かやのなか

あれやこれやと考える

ハタハタとレタスと茄子のパスタ

2022-08-09 00:23:04 | 日々のこと
朝夕の散歩中は、だいたい配信とかラジオを聴いていることが多いが、ふと気がつくと物思い耽りがちだ。四十にして惑わずという。確かにやみくもに惑わなくなった気がするが、単に足が止まってしまったようにも思う。気をつけていないと、毎日同じことの繰り返しになってしまう。一年も半分以上過ぎたというのに、一月一日の自分とあまり変わり映えがない。本を読むとか映画をみるとか、そういったことは昔から習慣化してしまっているので、手に垢がついてしまった感がある。もっと抜本的に、何かまったく新しいことを始めなければならない気がしてくる。そういえば、今年の春ごろから「ご近所付き合い」というのが始まったのだった。何かを成し遂げるとか、上達するとかいった類の話ではないが、これも一応は変化といえるか。

10年以上前、ある時期チャットでよく交流していた人を、ツイッターでみかけた。HNも画風も当時から変えていない様子で、てきぱきした行動力とエキセントリックな言動は健在らしく、おかげでだいぶ悪目立ち、もとい炎上していた。炎上はこれが初めてではないらしい。むちゃくちゃにみえて、実はマメに周囲に気を遣って話す人のイメージだったが、少し追ってみると本人の言動は当時よりさらに先鋭化しているようだった。同好の士が集まるクローズドなチャットグループの中では、多少の暴言もコミュニケーションのひとつ、歪んだ愛の形としてみなされる。でも、ツイッターは彼女の悪い面しか強調されないツールだろう。しかし、彼女だってただ黙々と創作に没頭しているわけにはいかないだろう。輪を作るタイプの人なので、口を閉ざしてしまっては、やっていることの楽しみが半減してしまうはずだ。私自身ができないことなので、現状(および思想)はどうあれ、やっぱり根本的に強い人間だなと思う。私なんぞ、いまだに決まったハンドルネームのひとつも考えつかない優柔不断さだ。

コメントを投稿