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擬声音

2018-05-18 10:36:23 | 日本語脳
> (中略)
>どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。>ひとつは言霊(ことだま)です。>言葉に魂が宿る。
>(中略)
> 2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。>オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。>擬声語は、たとえば >わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。>おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

そうですね。日本の鶏はkokekokko と鳴き、アメリカの鶏は、cock-a-doodle-doo と鳴きますね。鶏もちゃんと国籍を意識しているのかな。

>(中略)>ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。> 実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

そうですね。いうなれば、受け止める側の勝手な解釈によるものですね。

>このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。
>つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

そうでしょうね。日本人は、人の声・自然の音を聞いて、その内容を忖度 (推察) していたのでしょうね。音楽・絵画・彫刻のような非言語の世界の鑑賞の仕方と同じですね。

>だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

忖度は、聞き手の勝手な解釈によるものです。話者・自然の音源に責任はありません。だから、議論をすれば、独りよがりということになります。議論もできません。
すべての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。我々日本人は、話者の考えを理解しようと努力していない。音源と忖度に力を入れている。だから、建設的な話し合いができない。残念なことです。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、ばらばらな単語 (小言・片言・独り言) でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。>言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。>なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。>そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。(略) >ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。>そして1万7千年前 は縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。>(中略)>こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、>「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千~三万年前に新石器時代を迎えていた。」と述べています。> 言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

なるほどねえ。わたくしは、日本は世界最古の文明のある国だとは知りませんでした。英国人の探求は、進んでいますね。

 

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