かやのなか

あれやこれやと考える

恐怖症

2016-02-14 14:48:58 | 日々のこと
「今までにダンスをしようと思ったことはある?」と聞かれて「ない気がします」と答えたのが昨日。
でも今朝になって、そういえばタンゴがしたくて教室を調べたりバレエの動画を見まくったりしたことがあったのを思い出す。
ワークショップに行ったことだって一度だけじゃない。
どうして昨日は思い出せなかったんだろう。

こんな流れで不誠実な言葉を吐き出したことは今までたくさんあったしこれからもあるだろうと思うと嫌気がさす。
ウソをつくつもりがなかったのに結果的にウソをついているようなときは、大抵相手や相手の背後にあるものに対して無意識に引け目ないし恐れを感じていて、緊張のあまり質問の内容がきっちり頭に入ってないうちに言語化を焦り、適当に言葉を組み立てて吐き出している。
そしてウソが生まれる。
恐怖はどこからくるのか。対人恐怖症ってやつだろうか。ビョーキじゃないか。

例えば缶詰を開けるのに失敗して(プルタブだけ外れてしまったりして)缶詰恐怖症になったり、横断歩道を渡るのに失敗して(左折してきた車にクラクションを鳴らされたりして)横断歩道恐怖症になったり、冷蔵庫の中の野菜を上手に食べきることに失敗して(野菜室で野菜が真っ黒に腐っていたりして)冷蔵庫恐怖症になったりするのと同じなのかどうか、という問題。

ワークショップに行ったのもタンゴを調べたのも、基本的に誰にも言わずに一人でやったことで、最近ピアノを弾いているのも今のところ完全に自己満足のため。山は一人で登りに行く。本も、タイトルを探すところから入手して読み終えるところまで一人だ。
私が自発的にやる経験のほとんどが普段人とのコミュニケーションのときに使用している引き出し=働いている脳みその部位と、まったく別の部位に収められているから、とっさのときに(個人的なことを尋ねられたときに)引き出せないのではないかと思う。
はじめは付き合いやすいと言われ、そのうち八方美人と言われ、しまいに嘘つきと言われるのは、こういう性質も一役買っていると思われる。

缶詰恐怖症を治療するためには患者にプルタブ式でない缶詰を開ける経験を積ませれば良いと思うが、このケースはどうしたら治るでしょう。

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