>2021年05月20日 >科挙とは何か―暗記能の無能官僚により衰退した中国
>科挙は6世紀、隋の時代から始まり、清の時代まで続いた中国の官僚登用試験制度です。 >世襲制により身分の無い者には可能が全くなかった西欧と違い、合格さえすれば、一般人でも官僚になれる当時は画期的な制度でしたが、合格のための猛烈な受験勉強により、暗記能となってしまった官僚は現実場面では全く役に立たず、中国は次第に国力を衰退させ、アヘン戦争で西欧諸国に滅ぼされてしまいます。
官僚の思考停止が祟って国が滅亡したのでしょうね。
>日本の試験制度も少なからずこの科挙の影響を受けており、現在の日本の官僚も無能さを見ても試験制度がいかにおろかな制度であるか、中国の歴史から学び直す必要があると思います。
そうですね。暗記力オンリーへの精進が思考力の衰退を招いたのでしょうね。我々はそれを他山の石とすべきですね。
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>今回は中国の官僚登用制度の柱であり、現代日本にも大きな影響を及ぼした試験制度、科挙について見ていきます。>科挙は6世紀の隋の時代に始祖の文帝によって初めて導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続いた制度です。>優秀な人間を選抜するとともに、皇帝の権力を強化するのが目的でした。>家柄や出自に関係なく、ペーパーテストの成績さえよければ高級官僚として登用するというのは、世界的に見ても画期的なことでした。>事実、18世紀くらいまでのヨーロッパでは、高官は貴族の世襲が当たり前でしたから、中国の科挙は非常に優れた制度として紹介されていたようです。
封土を領有する領主様からは優秀な人物は出ないでしょうね。
>この科挙ですが、最も効果的に機能したのは宋(960年-1279年)の時代だったというのが一般的な評価です。>宋に先立つ隋や唐の時代はまだまだ貴族階級の力が強かったのですが、宋代にもなると、彼らの力は衰えます。>宋の時代には、科挙の試験に合格することが、高級官僚へのほぼ唯一の道筋となりました。>中国における高級官僚の地位は、現代の日本のキャリア官僚などに比べると比較にならないくらい強大なものでした。
中国は国が大きいから官僚の権限も強大なものになりますね。
>古代の中国では伝統的に公金と私財の区別はありません。>賄賂も当然のものでした。>官僚は、税や付け届けで集めたお金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下と言われています)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能でした。>時代にもよりますが、今の日本の金銭価値にすると、兆円から数十兆円単位の蓄財をした官僚も数多くいました。
今でも共産党幹部にその体質は受け継がれているのでしょかね。
>百億円程度の蓄財しかしなかった高級官僚が「清廉な人物」とされていたというのですから、あとは推して知るべしでしょう。
私の印象では、今日の中国のエリートにも公私の区別はあまりはっきりとしていないようですね。
>出自を問わず、ペーパーテストに合格すればこの地位を得られるのですから、優秀な人間が科挙合格を狙ったのも当然と言えます。>とは言え科挙は、宋代までは、実際に優秀な実務者を選ぶ機能を果たしました。>科挙の首席合格者が有能な宰相になったという例も少なくありません。>南宋の三忠臣の1人とされる文天祥などがその例です。>その理由には諸説ありますが、宋の頃まではペーパーテストとはいえ出題範囲も広く、また「志」を育むような文章も勉強しなくてはならなかったという説が有力です。
思考を停止した人が自分の暗記した内容だけを語っていると受け売りの専門家になりますね。何の進歩も見られませんね。用心が必要ですね。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
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