>読売新聞 >立憲民主の野田元首相「政権交代こそが最大の政治改革」...党代表選出馬には慎重姿勢 >読売新聞によるストーリー・ >20時間・
> 立憲民主党の野田佳彦・元首相は22日、東京都内で講演し、次期衆院選に向け、「信用される政治を取り戻すためには政権交代しかない。
信用ある政治家には政権交代は可能ですね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
民 (たみ) 信 (しん) 無 (な) くば立たず。(政治は民衆の信頼無くして成り立つものではない) 論語・顔淵
日本人は政治下手ですね。どうしたら人の信頼が得られるか分かっていない。政治家には政治哲学が必要である。
>政権交代こそが最大の政治改革だ」と訴えた。
政治家に政治哲学がなくては政治改革も意味がないですね。
> 9月に予定されている立民代表選への立候補については、「自分がトップになったら、逆に引く人も出るかもしれない。
‘信無くば立たず’ ですね。
>『昔の名前で出ています』ではいけないところもある」と述べ、慎重な姿勢を示した。
看板ではなくて、その内容ですね。
英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。
日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。
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