
西福寺境内の周りと墓地群の上の山の木が切られてすっきりとなりました。これまではうっそうとした雰囲気の中にお堂と墓地群がありました。ところが杉林が切られて辺りの雰囲気は一変しました。湿気はなくなり、明るくはなったもののその環境はがらりと変わってしまいました。お堂やお墓には、たぶん、よかったり悪かったりになると予想しています。
そこで、この機会にこの墓地の五輪塔群を再度調査してみようと思ったのです。人吉球磨の郷土の歴史を探求しておられる求麻郷土研究会があります。この会が平成2年にこの墓地の調査をしておられました。記録も残されていました。この調査によると、碑銘がある石碑が24基、無銘または判読できない石碑13基の合計37基あるとあります。
この記録をワープロで打ちなおしました。連休明けてから墓地掃除もかねて再調査をしようと思っています。歴史が好きな方や地域の方に呼び掛けての調査を計画しようと思っています。平成2年に調査した結果をプリントして参考にしたいと思っています。
江戸時代のものが多いのですが、一番古いものは五輪塔で、「永享五天潤七月」と「快久/永正十五戌寅年」と、どちらも地輪に刻銘してあり、それが重ねてあるものです。永享5年は(1433年)、永正15年は(1518年)です。
お墓の掃除や調査などで嫌われる方もおられますが、ボランティア活動とむかしを知るということで多くの方に参加されることを期待します。期日が決まったらこのブログでも紹介します。
今日は暑いといっていいくらいの昼間でした。
今日の天気(

