政治的脅威や日中の違い、または儲ける視点から書かれたいわゆる「中国論」を脱した中国の本当の姿を知りたいと思い、手に取った本です。
アメリカ人ジャーナリストが、万里の長城に沿って西の端までドライブした旅行記、北京郊外の昔ながらの生活を続ける村に暮らしながら目にした中国の変化、そしてまさに中国の成長のドライバーである工場に密着した記録、と3部構成で中国のいまを描いています。非常に面白いです。
世界のいろいろなところに旅をして(もしくはテレビ番組を観て)よく思うのは、結局、人間や人間の生活はどこにいっても(極度に貧しい暮らしをしている人たちや原始的、もしくは周りから隔絶された生活をしている人たちを除いて)、お互いが理解しあえないほど大きく違うわけではないということで、この本を通しても同じようなことを感じます。国ごとの違いよりもそこに暮らす人たちの中で多様性の方が大きいということです。
私たちはつい、なになに人は・・・、とか、コーラとジンでアメリカ人、とか、簡単にくくってしまいがちで、その方が理解した気になれて腹落ちも良いのですが、目の前にいるひとの個別性に触れて理解するということがなければ本当の理解につながらないということですね。
最近、共通する性質をくくりだして描写するベクトルと、個別性を理解するベクトルとの間でのバランスがすごく大切だと感じます。コンサルをやっていると特に。
疾走中国 ─ 変わりゆく都市と農村 | |
クリエーター情報なし | |
白水社 |
アメリカ人ジャーナリストが、万里の長城に沿って西の端までドライブした旅行記、北京郊外の昔ながらの生活を続ける村に暮らしながら目にした中国の変化、そしてまさに中国の成長のドライバーである工場に密着した記録、と3部構成で中国のいまを描いています。非常に面白いです。
世界のいろいろなところに旅をして(もしくはテレビ番組を観て)よく思うのは、結局、人間や人間の生活はどこにいっても(極度に貧しい暮らしをしている人たちや原始的、もしくは周りから隔絶された生活をしている人たちを除いて)、お互いが理解しあえないほど大きく違うわけではないということで、この本を通しても同じようなことを感じます。国ごとの違いよりもそこに暮らす人たちの中で多様性の方が大きいということです。
私たちはつい、なになに人は・・・、とか、コーラとジンでアメリカ人、とか、簡単にくくってしまいがちで、その方が理解した気になれて腹落ちも良いのですが、目の前にいるひとの個別性に触れて理解するということがなければ本当の理解につながらないということですね。
最近、共通する性質をくくりだして描写するベクトルと、個別性を理解するベクトルとの間でのバランスがすごく大切だと感じます。コンサルをやっていると特に。