ほぼ衝動☆日記

戦略コンサル修行中~東京の中心でコソコソ暮らすのにはもう飽き飽きです・・・

憎悪の世紀

2008年01月05日 12時26分17秒 | よみもの
本屋で見つけて衝動買いした本。分厚い本って場所は取りますがすごく惹かれるものがあります。

この本は、20世紀になぜ世界的に戦争が頻発し、大量虐殺が行われるようになったのかを解き明かそうと取り組んだものです。
体系だてて論じた本かと思いきや、そうではなく20世紀の歴史を順を追って、そういう殺戮が起こった背景に触れながら詳述しているというものです。

憎悪の世紀 上巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか (1)
ニーアル・ファーガソン,仙名 紀
早川書房

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著者の基本的な考え方としては、諸民族を束ねてきた帝国が衰退し、経済的なボラティリティが高まり社会が混乱したタイミングで、諸民族が入り混じった地域(特に東ヨーロッパ)で、ある民族が他の民族に対して虐殺を目論む、というのが20世紀型の戦争や殺戮のパターン。新しく登場した全体主義的帝国のぶつかり合いというのも背景にあります。スターリンやナチスに限らず、あらゆる場面でそのような出来事が繰り返されてきました。

昨日まで隣り合って協調して暮らしてきた民族同士(たとえばドイツ人とユダヤ人)が、あるタイミングを境に非人間的な殺戮を開始する、その前提となる人間性(猜疑心とか嫉妬とか麻痺とか)は、21世紀になった今でも抜本的に進歩してはいません。むしろ同じような条件がそろえば、人間はいつでも同じ歴史を繰り返すことに戦慄を覚えます。ですから、20世紀はなぜそんな時代だったのか、と振り返るときには決してそれは遠い昔の他人事ではなく、とても今日的な課題です。

そうして考えたときに、逆説的かもしれませんが、「民族自決」「民主主義」というお題目は理想としてありながらも、今日においてアメリカに代表される「帝国(サステイナブルな民主主義システムを伴った)」という存在は、社会の発展途上期(仮に発展しているとして)においては世界に秩序をもたらすための必要悪(あくまで悪ですが比較的マシな悪という意味で)として機能しているのかもしれないとも思ってしまいます。いわゆるパックスなんとかというヤツです。

いやそれにしてもギリシャ・ローマ時代と比較してみると、人間って進歩してませんね。もろいです、世界。
コメント
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