風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

与那国へ

2008-12-07 21:32:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月10日

与那国へ向けて出発の日。
いつものように荷物をまとめ、バイクにくくりつける。
荷物が多くて困る。
余計な物を早く家に送り返さなくては。
8:30頃キャンプ場出発。
いつものトンネルの道ではなくて、名蔵の方を走った。

八重山巡りで、船に良く乗るから、切符を買うのも慣れてきた。
与那国行きのフェリーに乗る。
船にバイクを入れ、ギヤを入れて車輪をロックする。
あとは船員さんに任せて、船室に入り、出航を待つばかり。

スズキのMXという古いオフロード車のライダーさんと、頭を丸刈りにした一見巡礼者のような姿をした女の子がいた。
10:10頃だったか、出航。


MXの人は日本一周中という。
話し好きな人だ。
丸刈りの女の子は、元新聞社系のフリーカメラマンで、雑誌や新聞などに撮った写真が載っていたらしい。

最近仕事を辞めて、旅に出たという。
愛機はプラウベル・マキナの6×7とコニカのヘキサー。
マキナにはT-MAXを、ヘキサーにはコダクローム64を詰めていた。
僕はカメラが好きだから、話がけっこうはずんだ。

石垣島の裏の植木屋で買ったというクバガサをかぶり、これに杖でも持たせたら、本当に巡礼者だ。足はサンダルだし。

3人でなんやかんやと話していたら、途中揺れることはあったが船酔いの「よ」の字もなくてホッとした。
与那国フェリーは別名「ゲロ船」と呼ばれるほど、揺れて酔いやすい船らしいのだ。

海を見ると、飛び魚がヒラリと海面上を滑空している。
あいにく望遠レンズがないので、撮ることは出来なかった。

到着予定時刻はとうに過ぎているのだが、島は見えない。
「なかなか着かないね~。」
などと話しているうちにやっと島影が見えてきた。


まず、パッと見て感じたのは、「崖」というイメージだった。
これまでの八重山群島とは全く違った荒々しさがあった。

カメラマンの子はマキナを取り出し、パチリと撮っていた。

フェリーはゆっくりと接岸し、1時間遅れの15:30頃到着した。


臨時雇い

2008-12-06 15:15:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
仲間が去って、キャンプ場は静かになった。
自分もそろそろ移動しようかなと考える。

その時、軽のバンがキャンプ場に入ってきて、不精ヒゲを生やしたお兄さんが降りてきた。Eさんと言う。
なんだろう?と思ったら、人手不足で働き手を探しているという。
やる気はなかったが、他のキャンパーが「やればいいじゃん。お金ないんだし。」と言ってくれた。背中を押してもらった感じだ。

2日の臨時雇い。
2人一組で、コンクリートに穴を開けて、フェンスを張る柱の下準備の仕事。
円筒形をしたエンジンカッターで、水をかけながらガーッと切る。

機械は重いが、作業は比較的簡単だったように思う。

2日かけて21コの穴を開けて作業は終わった。
帰りの車の中でEさんは、自分が撮った山の写真を見せてくれるという。
自分も好きだから喜んで返事した。

家は300坪の畑の中にポツンと木に囲まれて建っていた。
犬と猫と1才の子供がいる。

子供は自然分娩だそうだ。
しかも産婆さんも呼ばず産婦人科があるわけでもなく、Eさんが自宅の手製のゴエモン風呂に水をはって、自ら取り出したのだと言う!
何と言う強さ。
いや昔は当たり前だったのかもしれないが、でもすごいなと単純に思ってしまった。

お二人は結婚という形はとっていない。
共に旅人でアジアをあちこち巡っていたようだ。

旅の写真を見せてもらった。
ポカラが写っている写真を見た瞬間に釘付けになった。
何度も何度も見返した。

「山、好きなの?」
「ハイ。」
「行ったら良いよ。こんな事できるのは体力のある若いうちだから。」
アジアにはあまり気持ちが無かったが、チベットやネパールなど、ヒマラヤのある所は別だ。
行って見たいな。
6×7くらいでリバーサルフィルムでジックリと腰を据えて撮ってみたかった。

夕食をいただいた。
西表の佐藤さんという人が作った無農薬栽培の玄米。ゴーヤちゃんぷる、トウガンのスープ、冷やっこなど。
とても健康に良さそうなメニューではないか。
美味しくいただいた。ごちそうさまでした。

自分のテントに送っておらう途中で犬の散歩。
この犬は賢い。
口笛一つ、フィンガースナップをパチンとするだけで機敏に反応する。

別れがてら、賃金をもらった。
旅の資金になった。

よし、与那国に行こう。
翌日に出発決定!

別れ

2008-12-04 10:32:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月7日

OKB君、NT君他かなりの数の米原軍団(?)がキャンプ場を後にする。
20人近くいるだろう。

朝、皆がテントを撤収するガサガサという音で目が覚めた。
自分はムクリと起き出して、傍らで皆が片付けているのを眺めながら、紅茶とツナ缶で朝食。
NT君はなんだかんだと言いながらも割合早くパッキングする。

OKB君はなんだか知らぬが遅い(笑)。
他の人達はパッキングも済んでおしゃべりしているが、彼だけはテントすら畳まれていない。
船の出航には、かなりの余裕があったから、マイペースで進めているのだろう。

出発の前日からOKB君は

「K君。俺、八重山出るから・・」

と何度も繰り返し言っていた。
何があったか知らぬが、長く居過ぎたから早く出たいと言う事なのだろう。

これは自分もそうだと思っているから分かる気がする。
内心、焦っている反面、もうちょっと居たいというのもあった。

「K君。俺・・・・八重山出るから。ずっとここに居たら気が狂っちゃいそうだから。」

「K君・・・・もういいわ。俺出るわ。」

OKB君さっきからこればっかである(笑)。

そんな彼も、ようやくパッキングが終わった。
彼のカメラで記念撮影。
お別れだ。


パッキングを済ませ、おしゃべりしていたキャンパー達もそろそろ潮時とばかりに次々とエンジンかけ、暖気もそこそこに出発していく。

静かだ。

ちょっと前までにぎやかだったキャンプ場から、人が急に居なくなったから、妙なギャップを感じてしまう。

サボテンさんの居る2号棟に遊びに行く。
彼から魚をご馳走になる。

出発した彼らを見送るつもりは無かったのだが、やっぱり気になってしまい、出かける事にした。
ここから港までは20kmある。間に合うかなと心配した。

しかし到着してみたら船はまだコンテナやトラックの荷物を船内に搬送中。
バイクの積み込みすら終わっていない。
予定よりだいぶ遅れているようだ。

ターミナルの待合室で、皆のんびり話しをしながらくつろいでいた。
NT君が気付いてくれて
「あ、来てくれたん?」
さっきの話しの続きをするような感じで。


ちょいと好みのタイプの千葉のお姉さんもいた。
キャンプ場にいる時から気になっていたのだが、話しかけられないでいた。
女性にもよるが、基本的に中々自分から切り出せない。

OKB君とNT君が
「彼女一人だぞ、行け!」と言った。
恥ずかしながらも、話をしてみたら気さくに応じてくれて嬉しかった。
自分のカメラで記念写真を撮らせてもらった。やった。
恥ずかしいので、肩を並べる勇気すらないのが現れている。


さようなら、米原のマドンナさん。
OKB君とNT君が、千葉のお姉さんの事で僕を冷やかす。

西表で偶然再会した「おっさん」こと大阪のAKちゃんも居た。
女の子なのに、「おっさん」っていうのがなぁ(笑)
「Kく~ん!なんでいるのぉ~?」
「見送りに来てやったぞ。もう西表から帰ってきたのか?もうちょっと居るのかと思ったら。」
「もういいわぁ。あたし帰る!飛行機の切符も買っちゃったもんね~。」
「那覇から直で大阪?」
「そうそう。ところでK君本当に歩くの?」
「まあ・・・そのつもりだけど。いや・・・分からないよ、できるかなんて。」
自分は、今回の日本一周終わったら、日本徒歩縦断を考えていた。

まあ、こんな事を話しながら待っていた。

さっきからなんか臭いなあと思ったら、ブタを船に積んでいたからだった。

いよいよ乗船の時間。
「見送りです。」
と船員に言えば、船の中に入る事ができる。

自分は見送りデッキから船の方を見ていた。
甲板からもこちらを見ている。


午前11:30。
1時間遅れで出航。
見送る側も、送られる側も皆が共に手を振った。
千葉のお姉さんに手を振ったら、向こうも気付いて手を振って返してくれた。

AKちゃんはどこかな?
と見渡したら、ちょこっと出てきて、手を振ったらすぐに引っ込んでしまった。
「ありゃ。えらく引っ込むのが早いな。」
まっ、いいか。

こうして、皆再び各々自分の気の向くままに旅立って行った。
寂しいとか悲しいと言うのは全く無くて、楽しくて実に気持ちの良い別れだった。

またどこかで会えたらいいな。
そんな気持ちだった。

運命的出会い

2008-11-08 18:14:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月6日

運命的・・・・
ちょっと大げさな言い方だが、自分にとっては久しぶりに新たな人との気持ちの良い出会いだった。

ゴールデンウィークでにぎやかだった米原キャンプ場も、いつもの静けさを取り戻した。
西表の加藤さんを訪れた時に、良い雰囲気の板彫刻があり、作ったのは藤原仙人掌(さぼてん)さん(以後サボさんと書きます)と言う人らしいと知る。
米原キャンプ場にいると知って、ぜひ一度話をしたかった人だ。

1号棟の方にいると聞いたので、彼のテントへ行った。
かなり長く滞在していて、テントが傷まないように、ブルーシートで屋根を作ってある。
テントの前には、彼に作りかけの彫刻が幾つも置いてある。
お地蔵さんが多く、とても可愛らしい顔に彫ってあり、微笑ましくなる。

白く飛んでしまったが、看板には「オーリトーリ(ようこその意らしい)」と彫ってある。

彼のテントの周りには、「命」と言うものがあふれているような気がした。
実際、ここに来る小鳥とかは、かなり近い距離でも全く恐れを感じていないようだ。

どんな挨拶をして、彼と話し始めたかは忘れたが、スッと入っていける人だと直感した。

いろいろ話していたら、波動に興味があるらしい。
お互い興味のある物が似ていたので、面白くなり、あっという間に夕方になった。

サボさんは、「創る」と言う事を心から楽しんでいるんだなーと思い、自分も何だか嬉しくなってきてしまう。

これがきっかけで、サボさんとの交友は今も続いている。

彼はこの後、作家となり、膠原病という難病を患うが、活発に創作・展示活動をしている。
結婚もして、今は一児の父親。

住まいが関西なので、頻繁に会う事は出来ないが、どうしているかなー?と思うと突然ポッと現れたりして、とても面白い。

サボさん、自分はまだフラフラした人間ですが、今後もよろしくです。peace

黒島

2008-11-05 23:03:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年5月5日
ゴールデンウィーク最終日
黒島へ観光。
高速船のスバル18号に乗る。
日帰りだから、往復券(2150円)を買った。
エメラルドグリーンの海を爽快に走る高速船。
30分ほどで黒島到着。

レンタサイクル(2時間400円)を借りて、トロトロと島を一周した。
黒島にも神様の森が15ヶ所存在する。
「おがん」「うたき」「わん」と呼ばれるらしい。
入り口は鳥居が立っていて、波照間とは感じが違っていた。

仲本海岸の東屋で涼しくて気持ち良かったので、ベンチの上でウトウトとしてしまう。
人が少なくて、静かだった。

ボンヤリと海を眺めていたら、ウェットスーツを着た女性が泳ぎ終わったらしく、こちらに向かってきた。
東京の人だった。
「魚いますか?」
と聞いたら、
「いますよいっぱい!こんな所で寝ていたらもったいないですよ!」
と言った。

少し雑談した後、その人と別れて、また島をウロウロした。
何もないが、いい所。
日帰りではもったいないなと思った。

レンタサイクルの返却時間が迫ってきたので、自転車は返した。
高速船の時間まではまだ間があったので、歩く事にした。
伊古桟橋と言う所に行ってみたが、コンクリートが崩れていた。

ビジターセンターがあったが閉まっていた。
その近くに「プズマリ」という、石を積み上げた昔の構造物があった。


波照間にあった「コート盛り」と同じだろう。
大きさはプズマリの方が大きかった。

さて、そろそろ船の時間だ。
アスファルトの道をテクテク歩き港へ。
途中、ナンバープレートのついていない車が何台か走っていた。
ここは登録がいらないのだろうか?