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無責任体制

2019-08-31 18:02:15 | 政治

> 『戦争も東芝も原発も新国立競技場もすべては無責任体制~なぜ日本はバカな過ちを繰り返すのか』
> BLOGOS⇒リンク >以下転載開始
>・・・・・・・・・・・・
>戦後70年が過ぎ、再び戦争を始めようとしている日本。>原爆を2度も落とされ、絶対に安全だと言いはったのに、世界最悪の原発事故を起こしたにもかかわらず、火山活動が活発になっている鹿児島で原発再稼働をする日本。 >なぜ日本はバカな過ちを繰り返し、自滅を繰り返すのか。 >それは無責任体制だからだ。

そうですね。わが国には、責任体制がありませんね。

>誰も責任をとらない。

それは、責任者がいないからでしょう。

>誰も責任をとらせない。

意思の無い人には、責任がない。そして、日本人には、意思がない。それは、ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。
意思 (will) は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

>責任がどこにあるか明確にされない。

人々には意思がない。責任は、わが国のどこにもない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

>誰も処罰されない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。意思の無い日本人には、仕方がない。だから、無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。これは、明治以前からの我々の仕来りのようなものである。
ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) 

>だから問題が起きても、うやむやなまま、また同じ過ちを何度となく繰り返すのだ。

そうですね。意思の無い人には、責任がない。全員に意思がないのであるから、責任もうやむやになる。辛抱強い日本人よ、安らかに眠ってください。過ちは何度となく繰り返しますから。
意思のある人には、加害者意識もある。罪の意識もある。深刻な反省に陥ることもある。贖罪の為の宗教 (キリスト教) にすがることもある。だが、日本人には、こうした行為が見られない。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。非現実 (考え) の内容は、時制のある文章になる。時制のある文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を示すことができる。初めは、これらの三世界の内容は白紙の状態である。各人ともその白紙が気になって、自分自身でその内容を埋めて行く。この内容は、世界観と呼ばれるものである。自己の世界観 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は、批判精神を示したことになる。現実を改革する指針を示したことになる。
英語には時制があり、英米人には世界観がある。そして、批判精神をもっている。日本語には時制がないので、日本人には世界観がない。批判精神がなく、時流に流されている。空気に酔って、信頼性がない。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分に深く理解する必要があります。さすれば、我々は、自己の世界観と意思を文章内容として表現することが可能になります。日本人の個人の意思と世界観を理解できれば、外国人も我々を信用するようになるでしょう。未来社会の建設に国際的な協力者を得て、人類の進歩に大きな貢献ができると思います。

(略)


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