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小峠良三氏  

2022-12-21 16:16:15 | 文化

 

>「戦争知らぬ人増えれば、歴史は繰り返す」元特攻隊員、平和の尊さ後世に   >2022/8/15 08:15 (JST)

>「戦争は二度としたらいかん」と語る小峠良三さん=5日、高山市千島町

> 15日で終戦から77年。  

>元海軍特攻隊員の小峠良三さん(94)=岐阜県高山市千島町=は、出撃待機命令が下され、死を覚悟する中で終戦を迎えた。  

>「毎日死ぬつもりでいたから、最初はうれしいとは思えなかった。  

>『自分はもう行かなくていい』とほっとして涙が出たのは数日後だった」と振り返る。  

>終戦をすぐには喜べないほど、当時17歳の少年を極限まで追い込んだ戦争。  

>「二度としたらいかん」。  

>平和の尊さを訴え続けることが、生き残った自分の使命だと思っている。  

> 1943年、旧制斐太中学4年だった15歳で海軍に志願。  

>愛媛県の松山航空隊に入隊し、飛行機の操縦方法からみっちり学んだ。  

>翌年から台湾に渡り、飛行訓練に励む日々が続いた。  

> 忘れられないのは、台南で訓練中だった45年の2月10日。  

>離陸前にエンジンをかけようとした瞬間、敵機が見えた。   

>「全員待避しろ!」と無線で叫び、飛行機を飛び降りた。  

>逃げ込んだサトウキビ畑から、既に飛び立っていた仲間の機体が次々と撃ち落とされるのが見えた。  

>「あの光景は一生忘れられない」。  

>翌日、あちこちに散らばった仲間の遺体を回収した。  

> 「内地が危ない」と言われ、5月ごろに帰国。  

>長崎県諫早市で特攻訓練を始めた。  

>8月9日、長崎市の方向に向かって米軍のB29爆撃機が飛んでいくのを見た。  

>「偵察かな」。   

>仲間2人と腕を組んで眺めていると、ドラム缶のようなものが落とされた。  

>直後、ピカッと光ってごう音が響き、兵舎が飛ばされるかと思うほどの爆風が押し寄せた。  

>3日前の広島への投下は聞いていた。  

>「こいつがピカドンか。  

>もうだしかん(駄目だ)、日本は負けるぞ」と確信した。  

> 出撃待機命令が下ったのは、翌10日の朝4時。  

>下着を新しいものに替え、海軍の特攻基地がある鹿児島県の鹿屋へ向かうトラックを待った。  

>死を覚悟したとき頭に浮かんだのは、「大好きなおっかさん」。  

>幼い頃に家の近くの川辺で遊んだこと、「お国のために頑張れ」と送り出してくれたこと-。                             

>思い出がぐるぐると駆け巡り、数日間は一睡もできなかった。  

> 15日正午、兵舎で玉音放送を聞いた。   

>雑音混じりだったが、戦争が終わったことは分かった。  

>「ずっと戦争へ行くために訓練していたから、すぐには終戦を喜べなかった。  

>死んだ仲間に申し訳なかった」。  

>涙が出たのは2、3日後。  

>「帰れるんだ」。  

>2日間かけて24日夜に高山市の自宅に戻ると、ちょうど家の外で月に向かって手を合わせる人影が見えた。  

>無事を祈る父親だった。  

> 戦後、自分の経験は積極的に口にしてこなかった。  

>「当時は生きて帰ってきたことが恥ずかしかった」。  

>80歳を過ぎた頃、孫が通う中学校に招かれたのをきっかけに、人前で話し始めた。  

>自身が入隊した年齢ほどの子どもたちを前にすると、次第に「今の平和が訪れるまでに起こったことを伝えていく必要がある」と考えが変わっていった。  

>体調が万全でなくなったことから、学校を訪問しての講演は90歳で区切りを付けたが、思いは変わらない。  

>「戦争の恐ろしさを知らない人が増えれば、悲惨な歴史は繰り返される」  

 

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)      

責任を感じる国民のいない国の戦争は、止めようがありませんね。だから、悲惨な歴史は繰り返されますね。日本人にとって戦争は自然災害のようなものですね。          

 

 

 

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