日本人は無哲学・能天気である。だが、各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 哲学とは考えである。考えは非現実の内容である。日本人が無哲学・能天気であるのは、非現実の内容が想定外になっているからである。非現実の無い人の話は実況放送・現状報告の内容だけになる。これは子供と同じである。これでは未来が開けない。浪花節調の泣き寝入りになる。大人になる為の教育は英米の高等教育の中にある。その教育の内容は自己の哲学を完成させることである。当然のことながら、日本の教育にはそれがない。
英語の文法には時制というものがある。だから、過去・現在・未来に関する自分自身の内容を用意しなくてはならない。三世界の内容はそれぞれに独立していて進展がある。だから、人々は期待を掛けている。そして、相手の哲学に関しても強い注意を払うことになる。
政治に関する考えは政治哲学になる。歴史に関する考えは歴史哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。
‘人はみな平等に造られている’ (All men are created equal.) と言った人は尊敬される。 A
‘人間万事不平等’ という人はただの人である。 B
Aは非現実 (考え) の内容である。Bは現実 (事実) の内容である。人々はAの内容の方を求めている。政治に関する指導性を発揮することができるからである。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が ‘女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる’ とB形式の発言をしたらどうなるか。それは皆さんがご存知通りである。
実況放送・現状報告の内容で日本人は納得する。だが、これでは世界の進展は期待できない。だから、人々は落胆する。これに対する反発は無哲学の国 (日本) よりも哲学のある国 (欧米) で強く起こる。穏やかに収めたいなどという考えはどこにもない。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。
わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べになって個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)
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