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悩んでいる自分

2019-01-06 17:28:41 | 日本語脳

(略)
>○やりたいことがないと悩むのが好きな奴隷体質
>じゃあ、なんでやりたいことがない。って悩んでいる人が多いのか? >考えた時に、やりたいことがないと悩んでいる自分が、好きなんだってことに気づいた。>これってかなりヤバイ。

無哲学・能天気な人間には、悩みというものがないですからね。

>だって、悩んでいる自分が好きなんだよ。

悩んで見せないと、手持ち無沙汰になりますね。

>「やりたいことを見つけたい」「好きなことを仕事にしたい」「自由に生きたい」って思ってる人は1000000万人くらいいるけど、本気でそう思っている人は少ない。>なぜなら、悩んでいる自分が好きだから。

悩んでいる人は、偉い人ですか。

>結局、受け身で何にも考えたくない人が世の中の90%以上を占める。

日本人には、意思がない。だから、その言動は、すべて受動的になる。

>その結果、誰かのいいなりになりたがる。

‘アメリカのポチ’ になるようなものですか。

>だって、自分で考えずに、誰かの指示に従っていると楽だからね。

そうですね。意思のない人には責任がない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。

>で、奴隷のように毎日誰かの言いなりになって、生きる。>ひどい人になると、繋がれた鎖の自慢を始める。

‘不自由を常と思えば不足なし’ か。日本人の伝統的な方策 (処世術) ですね。

>「大企業の~」「日本一の~」とかとか。ほんと笑える。>つまり、考えることを放棄すれば、確実に奴隷になるわけです。>その先の未来には、絶望しかない。

そうですね。ポチには、家畜・社畜の苦しみしか残っていない。

>アウシュビッツ収容所の生存者に「アウシュビッツで生き残った人と死んだ人の違いは?」という質問に対して「最後まで希望を捨てなかったこと」と答えている。>この事実からもわかるように、希望を持ち続けることが重要なわけです。>そのためには、思考を奪われないこと。>思考を止めないことが絶対条件なんだ。

現実の内容は、頭の外にある。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。
両者は所在が違うから、内容も同じにならない。
非現実の内容は、時制 (tense) のある文章内容になる。時制は、英文法にあって日本語にはない。
だから、考えの内容は、英語脳にはあるが、日本語脳にはない。そして、日本人は、思考停止の状態になっている。

>なんども言うけど、やりたいことはなくていい。>だって、日本にいるんだから、やりたいことなんてなくて当たり前。

そうですね。わが国は、無哲学・能天気の国ですね。ただ夢と希望だけがない。それを不思議に思う者がいない。

>でも、悩むことが人生。みたいな洗脳を受けているから悩んでいる自分が好きなわけです。

でも、’何かがおかしい’ と感じて悩むのですね。

>だから、「やりたいことがない、わからない...」って悩むこと自体意味がない。

そうですね。わかった時にやればよい。無哲学・能天気の人には深刻な悩みが存在しない。
英米人は、理想 (非現実) と現実の間で悩みます。彼らの脳裏には、理想の内容が存在します。でも、理想の内容を現実の中で行うことは不可能です。それでも日本人のように、現実にただ流されているのも嫌である。処世術 (現実) と浪花節 (感情) に没頭することができない。
だから、理想を堅持しつつ現実との折り合いをつけることで苦労する。それが人生の悩みというものです。中庸の徳を追及するわけですね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

>とにかく、まだ知らない世界に飛び込んでいくしか打破する方法はないんだ。

そうですね。我々日本人には、まだ知らない世界があるのですね。
我々日本人は、日本語と英語を良く学んで時制のある (非現実の) 文章内容の大切さを理解して、個人の個性を示す手段を得る必要がありますね。さすれば、外国人との議論も可能になります。


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