かやのなか

あれやこれやと考える

解除

2020-06-03 02:14:58 | 日々のこと
緊急事態宣言が解除された。
しかしこれからが本番だ。というのも中途半端に人の流れが戻ってきたので、職場のルールが宣言中よりも厳しくなった。あんまり大きな声ではないが、緊急事態中にあったある種のフリーダムさが失われてしまって正直少し残念に感じている。
街を歩いていてタピオカ屋が謎に「マスクあります」の看板を出しているとか、消毒用品やマスクを並べた謎の屋台や道端に出ているとかいった光景に心がおどるのは私の生まれ持っての性分なので許してください。世の中のほころびを確認して安心しているのです。

ほころびといえば職場が良い感じに朽ちてきている。
我が職場のだだっぴろい敷地内、一面にコンクリートがタイル状に張られているのだが、このタイルとタイルの隙間に土が入り込み放っておくと植物の種が飛んできてそこから芽を出したり苔が繁殖する。そのため平常時は、作業員が来る日も来る日もスコップやねじり鎌を使って丸一日額に汗しながらガリガリ土を掻き出している。(見るからに大変そうだが、内心ときどき、三時間ほど交替してくれと思うことがある。)その仕事が自粛によりこの春二ヶ月間失われた結果、現在職場は見事に草ボーボーののび放題でちょっとした廃墟みたいな雰囲気を醸し出しており、これもとても楽しい。手入れされない花壇は、人の手で植えられたパンジーと野の花が好き勝手に入り乱れ、咲き誇っている。はびこった根のおかげで設備の耐久度は下がっているのだろうが、整然としているよりもこっちの方が好きだ。

その後、読める台本はいくつか読んだ。悲劇喜劇の手持ちのバックナンバーは読み切ってしまった。先週の日曜日の夕方、散髪に行ったついでにワンチャンを狙って神保町に寄ってみたが、町は見事に閑散として死んだように静まり返っていた。意気消沈の中、薄暮れの中を散策していたら、99%の古本屋が暖簾をおろしているさなかにも荒魂書店には煌々と明かりがついていて笑ってしまった。
まだ入ったことはないです。


読んだもの
前田司郎の「燃えるゴミ」・・・これはとても面白かった。自粛期間中に読んだ中で一番かもしれない。面白いと、面白い以上にあまり語ることがない。
平田オリザの「別れの唄」・・・これは随分昔のせりふの時代から。日本語訳しか掲載されていないが(フランス語版が掲載されたところで読めないが)例えば「すみません」みたいな微妙なニュアンスのセリフは、フランス語のどの言葉を当てたのかとかが気になり、感想が難しい。
「恋人としては無理」・・・Webで公開されていた柿喰う客の芝居。これはまた別の意味で感想が難しいが正直いうと読んでいて疲れた。ある種の職人技だとは思うが。
その他・・・劇団こふく劇場という宮崎の劇場の、永山さんという方がWebで公開されている短編戯曲を何本か読んだ。
あと劇作家協会新人戯曲賞の2005年と2007年の冊子をパラパラと目を通した。
もう十年以上前に友人に勧められたシベリア少女鉄道という劇団のYoutubeに上がっているコントを1本観た。好きな人はすごく好きなのだろうけど自分はあまり興味がわかなかった。
Zoom演劇はいろいろTwitterのタイムラインに流れてくるが、あまり興味がわかず観ていない。


ところで「別れの唄」を読んでて思い出したが、我が家は母方が敬虔なカトリック教徒の家で、父方はわりと熱心な浄土真宗だった。母方の祖父が亡くなったとき父方の祖母がカトリックの葬式に数珠を携えて参列した。父方の祖母はカトリック流の葬儀の手順に参加できるところは参加し、信者のみがするべき所作は遠慮し、最後に母方の祖母に対して「いいお式ですね」とぽつりと言った。母方の祖母は「ありがとうございます」と答えた。
もともと両家の関係はこじれていたので、その距離感もひきずっていたのだろうが、歩み寄りというのはこんな風に静かに行われるのだなと思った。この記憶があるので、実際このようなシチュエーションになったとき、あんまりお互いの文化を根掘り葉掘り聞くものではない気がした。
リアルさよりも「文化交流しましょう」みたいな作為が勝ってるといいますか。柿喰う客の芝居も、これでもかと繰り出される作為が自分には重かったのかもしれない。

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