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植田統氏  

2022-02-10 14:16:42 | 文化

>ジョブ型雇用で20年後、日本から「サラリーマン」は消滅する  > 植田 2022/02/10 06:00

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>日本の昔ながらの雇用制度は崩壊し、アメリカ型のジョブ型雇用がついに日本でも始まる。 >弁護士で国際経営コンサルタントの植田統氏の新著『2040年「仕事とキャリア」年表』からの抜粋で、すでに限界を迎えた日本のメンバーシップ型雇用の問題点と、アメリカで採用されているジョブ型雇用とはどういったものかを解説していく。

 

メンバーシップ型雇用は、当家に代々仕える忠義な家臣のようなもので直接、生産性には関係ありませんからね。企業にはあって不要なものですね。     

 

>日本型雇用は限界、>「ジョブ型雇用」の時代へ    

> 今から20年後には、日本から「サラリーマン」が消滅します。 > 年功序列や終身雇用などの「メンバーシップ型雇用」を採用する日本企業もなくなります。  

 

いよいよ我が国にもNo-nonsense (バカげたことを許さない) の時代がやってくるのですね。     

 

>会社勤めをしているサラリーマン読者の方には少々、刺激が強すぎる話かもしれません。 >でも、現実は厳しく、どこかの会社の「課長」「部長」としてしか生きていけない人、専門性がなく何もできることのない人は、淘汰されてしまうのです。 > その予兆はすでに現れています。  

 

専門性のある人が救われる時代になるのですね。       

 

>年功序列、終身雇用、新卒一括採用、定期異動によるジェネラリスト育成、定年退職という強制解雇システムを取る「日本株式会社」の雇用慣習は、とっくに限界を迎えているのです。 > 新卒社員は、入社した会社にあいそをつかし3年で30%が去っていきます。 >終身雇用が生き残っているのは、東証一部上場企業の中の数百社に留まっています。 >それ以外の会社では、転職は当たり前となり、すでに終身雇用は崩壊しています。 > そのうえ、その数百社に入る富士通、日立製作所、KDDI等の日本を代表する大企業においてすら、メンバーシップ型雇用を廃止し、「ジョブ型雇用」を導入しようという動きが活発になってきています。 > どうして、こういう流れになっているのかといえば、大企業が競争力低下の理由をメンバーシップ型雇用にあると考え始めたからです。  

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。   

 

>素人集団の日本企業と専門家集団のジョブ型雇用   > 1980年代には、世界の時価総額ランキングで上位を総なめにしていた日本株式会社は凋落し、今や世界トップ50に入る日本の企業はトヨタ1社だけです。 > 上位は、言うまでもなくGAFAM(ガーファム。グーグル、アップル、フェイスブック〈メタ〉、アマゾン、マイクロソフト)に代表されるアメリカ企業ばかりです。 >そして、そのアメリカ企業で採用されているのが、「ジョブ型雇用」です。 > ジョブ型雇用では、職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)が用いられます。 >そこには、そのジョブ(職務)で行なう仕事の内容が明確に定義され、そのジョブに就くために必要な学歴や経歴も記述されています。 > 会社は、そのジョブに合う人を採用し、その人の能力に応じて給与を決めます。>日本のように年齢で給与を決めるのではないのです。  

 

そうですね。年齢が生産性を表すわけではないからですね。     

 

>若くても高いスキルを持っていれば、高い地位に就けます。 >高い地位に就けば、高い給与がもらえます。 > ジョブ型雇用を採用する会社は、専門家の集団となっていますから、当然、生産性が高く、競争力も高くなります。 >日本株式会社のようなジェネラリストでできあがった生産性の低い素人集団とは根本的に違うのです。 > これが、日本企業の雇用がこれから変わっていく方向性です。 

 

そうでしょうね。ジェネラリストは没個性的な人間ですね。        

 

>20年後の日本では「サラリーマン」は消滅   > では、これから2040年までに何が起こってくるのでしょうか。 > 2023年には、新卒学生の就職ランキング上位は外資系の会社ばかりとなります。 > 2025年には、団塊ジュニアが50代となり、その人件費負担を避けるために「大リストラ時代」が始まります。 >これに対応するために、2027年には、サラリーマンの間で「学び直し」が大ブームとなっていきます。 >そして、2029年になると、若手社員は転職をまったく苦にしなくなり、「大転職時代」が到来します。 > 2031年には、日本企業にもジョブ型雇用が浸透します。 >スキルの高いジョブに就けた人は高給を取り、そうでない人は低い給与で我慢する「超格差社会」が到来します。 > 2033年には、実力のある外国人や女性が社長のポジションに就くことが当たり前になります。 >その一方で、日本企業の中には、変われない企業もたくさん残っています。 > 2035年には、変われない企業の衰退が明らかになってきます。

> 2037年には、若手社員の中から、変われない日本企業と少子化で縮小する日本市場を見限り、外国に脱出する人が数多く出てきます。 > 2039年には、放漫財政を繰り返してきた日本の財政は崩壊、少子高齢化のインパクトに耐え切れなくなり年金も崩壊し、生涯現役社会が訪れます。 

 

働かざる者食うべからずということになるのでしょうか。  

 

> 2041年には、こうした混乱の中から這い上がろうとする人が現れ、スタートアップ企業が急増してきます。 > そして2043年には、メンバーシップ型雇用に固執してきた日本企業が完全に消えてなくなり、ついに「サラリーマン」が消滅します。 >つまり、日本国民はすべて何らかの専門性を持ったプロフェッショナルに生まれ変わります。  

 

社畜はいなくなるのですね。ずいぶん規則正しく日本社会の変革が進みますね。    

 

>必要なのは「サラリーマン」から「プロフェッショナル」への切り替え   > こうした激動の時代を生きていくために、私たちは何をすればいいのでしょうか。 > 周到な準備が必要なことは言うまでもありません。 >しっかりとしたキャリア・ビジョンを持ち、それに向かって日々懸命に努力していくことが必須です。 

 

我々日本人の解決すべき問題点は、問答無用主義 (autocracy),  権威崇拝 (hierarchy),  和合第一 (harmony),  全会一致重視 (consensus),  自己規制 (self-censorship) などですね。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。   

 

>「サラリーマン」生活に慣れてしまった私たちにとって、特に重要なことは、「サラリーマン」マインドから、「プロフェッショナル」マインドへの切り替えでしょう。 > このたび私が書いた書籍『2040年「仕事とキャリア」年表』では、日本の先をいくアメリカのジョブ型雇用とはどういうものかを紹介し、そのうえで、前述したように今後20年間の日本企業における仕事とキャリアの変化を予測しています。 >これから20年の激動の仕事の未来に不安を感じている方、それを何としても生き抜いていこうと考えている方は、ぜひ手に取っていただければ幸いです。  

 

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。      

 

> 本連載では、本の一部から転載する形で、ジョブ型雇用の具体的な特徴と、日本型雇用の問題点について述べていこうと思います。    

 

よろしくお願いいたします。    

 

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