ほぼ衝動☆日記

戦略コンサル修行中~東京の中心でコソコソ暮らすのにはもう飽き飽きです・・・

70点の方が100点よりも良いのだろうか?

2007年01月08日 19時18分03秒 | 東京の中心で、コソコソ暮らす
今週号の日経ビジネスは東京特集。なかなか面白い記事が揃っていたが、その中でも僕に刺さったのが、LEON編集長による東京論。

「ミーハーでアイデンティティーのないところが、逆に東京の面白さでもあるんです。100点のモノがあるフィレンツェも確かにいいけれど、飽きる。100点はないけど70点の及第点のモノならいくらでもあるという東京の方が面白いでしょ」

東京は浮ついた田舎者市場、と日経はこの記事を締めくくっている。本当に僕もそう思う。僕自身、地方都市のニュータウン中流家庭で育って東京にやってきたので、70点のものがあふれている東京の面白さは十分に理解できる。東京にやってきたばかりの頃は、よく「調子に乗っている」と注意されたものだった。
そういえば僕が以前の記事で書いたように、ここんとこの「プレミアム」流行りも、大衆向けの高級感配給的な仕掛けの域を出ないし、中流階級にとっては、それで十分に満足できてしまったりするのだ。

ただ、100点のものがない(もしくは70点のモノに囲まれて埋もれてしまった)街というものが、いかに薄くて寂しいものかということを最近になって、特にパリから帰ってきて感じるようになった。
パリは50点以下の不合格の部分もたくさんあって、毎日何かしら不愉快な思いをせずにはいられないのだが、それでも、また帰りたいと思わせる不思議な魅力がある(長期間は遠慮しとくけど)。それが本当に豊かで深い街だと思うのだがどうだろうか。

僕は日本に来る外国人には、六本木界隈で外国人同士つるんで外人好きの日本人女性を追い回してばかりおらずに(それも勝手にやってもらって結構なのだが)、京都あたりで(もしかしたら東京でも)、日本が誇る100点のモノを発見して帰って欲しいと思う。

70点のものは消費の対象、100点のものは創造の対象、と僕は思う。100点のものは創り手ばかりでなく、受け取る側にも創造することが求められるのだと思う。それが単なるウンチクでない、本当の教養というものかもしれない。
僕は東京に対して何の愛着も感じない田舎モノで、70点消費文化の担い手なわけだが、100点のものをもっと東京が生み出せることになると良いと願っている。それは、受け取る側であるわれわれ自身の手にもかかっている。
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