風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

パンク修理

2008-02-03 14:19:01 | 1996~97原付日本一周
廃車の軽バンで一泊し、翌日、車屋の電話を借りてバイク屋さんに来てもらった。

チューブはズタズタで修理のしようが無いという事で、交換になった。
ついでにチェーンの張り具合とか、チェーンオイルの量の事なども見てくれた。

後輪を手で空転させて、チェーンとスプロケットの摩擦音がマイルドになるくらいがチェーンオイルの適量だそうだ。

おじさん本当にありがとう。

また、一晩廃車の中に泊めさせてくれた車屋のおばさんにも礼を言った。
そうしたら、焼餅を一箱くれた。
本当に感謝するばかりである。


さて、荷物を積みバイクを一路宮崎へ向けて走らせる。
天気が良かったので、寒いけど気持ち良い。

活字が読みたくなり、本屋に入って4冊ほど文庫本を買った。

さあ、あと少しで宮崎だ。

金の残りがだいぶ寂しくなってきているので、旅を急がねば。

延岡・日向を通りすぎ、高岡市の蛇口公園内のキャンプ場に泊まる事にする。
電車がちょっとうるさいが、季節からか、泊まりに来る人もなく、静かだ。

翌日。寒くてシュラフから出たくない感じで、本を読んでいたら時間がどんどん過ぎていく。
と、いうことでもう一泊することにした。
貯金を見て、これからの旅路について考えてみた。

九州から沖縄へ行くには、16000円かかる。
往復で32000円。
これでは、山陰周りではかなり寂しくなる気配。
かなり切羽詰っている。

考えてしまうとどうにもならないので、考えるのをやめた。

そんな焦る心とは全く関係なく天気は良かった。


パンク

2008-02-01 23:18:56 | 1996~97原付日本一周
大分から宮崎に向かって走っていた時だった。

突然、ケツが振られたので、あわててバイクを止めた。


4cm位の錆びた釘が、ブッツリと後タイヤに刺さっていた。
プライヤで抜き取り、チューブを出したら、穴ではなくて、裂けたようになっていて反対側まで貫通していた。
ゴム糊とパッチで傷を塞ぐ。


さあ、これでOKだろうとタイヤを戻し、空気を入れるが、ちっとも膨らまない。
再びチューブを、今度は全部引っ張り出した。
リムに当たっている所のチューブが裂けたように穴が開いていた。

パンクをして、重い荷物を積んだ状態で50mほど引きずったため、チューブが傷んだのだろう。
他にもないか点検したら、小さい穴がいくつもあった。

一応見える所はすべてパッチで塞いで、再び元に戻し、今度は平気だろうと空気を入れたらまたダメだった。
おかしい。
虫ゴム?他に穴があるのか?

時計は16:00を回っている。
日が落ち始め、焦りが出てくる。
チューブの予備は無い。

「バイク屋だな・・・」

あきらめて、近くの酒屋に助けを求めた。
電話をしてくれたが、どこも休みだった。
無理も無い、日曜だったから。

店の人の勧めで、近くの自動車整備場のドアを叩いたが、ここも休みだった。
しかし、ああそうですかと引き下がるわけにもいかず、この近くにテントを張らせてほしいとお願いする。
明日になっても良いから、待つことにした。

そうしたら、店の反対側に廃車が数台あり、この中で寝ればテントより暖かいだろうと言う店の人の勧め。

ありがたく軽のバンに一泊させてもらう事にした。
寝る場所は確保できた。
こんな所でパンクしてしまうなんて。
まあでも仕方無いさ。

雨の中パンクしなくて良かった。
夜になって、車の中でラジオを聴いていたら、雨が降ってきた。

荷室の床のリブがゴツゴツしているが、ぜいたくは言えない。

軽のバンは、良い生活空間になるな、などとうつらうつらしながら考え、眠りに入った。

臼杵

2008-01-27 21:48:19 | 1996~97原付日本一周
自分は歴史が好きで、小学生の時に図鑑でみた臼杵の石仏郡に興味があった。
ようやくチャンスがきた。

図鑑に載っていた石仏は頭が地面にあった。(300年以上前の地震で落ちてしまったらしい)
今回見た時には、それが「元の」位置に戻されていた。
実に300年振りに元の姿に戻ったというわけだ。
その修復作業が行われたのが、自分がここを訪ねる(1996年)ほんの3年ほど前の事だそうで。
(2008年現在からだと15年前となります。)


石仏というから、崖に彫られて雨ざらしなのかと思ったら、立派な屋根が付いていた。
もっと、ガーンとデッカイ頭なのかと思ったら意外と小さかった。
とは言ってもかなりの大きさだが。



別府にて

2008-01-20 22:39:36 | 1996~97原付日本一周
日出「ひじ」商店街の入り口にあるコインランドリーでコート・帽子・ズボンなどを洗い、リフレッシュする。

コインランドリーで地図を見ていると、どこからともなくおじさんが来て、「厚木ってどこぞね?」とか「50ccで日本一周しよっとか?」と何だか興味深そうに質問してくる。

それで、「今日はどこに行くのか?」
という話しになった。
実はどこに行こうか困っていると言うと、
「近くにいい所があるから」
と、わざわざ軽トラに自分を乗せて案内してくれた。

城跡の上に建つ小学校の近くにあの場所はあり、公園だった。
こんな所にテント張っていいのかな?と思ったが、
「大丈夫だ。変なやつは来ないから。」
と言っていたので、まあいいかと。
なにしろ眺めが良い。

城の石垣の上に小学校と言うのも面白い。
この人はよくここに通い、遊んだそうだ。

元の場所に戻ってから、車を降りて、バイクの話になった。
「私もバイクに乗って、よくどこかに行ったりするんだ。」と言っていた。

1000ccに乗っているという。
見せてやると言うので、ついて行くと、コインランドリーの裏がその人の家らしい。

半開きのシャッターの奥に、あるわあるわ、デカいバイクが。
ざっと見ただけで10台はあった。
しかも相当マニアックだ。
カワサキ・ホンダ・フジ・ラビット・BMW・メグロ。
壁には振り子時計がこれもかなりの数がかかっている。

「いや、古いのを集めるのが好きでね。」
と、マニア独特の半ばテレくさそうに、しかし誇り高い口調で話す。

家の中にも、祭りのお面や、お菓子のオマケ、たんすには未組み立てのバイクのプラモキットがラップに包んであった。

2000個はあろうかという消しゴム人形、見ていて本当に楽しかった。
「これだけあれば、”なんでも鑑定団”に出れますよ。」
と言ったら、謙遜して
「いやいや、あんなもんに出るほどのものではない。」
と言った。


今にして思えば、だが、写真撮っておけばよかったな。
「さて、そろそろ仕事に行かなくちゃ。」
と言う事で、おさらばした。
本当に楽しいひと時だった。

とりあえず温泉でも入ろうと、別府に行った。
別府駅前で記念撮影。


公衆浴場で風呂を済ませ、晩飯。

せっかく九州に来たからと、九州のファミレスチェーン、「ジョイフル」に入る。
久しぶりだ。
「いらっしゃいませ~、ジョイフルへようこそ~」
というあの決まり文句も健在だ。

懐かしさを噛締めて、とっても美味くはないが、それでもうまいと感じて食べた。

さきほどおじさんにお教えてもらったポイントに行き、テントを張る。
別府の夜景がなかなかきれいだった。

九州を走る

2008-01-15 22:55:03 | 1996~97原付日本一周
いよいよ本土走行も南国九州まで来た。
まずは小倉駅前でパチリ。


小倉は東京で言うと、新橋のような雰囲気だと思った。
直方のキャンプ場で最初の夜を過ごすが、車がけっこううるさかった。

冬の色が日増しに濃くなってきた。
南国とはいえ、けっこう寒い。

バイクは基本的に動く事がほとんどないから、気温が低いと寒い。

一直線に大分に入る。
青の洞門に寄った。
昔の人が、手掘りで掘ったと言うトンネルが残る所。
実は1992年に一度訪れている。

不思議とまた寄って見たくなったのだった。