論者だが、これくらい徹底されているとそれほど嫌な気はしない。

 主人公のタイムトラヴェラーは自分で発明したタイムマシンで何と80万年後(正確には80万2701年)の世界へ行く。

 どれほど人類が進化しているかと思いきや、人類は退化していた。生活条件がこれ以上ないところまで進んだ結果、安全が約束され、人類が競争することがなくなったからだ。だんだんと小柄になって、体力も知力も衰えていく一方なのだ。身長は約120cmほどになり、無気力になり、男女の役割分担もなくなっていた。

 しかし、生きていた人間は彼らだけではなかった。もう一つの人種がいた。彼らは何と地下に追いやられ、地下に住んでいた。前者がイーロイ人で、後者がモッロク人で半人半獣のようだ。本からの引用。「階級間の溝が広がって行きつくところまで行くと、地上は「持てる者」ばかりが暇に任せて快楽と耽美に明け暮れる世界になる。「持たざる者」である労働者は地下に埋もれて、ひたすら強いられた環境に適応するしかない。」

 しかし、タイムトラヴェラーはその世界に今進行中の出来事を見た。それはイーロイ人とモッロク人の立場が逆転しようとしていることだ。


 そのようにして、著者は資本家と労働者の格差が次第に広がっている社会を分析している。私は鋭い指摘と分析だと感じた。ある意味現代社会はそのようではないだろうか。弱い者たちは地下(世の中の隅っこ)へ追いやられ、強い者たちが弱い者たち(ときには中産階級の人たちをも含む)を搾取して地上の生活を満喫する。しかし、私の理解では進化論の考えはそれで良いのだと思う。すなわち弱肉強食だ。弱い者(貧しい者、病気の者など)は滅びるべきだという思想だ。それが徹底されたとき(ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺など)に人間は耐えることができるだろうか。自分が強者でもいつ弱者に落ちるか分からないのだ。進化論を信じていると言いながら、弱者を擁護することは論理的におかしい。それは人間にとって社会を弱くし、悪くすることだ。でも弱者を助けています、という方がいる。その本当の動機は何だろうか。私は自己満足ではないかと思っている。それが論理的な帰結だ。

 でも創造論は違う。神が一人ひとりに目的を持ち、ユニークな存在として創られたと教えている。皆に価値がある。すなわち弱い者にも強い者と同じだけの価値があるのだ。私は、傲慢に聞こえるかもしれないが、思想的に考え論理的に言って、本当の意味で弱者の側に立てるのは、創造論を信じる人たちだと確信している、創造論を信じている人たちも自己中心的であるが、進化論者と何が決定的に違うか。それは一人ひとりを見る目が根本的に違うのだ。人間的には変わらないが、神の目で見ることができるという一点で違うのだ。実はこれが非常に大きい。進化論者にとって弱者たちは助ける存在というよりも、自分たちの必要(経済的必要、心の満足など)を満たす存在になってしまう可能性が強いのだ。多くの日本人はその矛盾に気づかないで、もしくは何も考えないで生きているのではないだろうか。


 22世紀のネコ型ロボットのドラえもんは「タイムマシン」を使いこなして過去や未来へ行っていたが、また映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でも博士たちが過去と未来を行き来していたが、このような時代はさすがに来ないのだろうなあ。