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日本人の宗教観  

2022-02-11 00:35:25 | 文化

>374801        日本人の宗教感  >峯川道明 ( 40代 関西 会社員 )         22/02/10 PM09

>日本人は特定の宗教信仰は無いが、行事ごとに手を合わせお祈りをする慣習がある。>それは、諸外国の人からすれば矛盾を感じ、理解しがたい様にも写る。  

 

そうですね。日本人の宗教は諸外国の人々の要求には応じられませんね。 

印欧語族の言語には時制がある。彼らの考え (非現実) には、過去・現在・未来とか、前世・現世・来世など各世界とその内容がある。印欧語族の人々は考えの中に悩みを持っている。だから、その病める魂の救済が必要になり、その為に宗教を必要としている。

英米人には意思があるので、受動のみならず能動的な行動をする。だから被害者意識も加害者意識も持っている。加害者意識が高じて罪の意識になる。これは苦しい。罪の意識に苛まれる人々を救済するために贖罪の宗教 (キリスト教) が支持を受けている。

日本人には意思がないので、受動のみの行動となる。だから被害者意識はあっても加害者意識がない。そして罪の意識も無い。罪の意識に苛まれることも無く、魂の救済も必要としない。だから、無哲学・能天気でいることができる。宗教の開祖も必要としない。   

 

>ここでは、日本人の神道「kami」の存在がどういうものかを、分かり易く解説されている。>「これを宗教と言うならば」 >(以下引用)

>神道がどのような宗教なのかを外国から見て説明すると以下の様になる。>神道は人生を肯定する日本土着のアニミズムで、自然に存在する神秘的な力や、特定の精霊による恵みを求める。 >「自然」の宗教である為、神道は「繁栄」と関連付けられ、人々が誠実で、前向きで、清純でいられることを、そして「Kami」と繋がりを持つことを後押ししてくれる。  

 

日本人は罪 (加害者意識) の話はきらいです。意思がないから、加害者意識に苛まれることもない。病める魂の救済など、どこ吹く風で生活しています。      

 

>Kami」は霊的・超自然的な力を包括した言葉で、滝、美しい樹木、謎めいた形の岩のような名もなき存在など、「Kami」となる対象は幅広い。 >一般的に神道における信仰の場所は、鳥居が近くにある神社や、日本のありのままの自然風景である。>参拝者は手を叩き、鈴を鳴らすことで自分の存在を「kami」に伝え、敬意を表現するために祈りを捧げる。>家やオフィスに、小さな社(神棚)を設えるのも一般的である。  

 

日本人の宗教は気分を良くするために存在していますね。    

 

>神道の信徒たちは、日本に伝わる神話的な歴史や、日本人と日本という国土との特別な繋がりを大事にしている。 >19世紀に軍事色の強いナショナリズムを肯定する為に神道が利用されたが、1946年に天皇が「人間宣言」を行った時にそれは改められた。  

 

日本語の神は上方を意味する言葉であり、その意味では今も天皇が上方である事に変わりはないでしょう。日本人の考えは変わらない。       

 

>神道は、日本で最も、それも圧倒的に多くの人々から信仰されている宗教で、 実に人口の8割の人たちが、神道を信仰している。>しかし統計によると、自らを神道の信徒と自覚している日本人は僅かである。 >これは、神道の捉え方は人によって異なるためである。  

 

神道も気分・雰囲気を良くするための宗教ですね。気分を良くするために銭湯に行くようなものですね。       

 

>それでも、殆どの日本人が神社に足を運び「kami」に祈りを捧げており、その為積極的な信徒ではなくとも、「信徒」として数えられている。>現在日本には、81000の神社と、85000人の神職が存在している。(※神社本庁だけの神職数は21500人ほど)。 

 

私も4年ほど神社役員を仰せつかったが、その間神職と深刻に話した内容は、お札の売り上げの事ばかりであった。  

 

>そもそも、経典も教義も持たない物を宗教と言うのは違うと思う。>色々な場所の自然や生きる物に姿を変えて存在する神に対し内的に感謝し敬いながら個々が死生観のよりどころとする教えであり、その教えは日常の多くの作法の中に存在し、その繰り返しで全く無意識に神への感謝を体現し、習慣として根付いている。 

 

自然崇拝は病める魂の救済法に比べて人類のより一般的な習慣ですね。   

 

>身近なのは、食事で「いただきます」と手を合わせる事だろう。、、と筆者は思う。 >自然や万物の恵みで生かされ共存している事へ感謝する、通念として今に生きる古代哲学とも言えるのでは。>現在日本で暮らしている元AP通信/ロイターの記者、Malcolm Foster氏が記した日本人の宗教観に対する見解は「宗教というのは、多くの日本人にとって柔軟な概念であり、仏教と、自然界に存在する精霊を崇拝する土着信仰である神道を、彼らはしばしば混ぜ合わせることがある。>多くの日本人が地元の神社で子供の成長を願い、キリスト教式の結婚式を行い、そして仏教式の葬式を行う。

 

仏教も神道も銭湯も日本人の気分を良くするために備わっていますね。 日本人の作り物には形があって内容がない。儀式があって教義がない。作法があって教えがない。

 

>しかも、彼らはそこに矛盾を一切感じないのだ」と記している。

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。思考停止の人間には矛盾は考えられませんね。    

   

(中略)



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