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風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

小さなオルガンを作る 2

2008-03-12 20:41:22 | オルガン
まず、オルガンの部品作りをするには、図面が必要。

製図板なんて無いので、寮の部屋のちゃぶ台が作業台。
大学ノートに、定規で図面を引きました。

これは横の断面図。  これは正面の断面図。
   

これを基にして、あらかじめ買っておいた木の板を切っていきます。
機械はないので、ほとんどが手作業。
道具も限られていますし、すき間のないように材料を加工するのは、けっこう手間がかかります。

こうして、加工した部品がこれです。
穴あけはさすがに出来ないので、製糖工場内にあったボール盤を借りました。
四角い穴は鍵盤用です。一度ボール盤で開けて、それからノミで彫りました。
丸い穴にはパイプが入ります。




皆、「この人は何を作っているのだろう?」と不思議だったに違いありません。(笑)

弁の振れ止めピンは、真鍮釘です。


パイプの歌口加工は初めてだったので、まず小さいパイプを試作しました。
これで色々試して、音が出る歌口の高さを確かめました。


毎日仕事の後にコツコツと作って、ようやく部品が揃いました。


小さなオルガンを作る 1

2008-03-11 21:31:56 | オルガン
過去に、自分でパイプオルガンを作ってみたくなり、挑戦した事があります。
その手始めのお話。

沖縄で、製糖工場の期間工をしていた時の話になります。
蒸し暑い工場の中で、約3ヶ月間無休日で、12時間の肉体労働勤務なので、仕事が終わったら、出来るだけ休みたいところなのですが、何度か来ると気持ちに余裕が出てきます。

大抵の人は、仕事の後は、酒を飲んだりして過ごす事が多いのですが、自分は何か作りたくなったのですね。

まあ、教会にあるような、あんな巨大なのは無理なので、おもちゃ程度の物を作ってみることに。

まずはアイデアスケッチです。
オルガンとして機能する最低限の部品構成を考えました。
風を起こすフイゴがあって、パイプがあって、風箱と弁と鍵盤がある。

工作の手間と材料を節約する為、あーでもない、こうでもないとけっこう考えました。

 

そして、最終的にまとめたのがこのスケッチ。


音域は、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラの6音。
キラキラ星が弾ける音域です。

これを基にして、定規で大きさを決めていきました。
弁や鍵盤などは、箱とパイプの大きさを基準にして決めていきました。

スケッチにもあるように、パイプは木管。
なぜかと言うと、金属管より木管の方が工作が簡単だからです。

弁を押さえるバネをどうするか。
いろいろ検討して、適当な物はないか探し回って、その結果、安全ピンの巻いている所を流用する事にしました。

いちばん困ったのが、空気の気密を保つための革の調達でした。
沖縄には、暮らしの中で、革を使う機会が無いようなので、全く手に入りません。

ゴムとかビニールなどの代用品も考えましたが、やっぱり革で気密を保ちたいと思い、以前お世話になった須藤オルガン工房に手紙を出して、分けてもらえないかお願いしました。

そうしたら、ありがたい事に、十分な量の革を送ってくださいました。
今でも感謝しています。

こうして、製糖作業の終わった後に、毎日コツコツと製作していきました。

オルガンとの出会い

2008-03-06 21:25:24 | オルガン
自分が、パイプオルガンに興味を持ったのは、小学生の頃だったように思います。

ただ、その頃は、テレビなどのバックミュージックやCMなどで、サラッと流れていた音色がきれいだなと感じていた程度でした。

NHKの「ウルトラアイ」だったか忘れましたが、番組でパイプオルガンのパイプと言う物を初めて見たように思います。
多分日本のオルガンビルダーだと思うのですが、出演されていたのが誰だったのかは分かりません。
その時に、金属パイプの材質が、錫と鉛の合金だと聞いたのを覚えています。

それから中学生になり、音楽鑑賞でバッハの小フーガト短調BWV578を聴いて、さらにオルガンに興味を持つようになりました。

当時は最新の映像機器だったLDで、オルガンの映像を見ながら聴いたので、それだけでも感激でした。
できればパイプオルガンを生で見たいなと思いましたが、中学時代はそれまで。


高校に入り、オルガンに対する興味はさらに深くなっていきました。
高校入試の合格のご褒美として、ヘルムート・ヴァルヒャが演奏する、バッハのオルガンレコードをおねだりしたものです。
これは、今でも大事に持っています。


町田の桜美林大学に、パイプオルガンが出来たらしいというウワサを聞き、さらにタブロイド版の地元新聞の3センチ角ほどの小さな記事に、お披露目演奏会があるという事が書かれていたのを見逃しませんでした。

これが自分の生まれて初めての実物のオルガンとの出会いでした。


2段鍵盤にペダル付きで、決して大きくはありませんが、何しろ実物を見るのが初めてでしたので、とても嬉しかったのを覚えています。

曲目が何だったかは忘れてしまいましたが、確かバッハだったように思います。

これがきっかけで、他の施設にもオルガンがあることを知り、演奏会に行くようになりました。

自分は全く弾いたり音符を読んだり出来ないのですが、オルガンという楽器にますますのめりこんでいきました。
ただ、自分は楽器としてよりは、ビジュアル的な量感とか、装飾、構造的な面に特に関心を持っていました。

授業がつまらないと、ノートとかプリントの裏などに、オルガンの絵を落書きしたものです。

なにか、オルガンに携われるような仕事が出来たらいいなーなんて、漠然と考え始めたのも高校の頃です。
ただ、この時は、絵を描く方が興味があったので、美術系の予備校に通っていました。

専門学校生になり、建築デザインの勉強をしましたが、この時は当然ながらいよいよ就職を現実的に考えなくてはならなくなりました。

この時に、就職活動として何軒かのオルガン工房を訪ねたのが、オルガン作りと触れあう第一歩でした。

宮崎県立芸術劇場の大オルガンの思い出 2

2008-02-25 22:17:49 | オルガン
休憩時間に、木製足場の最上段によじ登り、パチリ。
実はけっこう恐かった。


オルガンが完成に向かっていき、演奏台周りも整ってきました。
オルガンの音色を変えるレギスターの名前を書く作業を頼まれました。

治具を使い、60以上のネームを書きました。
カリグラフィとか好きなので、楽しい作業でした。


完成したラベルをレギスターのノブに貼っていく時は、文字がバラバラにならないよう慎重に。


作業が休みの日に、オルガンの天井に上がり、一人記念撮影。
これは、ホールの客席側に三脚を立てて設置したカメラを、赤外線リモコンで遠隔操作して撮影しました。


オルガン内部で記念撮影。
ペダル鍵盤の大きなパイプが、背後に立っています。


こうして約半年に及ぶ全ての作業が終わり、オルガニストの試奏を聴いた時は、力が抜ける感じがしました。
ああ、これでここでの作業が終わるんだな、みたいな。

宮崎は居心地が良くて、住んでもいいなあなんて思ったこともありましたっけ。

そして完成した姿です。


今もこのオルガンは、宮崎の聴衆の耳に響いています。
これからもずっと歌い続けてほしいと願うばかり。

宮崎県立芸術劇場の大オルガンの思い出 1

2008-02-23 23:30:51 | オルガン
ちょっと思い出話を。

1992~1993年の事でした。

宮崎県立芸術劇場のオルガンの製作に関る機会がありました。

当時の事を思い出すと、今でも胸が一杯になります。

この巨大なオルガンの製作に関れた事は、なかなか得られない幸運だったのかもしれません。


正直なところ、あまりに巨大過ぎて、圧倒されっぱなしでした。

当時、自分は力が無くて、大きな風箱を抱えたり、ひっくり返したりするだけでもヒーヒー言っていたのを思い出します。

オルガン曲を聴いたりするのは好きでしたが、構造や仕組みについてはあまり分かっていませんでした。
そのため、日々勉強でした。

工房で部品が出来上がり、いよいよ宮崎へ搬出となった日の夜は眠れなかった。

自分は第2陣で現場に向かいました。
すでに現場では組み立て作業が始まっていて、自分はとても緊張しました。

ここでも自分は現場の喧騒に圧倒されっぱなしでした。

ケースの組み立てが半ばまで進んだ時の写真です。


楽器と言うよりは、巨大な建築物を思わせます。
ローリングタワーを使って、舞台で組んだ部材をウィンチで引き上げて、オルガンのケースに接着していきました。



半月か1ヶ月後くらいだったでしょうか?
ケースがほぼ組上がりました。
カラーと白黒フィルムを使っていたのでこういう写真もあります。




おそるおそる天井に上がり、ガッチリ組まれたケースから、ホールを見渡すことができました。
かなりの高さがあったし、手すりなどないので、吸い込まれるような感じがして恐かった。

さらに数ヶ月が経ち、パイプが収められました。




木製の足場があります。
正面のパイプの整音に使用されました。
楔、ピン、スノコ、柱から梁に至るまで全て木でできています。
簡単に分解ができるすぐれ物でした。


朝、来ると必ず巨大なケースを見上げていたものです。

4000本以上にも及ぶパイプがこの中に入っています。
一本くらい抜き取っても分からないのでは?と思うでしょうが、そうは行きません。
どれを取っても大事な部品であり、パイプです。

大きな作業が終わると、後はひたすら整音という調整作業です。
自分は鍵盤押しをしました。

早朝まだ星が瞬いている頃にホールに入り、辺りが静かな時にこの作業は進められました。
何しろ音の質を決める大事な作業ですから、周りに雑音があると、聴き取りにくくなるからです。

この時も随分緊張して演奏台に座っていました。
音量の変化などを聴き分けながら、どうなったかを伝えなくてはなりません。
毎日緊張しっぱなしでした。

こういった積み重ねで、徐々に楽器らしくなっていくのを見ていました。