渋谷のBunkamuraで、フランス人画家ルドンの展覧会をやっていたので覗いてみました。
ルドンの黒~眼をとじると見えてくる異形の友人たち
本の挿絵を中心に幻想的なモノクロームの絵がならび、それなりに面白かったのですが、欲を言えばモノクロームであることを超えて伝わってくることがなかったのがイマイチ物足りなかったところです。本当に力のある作品は、カラーで描かれた作品よりも多くのものごとを(モノクロであるからこそ逆に豊かに)伝えるのではないかと思うからです。
エラそうなことを述べましたが、それなりに面白いので渋谷に行かれる機会があればぜひ。
それよりも、日本のミュージアムは、作品自体よりも見物客の方が興味深かったりすることがよくあります。フランスの場合はわりと普通の人たちも多く美術館に訪れているので特段違和感を感じることはありませんが、日本の場合は、「ミュージアムにわざわざ足を運ぶセグメント」の個性が際立っている感じがします。「わざわざ」感によってスクリーニングにかかっているのでしょうか。
周りの見物客を眺めながら、「このカップルはなぜこの展覧会をわざわざ選んでやって来たのだろうか。」とか、「あの人はずっと同じ部屋をぐるぐる回って一体何を考えているのだろうか。」とか、想像を広げ出すともう作品どころではありません。
ちなみに僕がミュージアムを訪れる理由は、ただ単に新奇なものに触れるのが好きなだけの話です。だから写実的な作品はどんなに上手でもあまり心が動きませんし、別に新奇でありさえすれば絵でも写真でも彫刻でも見物客でも何でも良いのです。
何か仕事に対するインプリケーションがあるのかといえば、特にありませんが、何か気が付かないうちに役に立っているのかもしれません。
ルドンの黒~眼をとじると見えてくる異形の友人たち
本の挿絵を中心に幻想的なモノクロームの絵がならび、それなりに面白かったのですが、欲を言えばモノクロームであることを超えて伝わってくることがなかったのがイマイチ物足りなかったところです。本当に力のある作品は、カラーで描かれた作品よりも多くのものごとを(モノクロであるからこそ逆に豊かに)伝えるのではないかと思うからです。
エラそうなことを述べましたが、それなりに面白いので渋谷に行かれる機会があればぜひ。
それよりも、日本のミュージアムは、作品自体よりも見物客の方が興味深かったりすることがよくあります。フランスの場合はわりと普通の人たちも多く美術館に訪れているので特段違和感を感じることはありませんが、日本の場合は、「ミュージアムにわざわざ足を運ぶセグメント」の個性が際立っている感じがします。「わざわざ」感によってスクリーニングにかかっているのでしょうか。
周りの見物客を眺めながら、「このカップルはなぜこの展覧会をわざわざ選んでやって来たのだろうか。」とか、「あの人はずっと同じ部屋をぐるぐる回って一体何を考えているのだろうか。」とか、想像を広げ出すともう作品どころではありません。
ちなみに僕がミュージアムを訪れる理由は、ただ単に新奇なものに触れるのが好きなだけの話です。だから写実的な作品はどんなに上手でもあまり心が動きませんし、別に新奇でありさえすれば絵でも写真でも彫刻でも見物客でも何でも良いのです。
何か仕事に対するインプリケーションがあるのかといえば、特にありませんが、何か気が付かないうちに役に立っているのかもしれません。